vol.20 神託
渋谷でのゲリラライブは、光の速さでネットを焼き尽くした。
いくつもの手振れ動画。
画質の荒い縦長の映像。
それらが、あらゆる角度から同じ瞬間を切り取り、タイムラインに雪崩れ込んでいく。
Twitter(現在のX)のトレンドは「#SynapticDrive」「#渋谷ゲリラ」「#あなたは知らない」、その三つの言葉で真っ黒に塗りつぶされた。
それは、単なる「バズ」で終わらない。
音楽好き、クリエイター、果ては普段音楽を聴かない層まで巻き込んだ、巨大な議論の渦だった。
♪ ♪ ♪
最後の音が消えたあと、一拍の静寂。
渋谷全体が、息を飲んだように止まる。
そして次の瞬間、爆発する。
大歓声。
拍手。
叫び声。
「すげえええええええ!!!」
「なんだこれ!今まで聴いたことない!!」
「あのシルエットのけんたろうってやつ、マジで何者なんだ!?」
「鳥肌立った!感動した!!」
「これが音楽か……!」
スマホを掲げてライブ配信をしていた若者たちも、気づけば画面から目を離していた。
指は録画ボタンに乗ったまま、音のほうに心だけを向けている。
その場にいた誰もが、「いま目の前で起きていること」を、データではなく自分の鼓動で記録しようとしていた。
中には、放心したように立ち尽くす者もいた。
涙が頬を伝っているのに、自分ではまだ気づいていない顔。
彼らは、音楽がただの娯楽ではなく、「生きている何か」だということを、理屈抜きで思い知らされていた。
梓もまた、その輪の中にいた。
足が地面に根を張ったように動かない。
視線だけが、白い幕の向こうに釘付けになっている。
頬を伝うものに触れて、初めて自分が泣いていると知った。
あの音が、あの歌が、これほど多くの人の心を震わせている。
クラスメイトのけんたろう。
ステージ上の「スーパープロデューサー・けんたろう」。
もう、どちらも「仮の顔」ではない。
どちらも本物の、彼だ。
♪ ♪ ♪
ネットの向こうでも、別の熱が立ち上がっていた。
チャンネル登録者数300万人を誇る、音楽レビュー系Youtuberのトップランナー、セブ・直山が緊急で動画をアップロードした。
彼のスタジオの背景には「事件発生」のテロップが踊っていた。
「どうもー!セブ・直山です!
おいお前ら、昨日の渋谷、見たか!?
いや、見てない奴も今すぐ検索しろ!
『Synaptic Drive 渋谷ゲリラ』だ!
人生変わるぞマジで!」
セブ・直山は、興奮を隠さずにカメラに語りかける。
「何なんだよアレは!立体音響か!?
スマホのクソ音質ですら鼓膜をぶん殴ってくるあの音圧!
シルエットで顔も分かんねぇのに、喉から血ぃ吐いてるみてぇなボーカルの魂の叫び!
『あなたは知らない』?
こっちのセリフだよ!
こんな化け物が日本にいたなんて、俺たちは知らなかった!」
彼は一度息を吸い、さらに熱を込めて続けた。
「演出もヤバい。
謎のボーカル『けんたろう』をシルエットにすることで、逆に神秘性とカリスマ性が爆発してる。
Midnight Verdictも一条零もすげぇよ?
でもな、こいつらは土俵が違う。
完全に別次元から来た黒船だ!
テレビ主題歌からのゲリラライブって、プロモーションも天才かよ!
