vol.200 太陽 VS 情念
一方そのころ。
都内某所、六畳一間の防音室。
酸素よりも情報の密度が高い場所。
壁一面に貼られたポスターが、湿気でわずかに波打つ。
安物のオフィスチェアから転げ落ちた男、YouTuber・セブ直山。
もはや人間というより、興奮という概念の塊。
「見たかオマエらァァァ!!」
絶叫が、狭い部屋の空気を振動させる。
彼はヘッドホンをずらしたまま、カメラのレンズに唾が飛ぶ距離まで顔を近づけた。
「Dream Jumpsの『Magic of Dream』!
なんだあのキラキラ感!
網膜が焼けるかと思ったわ!」
直山は机を叩き、指先でモニターの縁を小刻みに叩く。
その音までビートみたいに早い。
「だがな、まだ終わりじゃねえ!
むしろここからが本番だ!」
直山は、息を吸う音までマイクに入れながら、モニターを指差した。
「右コーナーの『光』が終わったってことはだ……
次は左コーナー、『情念』の出番だ!」
コメント欄が、滝のように流れる。
『ラスボス来るぞ』
『温度差で風邪ひくわ』
『しずく様降臨』
「演歌界の歌姫、藤原しずく!
さっきのアイドルソングと同じ作曲家『K』が作ったとは思えない、あの劇薬ソング『ASUKA』だ!」
直山はニヤリと笑う。
「光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる……。
おいおい、歴史的瞬間の目撃者になれよオマエら!」
♪ ♪ ♪
テレビの中。
スタジオの空気が一変する。
さっきまでの、ポップコーンが弾けるような明るい余韻は、一瞬で消し飛ぶ。
真空のような静寂。
MCのポッキー田中でさえ、軽口を叩けない重力。
「……それでは、参りましょう」
短い紹介。
それ以上はいらない。
照明が落ちる。
闇。
その闇を切り裂くように、一筋のスポットライトが降る。
そこに、藤原しずく。
艶やかな漆黒の着物。
帯には金の糸で縫い取られた鳳凰。
彼女は動かない。
情念の表現者は、余分をそぎ落とす。
(ああ、空気が変わった)
舞台袖で見守るめぐみの肌がひりつく。
これが、「演歌」の覇気。
イントロが爆発する。
『ASUKA』
重低音のビートが、床を、壁を、観客の心臓を直接叩く。
それに負けない歌声。
音響機材さえもねじ伏せる生身の歌声。
【風が吹く この道の 向こう側に 何がある】
こぶしが回るたび、空間が歪む錯覚を覚える。
それは歌ではない。
慟哭であり、宣言。
【たとえ誰も いなくても 私は行く 明日の方へ】
しずくの目が、カメラを射抜く。
その瞳には、誰も映っていない。
ただ一人、孤独な道を進む覚悟だけが宿る。
彼女は知っている。
頂点とは、酸素が薄く、寒く、そして誰もいない場所であることを。
【涙ひとつ こぼすたび 強くなれると 信じてる】
彼女の背後に、見えない景色が広がる。
荒野。
嵐。
その中を、裸足で歩く一人の女。
めぐみは、息をすることさえ忘れていた。
自分たちが放った「若さ」という光。
それさえも飲み込むような、井戸の底みたいな冷え。
悔しいけれど、認めざるを得ない。
これが、経験の差。
歴史の重み。
【赤い花が 咲くように 心燃やして 生きてゆく】
観客のひとりが、思わず胸を押さえた。
苦しい。
圧倒的な「個」の力に、魂が押し潰されそうになる。
そしてサビ。
扇子が開き、舞う。
【ASUKA! 翔け抜けて 夢を追いかけ どこまでも】
ユーロビートの速さに、和の所作が奇跡的に融合する。
速いのに、優雅。
激しいのに、静か。
【時代の流れに 逆らって 自分だけの 空を飛べ】
逆らう。
そう、彼女はずっと逆らってきたのだ。
流行に、年齢に、そして「過去の人」扱いする世間に。
【ASUKA! 舞い上がれ 翼広げて 風になる】
最後のフレーズ。
彼女は音を置き去りにして、天を仰ぐ。
【誰のためでもない命 輝くために ここにいる】
歌い終わった瞬間。
しずくは扇子をパチリと閉じ、優雅に一礼した。
袖口が最後まで揺れていない。
静寂。
数秒。
スタジオが揺れるほどの拍手が巻き起こる。
♪ ♪ ♪
「うぉぉぉぉぉ!
バケモンかよ!!」
再び、セブ直山の部屋。
彼は椅子の上で海老反りになっていた。
「聞いたか今のコブシ!
