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vol.208 命令はご褒美

 事後、と言ってもいいような甘く気だるげな空気が、ベッドルームを満たしていた。

 窓の外には月。


 僕はけいとさんの豊かな胸に顔を埋め、その温もりに包まれていた。

 彼女の心臓の音が、子守唄のように響いている。


「……ねぇ、けんたろうちゃん」


 頭上から、とろけるように甘い声が降ってきた。

 彼女の指先が、僕の髪を優しく梳いている。


「知ってる?」


 その声色が、カチリと切り替わった。

 優しさはそのままに、明確な「意地悪」が混ざる。

 僕は反射的に身を固くした。


「藤原しずくの新曲。

 MVの再生数、また伸びてるんだって」


 指先が、髪から耳へと滑り落ち、耳たぶをつねり上げた。

 結構痛い。


「めぐみちゃんの『Magic ofDream』もそう。

 あんなにキラキラしてて、可愛くて。

 ……ねぇ、私には書けないの?

 あんなに可愛い曲」


「そ、それは……けいとさんのクールなイメージに合わせて……」


「なに言い訳してるのよ」


 彼女は僕の顔を両手で挟み、無理やり上を向かせた。

 月の光を背負った彼女は、美しくて、優しくて、そして逃げ場がないほど理不尽だった。


「極めつけは、一条零。

 『ANEWERA』……あれはずるいわ。

 零様はずっとあなたの曲を欲しがってたものねぇ?

 打ち合わせと言う名のデートまでして、ようやく手に入れた宝物。

 妬いちゃうなぁ……」


「ち、違うよ!

 あれは仕事で……!」


「いいえ、浮気よ」


 彼女はきっぱりと言い放った。

 理屈なんて関係ない。彼女がそう言えば、それは浮気なのだ。


 僕は反射で彼女の胸に顔を押しつけた。


「逃げないの」


 って笑いながら、僕を抱き締め直す。


「私以外の女に、あんな情熱的な曲をプレゼントして……。

 私は本命じゃないの?

 放ったらかし?」


 彼女はくすくすと笑いながら、僕をさらに強く抱きしめた。

 柔らかい感触が顔全体を包み込む。

 窒息しそうだけど、幸せで、逃げたくない。


「……だから、償ってもらわないと」


 彼女は僕の耳元で囁いた。


「MidnightVerdictにも、書きなさいよ。

 藤原しずくよりも、DreamJumpsよりも、一条零よりも……

 もっともっと愛が詰まった、最高の曲を。

 ……できるわよね?」


 それは命令だった。

 でも、世界で一番甘い、ご褒美のような命令だった。


「僕の全部を込めて書くよ!」


「よろしい。いい子ね」


 けいとさんは満足げに微笑み、僕の頭を撫で回した。

 僕はその手のひらの上で、ただ幸せに転がされていた。


 ♪ ♪ ♪


 数日後。


 僕たちは、都心にそびえるガラス張りの要塞、シャイニー・ミュージック・タワーの前にいた。

 メンバーは、RogueSoundの社長、ユージ、綾音さん、そしてサングラスとマスクで完全武装した僕。


「お前、マジで不審者だな」


「仕方ないだろ。

 バレたらパニックになるんだから」


 ユージにからかわれながら、僕は周囲を警戒して通用口をくぐった。

 エレベーターで最上階へ。


 扉が開くと、そこには一人のダンディな紳士が待っていた。

 MidnightVerdictのチーフマネージャー、佐伯さんだ。


「お待ちしておりましたよ、Kさん」


 佐伯さんはやわらかく頭を下げ、それからニヤリと片方の眉を上げた。


「……いや、ようやく『本妻』のところへ戻ってきましたか、と言うべきかな?」


 痛いところを突かれた。

 社長が豪快に笑う。


「ハッハッハ!

 全くだ。

 あっちこっちで浮気(楽曲提供)して回って、ようやく戻ってきたドラ息子だな」


「人聞きが悪いですよ!」


 レッスンスタジオの手前で、RogueSoundの社長は立ち止まった。


「じゃあ、私は向こうで契約面の話をしてくるから。

 その後、私は直帰するから、楽しんできなさい」


 社長は僕らにニヤリと笑って、手をひらひら振った。

 ……逃がしてくれた。

 そういう優しさだ。

 ユージも「サンキュー、社長!」と親指を立てた。


 佐伯さんは楽しそうに笑いながら、僕たちをレッスンスタジオへと案内した。


「メンバーも首を長くして待っていますよ。

 特にリーダーは、毎日のように『まだ来ないの?』とカレンダーを睨んでいましたからね」


 スタジオの防音扉が開く。

 中から、華やかな笑い声と楽器の音が漏れてきた。


「よおっ!」


 ユージが先陣を切って入っていく。


「ユージ!」

「ユージ君だ!」

「あ、綾音さんも!」


 スタジオにいた6人が、一斉に振り返った。

 けいとさん、ギターのあやさん、ドラムのさやかさん、ベースのかおりさん、そしてダンス&コーラスのひなたちゃんとこはるちゃん。

 最強のユーロビートユニット・MidnightVerdict。


 彼女たちの視線が、最後に僕へ集まる。


 僕がマスクに手をかけると、ひなちゃんがニヤニヤする。


「なにそれ、Kごっこ?」

「かわいー」


「やめてよ……知ってるでしょ」


 サングラスとマスクを外した瞬間、


「……けんたろうちゃん!!」


 真っ先に叫んだのは、こはるちゃんだった。

 彼女は小動物のような勢いで走ってきて、僕にタックル気味に抱きついた。


「遅いよー!

 やっと来てくれたー!」


「こらこら、こはる。

 けんたろうちゃんが潰れちゃうでしょ」


 あやさんが笑いながら、こはるちゃんを引き剥がす。

 そして、あやさんが笑いながらユージの方へ歩いた。

 距離は詰めない。

 けれど、目だけで一瞬、空気が変わる。


「おつかれ、ユージ」


「おう。元気そうだな」


 すれ違いざま、あやさんの指がユージの袖をほんの少しだけ引いた。

 スタジオの中だけで許された、恋人同士の合図。


 さやかさんは聖母のような笑顔で近づいてきた。


「久しぶりね、けんたろうちゃん。

 元気そうでよかったわ」


 癒やしだ。

 この空間唯一の良心だ。


 かおりさんは少し離れた場所でベースを抱えたまま、無言でコクンと頷いた。

 クールな眼差しだが、その奥には歓迎の色が見える。


「ねぇねぇ、けんたろうちゃん!」


 ひなたちゃんが僕の二の腕をぷにぷにとつついてくる。


「あちこちの美女から引っ張りだこじゃん、色男!

 ねぇ、打ち合わせって名目でいいことあった?

 ……えっちなご褒美、もらったりした?」


「も、もらってないよ!

 ひなちゃん、からかわないでよ……」


 みんな、僕より年上のお姉さんたちだ。

 そして、僕が「K」であることを知っている共犯者たち。

 このスタジオの空気は、実家よりも安心する匂いがした。


「……あら、随分と楽しそうね」


 ふいに、メンバーの輪の後ろから、よく通る凛とした声が響いた。

 けいとさんだ。


 彼女は腕を組み、面白くなさそうな顔で僕たちを見ていた。


「私の彼氏をおもちゃにしないでくれるかしら?」


 あやさんがニヤニヤしながら言った。


「あらあら、けいとったら。

 昨日まで『早く会いたい』って枕濡らしてたくせに~」


「ちょっと、あや!

 変なこと言わないでよ!」


 けいとさんが顔を赤くして抗議する。

 その隙に、僕はけいとさんの元へ歩み寄った。


「けいとさん」


「……なによ」


「約束通り来たよ」


 僕が言うと、彼女はふっと表情を緩めた。

 そして、自然な動作で僕の腕に自分の腕を絡め、ぎゅっと抱きしめた。

 メンバー全員に見せつけるように。


「遅いわよ」


 彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。

 この場所が、僕の帰るべき場所だ。

 この騒がしくて、理不尽で、愛おしいお姉さんたちのために。

 僕は、最高の音楽を捧げる準備ができていた。

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