これは伝説の始まりだ。
俺たちは今、歴史の目撃者になってるんだよ!」
この動画は瞬く間に拡散され、多くのネットユーザーの感情を代弁した。
さらに専門的な議論は、匿名掲示板で白熱していた。
【ネット掲示板 抜粋】
▼音楽評論家アカウント
「Synaptic Driveの『あなたは知らない』は、J-POPの文脈を完全に無視した、ある種の暴力だ。だが、その暴力性こそが、予定調和に慣れきった我々の耳を覚醒させる。これは事件だ」
▼DTMer
「誰か『あなたは知らない』のコード進行解析してくれ!サビでいきなり転調してるのに、なんであんなにエモいんだ?不協和音ギリギリのシンセの重ね方とか、理論ぶっ壊してるのに気持ちいい。意味がわからん…天才か?」
▼アンチ・懐疑的な意見
「どうせ大手レーベルが仕掛けた巧妙なプロモーションだろ。裏で誰が糸引いてるんだか」>>Re:「Rogue Soundって超弱小レーベルらしいぞ。だからこそのゲリラ。マジで社の存続を賭けた特攻だったってことだ。ドラマすぎる」
▼海外の反応(翻訳アカウント経由)
「日本のShibuyaでクレイジーなGhostが歌ってるらしい。言葉は分からないが、魂が叫んでる。これがロックだ」
もはや、それは音楽の評価を超えていた。
楽曲の分析、歌詞の考察、黒幕探し、そして純粋な感動。
あらゆる声が渾然一体となり、「Synaptic Drive」という名の巨大な怪物へと成長させていく。
これはもう、社会現象の始まりだった。
雑誌も、すぐにその熱に追いつこうとしていた。
「伝説の目撃者たち、渋谷の夜を語る。Synaptic Drive現象、社会現象化へ」(週刊エンタメExpress 緊急増刊号)
Synaptic Driveが渋谷で行ったゲリラライブは、一夜にして音楽史に残るイベントとなった。ネット上では、ライブ動画が爆発的な再生回数を記録し、彼らの音楽性とパフォーマンスに対する絶賛の声が止まらない。謎に包まれた「けんたろう」の歌声は、多くの人々の心を深く揺さぶり、「Synaptic Drive現象」は、すでに社会現象として認知され始めている。
♪ ♪ ♪
その夜。
一条零が所属する大手レーベル「エンペラー・レコード」の最上階。
防音壁に閉ざされた聖域のような一室。
一条零は、その画面をただ見つめていた。
まばたきすら、もったいないと言わんばかりに。
彼女の隣には、音楽業界の裏を知り尽くした、伝説的とも言われる大物プロデューサー、真壁が静かに座っていた。
真壁は、かつて数々の大ヒットアーティストを育て上げ、今は第一線から引退していると言われている。
一条零。
「トップアイドル」という言葉すら、彼女の前では陳腐なレッテルに過ぎない。
ソロとして音楽シーンの頂点に君臨し、その神秘的な美貌と、聴く者の魂を根こそぎ奪っていくような神懸かり的な歌唱力。
彼女は、誰にも触れることのできない、孤高のオーラをその身に纏っていた。
数オクターブを自在に行き来する声帯。
一度聴いただけで音の構成を完璧に理解する絶対音感。
そして何より、「売れる曲」の方程式を知り尽くしながら、それをどこか冷ややかに見下ろしてしまう、高みにいる感性。
人は彼女を絶対的歌姫と評する。
熱心なファンの中には、彼女の新曲を「神託」と本気で信じている者すらいる。
画面の中、ノイズ越しに届く『あなたは知らない』。
技術的な粗さも、音の歪みも、彼女の耳にははっきりと聞こえているはずだ。
それでも——いや、だからこそ。
そこから溢れ出す音は、一条零の耳を、心を、捉えて離さなかった。
特に、あの歌声。
技術的には未熟だ。
呼吸も浅い。
だが、そんな些細な欠点がどうでもよくなるほどの「血」が流れていた。
誰かのために、自分の命を削って叫ぶ声。
彼女が探し求め、決して見つからなかった「本物」の欠片。
「……面白い」
真壁が静寂を破る。
「機材は最低限。
PAも、プロの耳からすれば素人仕事だ」
淡々と事実を並べる声。
「だが、それを補って余りある曲の力……。
特にボーカル。
技術は荒削りだが、声質そのものが『楽器』だ。
喉から血を流しながら歌っているような、危うい魅力がある」
「……」
一条零は、言葉が出なかった。
画面の中の「叫び」が、彼女の中のどこか深い場所と共鳴して、まだ形になりきらない震えを生んでいる。
まるで、自分のために歌われているかのような錯覚。
いや、錯覚ではない――
――神託。
彼女の研ぎ澄まされた直感が告げていた。
この音こそが、私が待っていた「答え」なのだと。
映像が終わる。
無音になった部屋で、零はすっと立ち上がった。
その動きは、あまりに滑らかで、人間的な重さを感じさせない。
彼女は窓の外、眼下に広がる東京の夜景を見下ろした。
数千万の光。
そのどこかに、あの声の主がいる。
「真壁さん……」
彼女は、自身の完璧な音楽とは対極にある、あの荒々しいサウンドを思い出しながら言った。
その声は、静かだが、燃えるような熱を帯びていた。
「Synaptic Driveの事務所は、わかりますか?」