ビブラートの深さがマリアナ海溝レベルだろ!」
彼は興奮してデスクを叩く。
「Dream Jumpsが『みんなで見る夢』なら、しずくは『ひとりで背負う業』だよ!
どっちもすげえ!
てか、これを作った『K』って何者なんだよ!?」
コメント欄も加速する。
『演歌で鳥肌立ったの初めて』
『Kの引き出し広すぎワロタ』
『これ同じ人間が作った曲か?』
「まさに代理戦争!
同じ親(K)から生まれた、異母姉妹の骨肉の争い!
情念の炎と、希望の光!
この勝負、判定不能だろ!」
♪ ♪ ♪
スタジオでは、パフォーマンスを終えた二組が並んで立っていた。
MCのポッキー田中が、ハンカチで額の汗を拭いながらマイクを握る。
「いやー!
すごい!
スタジオの温度が乱高下して風邪ひきそうです!
藤原しずくさん、圧巻でした!」
しずくは薄く微笑む。
その微笑みだけで、場の空気を支配する。
「ありがとうございます。
久しぶりに、血が騒ぎましたわ」
チラリと、隣のめぐみを見る。
視線だけで「よく頑張ったわね、お嬢ちゃん」と語る余裕。
ポッキー田中は、ニヤリと笑い、核心へと踏み込む。
「さて、巷ではもっぱらの噂ですが……
この全く違う二つの大ヒット曲、作曲者が同じ『K』さんなんですよね?
ずばりお聞きします。
Kさんって、どんな方なんです?」
スタジオの空気が、ピンと張り詰める。
カメラが、しずくのアップを抜く。
しずくは扇子を口元に当て、眼だけで笑った。
その目は、笑っていない。
「そうね……」
ため息のような声。
「彼は、私の魂の形を知っている、唯一の男性よ」
スタジオ中がどよめく。
その言葉は、あまりにも艶めかしく、あまりにも独占的だった。
「『ASUKA』は、彼が私のために、私の全てを受け止めて書いてくれた曲。
いわば、私と彼だけの秘密の交換日記のようなものかしら」
所有宣言。
「……他の方が入り込む隙間なんて、あるのかしらね?」
彼女は言外に告げていた。
『子供は帰りなさい。ここは鍵のかかった寝室よ』と。
めぐみの眉がピクリと跳ねる。
彼女のマイクを持つ手に、力がこもる。
黙っていられない。
黙っていたら、未来ごと奪われる。
彼女は一歩前に出た。
「何を言ってるんですか!」
その声は、歌っている時と同じくらい、あるいはそれ以上に強かった。
「『Magic of Dream』は、私たちDream Jumpsのために作られた曲です!」
彼女は客席を、そしてカメラの向こうの「誰か」を見据える。
「Kさんは、私たちの夢を応援してくれて、みんなを笑顔にする魔法をくれたんです!
Kさんの音楽は、誰か一人のものじゃありません!
みんなのものです!」
共有宣言。
Kは誰かの所有物じゃない。
光のように、風のように、みんなのそばにあるべき。
めぐみの正論という名の反撃。
しずくの顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちる。
一瞬、彼女の瞳に「あの日の楽屋」での屈辱がよぎったように見えた。
ポッキー田中が、慌てたように、しかし楽しげに手を叩く。
「おおっと!
これは熱い!
大人の愛の『ASUKA』と、純粋な夢の『Magic of Dream』!
Kさんを巡る女の戦い、バチバチですねぇ!
これ放送して大丈夫ですか!?」
♪ ♪ ♪
自宅のソファ。
僕、けんたろうは、リモコンを握りしめたまま、石のように固まる。
胃が痛い。
キリキリと音を立てて、胃壁が悲鳴を上げている。
テレビの中では、僕の知らないところで、僕を巡る聖戦が繰り広げられている。
ポテトチップスは湿気り、コーラの炭酸は抜けてしまった。
ネットでは、セブ直山をはじめ、多くの人間がこの修羅場を楽しんでお祭り騒ぎをしているだろう。
『K、爆発しろ(羨ましい)』
『しずくとめぐみに取り合いされるKって何者?』
『そろそろ正体明かせよ!』
世界は「K」の正体を知りたがっている。
僕の音楽が認められた喜び。
正体がバレたら終わるという恐怖。
そして何より、この美しくも残酷な女たちの戦い。
僕は天井を見上げる。
蛍光灯の光が、やけに眩しい。
しずくの孤独を救うために書いた曲が、めぐみを威圧する。
めぐみの未来を照らすために書いた曲が、しずくを過去へ追いやる。
誰かを救うはずだった音楽が、ここでは誰かを刺すための刃になっている。
僕の青春は、どうなるんだろう。
まだ始まったばかり、のはず。
なのに、終わりの鐘が聞こえるのは、気のせいだろうか。




