vol.198 乙女たちの甘美な法廷
デート、なんて甘い言葉で表すべきか。
あれは心の中の音程合わせ。
そう自分に言い聞かせる。
めぐみちゃんと「作曲の打ち合わせ」をした翌日。
僕は地に足がつかず、街を歩く。
脳みそは妙に冴え渡り、アスファルトの上を歩いているはずなのに、まるで雲の上を歩いているような気分。
懐には、一枚のCD。
昨日の夕暮れ、公園のベンチで彼女の言葉から引火したメロディを、夜通し磨き上げた結晶。
行き先は、Dream Jumpsが所属する大手芸能事務所。
本来ならデータ送信で済む話だが、この熱量は物理的に届けなければ嘘になる気がした。
ビルのエントランス。
僕は帽子を目深にかぶり、マスクをしっかりと引き上げた。
ここに来る前、Rogue Soundの社長とユージから受けた「鉄の掟」を思い出す。
『いいか、Kの正体はトップシークレットだぞ』
社長はニヤリと笑った。
『お前の平穏な学生生活を守るためでもあるし……
ま、ミステリアスな方が曲が売れた時の印税も跳ね上がるからな!
ガハハ!』
そしてユージは、呆れたようにマスクを投げてよこした。
『気をつけて行ってこいよ。
Dream Jumpsって言ったら、今をときめく美少女軍団だ。
うっかり顔なんか出したら、骨までしゃぶられるぞ?
絶対に外すなよ』
親心と下心、そして冷やかしが入り混じった彼らの忠告。
それを守るため、僕は不審者ギリギリの防具で身を固めている。
「Rogue SoundのKです」
受付でそう名乗った瞬間、空気が変わった。
「K様!
お待ちしておりました!」
美しい受付嬢の笑顔が、敬意と緊張を含んだ最上級のものに切り替わる。
何十億というプロモーション費が動くアイドルの、その核となる楽曲を作る人間。
16歳の高校生である僕が、ここでは国賓級の「VIP」として扱われている。
背筋がゾクリとする。
通されたのは、重厚な扉の向こうにある広すぎる会議室。
そこには、Dream Jumpsのメンバー5人と、統括マネージャーが揃う。
「K様、ご足労いただき感謝いたします」
マネージャーが最敬礼で迎える。
ピリついた緊張感。
だが、それとは別に、もっと重く、それでいて甘い視線が部屋の奥から突き刺さった。
5人の少女たちの視線だ。
彼女たちは知っている。
Kの正体が、Synaptic Driveでヒットを連発しているけんたろうであり、めぐみの「想い人」であることを。
「……へぇ」
すらりとした長身の美少女、りおが、組んだ足の上で頬杖をつきながら僕をじろりと見た。
「この子が、あの『Synaptic Drive』の曲を書いてるの……?
意外と普通。
でも、だからこそ底が見えないわね」
クールな品定めの中に、明確なおそれが混じる。
チャートを席巻する怪物の正体が、こんな少年だという事実を噛み砕こうとしているようだ。
「わぁ……ほんものだ」
小柄なゆずが、目を丸くしてゴクリと喉を鳴らす。
「ねえねえ、オーラ消してる?
なんか、只者じゃない感じする!」
「ふふ、能ある鷹は爪を隠す、と言いますものねぇ」
おっとりした雰囲気のももが、ニコニコと微笑んでいる。
その笑顔の裏で、僕の才能の底を測っているようで怖い。
「静かにしてください、失礼ですよ」
最年少のあいが、ピシャリとたしなめる。
さすがしっかり者だ。
でも、その彼女の瞳の奥が僕を凝視している。
「こんな普通の高校生が、あんな破壊力のあるサウンドを……?」
居心地が悪いなんてもんじゃない。
「ヒットメーカー」としての畏敬の念と、「友達の好きな人」を見る女子高生のような好奇心。
二つの視線が入り混じり、僕は実験台の上のカエルの気分だった。
「……約束、ですから」
僕はメンバーの視線に耐えながら、震える手でCDをマネージャーに渡した。
「これが、デモです」
再生機器にディスクが吸い込まれる。
部屋の照明が落ちたような錯覚。
全員が息を止める。
ニヤニヤしていたメンバーの表情も、一瞬で「プロ」の顔に戻った。
再生。
爆発。
スピーカーから溢れ出したのは、光の奔流。
『Magic of Dream』。
キラキラと明滅するシンセサイザーのイントロが、重厚な会議室をダンスフロアに変える。
続いて、攻撃的かつダンサブルなユーロビートが炸裂する。
「っ……!」
めぐみちゃんが口元を押さえる。
彼女の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
悲しいからじゃない。
彼女が昨日語った「夢」が、そのまま音になって現れたからだ。
「嘘……これ、ヤバくない?」
りおが、クールな仮面をかなぐり捨てて目を見開く。
「鳥肌立った……悔しいけど、本物の天才だわ」
「きゃー!すごいすごい!踊りたーい!」
ゆずが椅子の上で跳ねる。
「BPM160……この高揚感、完璧な計算です」
あいが興奮気味に呟く。
メンバーたちの反応が、何よりの答えだった。
「めぐみの好きな人」というフィルターすら吹き飛び、純粋に「音楽の神様」を見る目に変わっていく。
彼女たちは悟ったのだ。
この曲があれば、自分たちはもっと高く飛べる、と。
曲が終わると、部屋中が静まり返った。
そして、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「K様……!
なんとお礼を言えばいいか」
マネージャーが興奮で声を上ずらせている。
「これは、間違いなく彼女たちの運命を変えます。
歴史に残る一曲です!」
その時だった。
感動の余韻の中、めぐみちゃんが満面の笑みで口を開いた。
「ありがとう、けんたろうくん!」
時が止まった。
マネージャーの笑顔が凍りつく。
「……け、けんたろうくん?
今、なんと?」
マネージャーの視線が、僕とめぐみちゃんの間を高速で行き来する。
「K様」ではなく、親しげな「くん」付け。
しかも、本名らしき名前。
大人の事情を知ってはいけない大人が、パンドラの箱を開けかけ、そっと蓋を閉じたような顔をした。
(聞かなかったことにしよう。そうしよう。私の耳は飾りだ)
マネージャーの額に脂汗が滲んでいる。
しかし、少女たちは容赦しない。
ここからが、本当の地獄──いや、乙女たちの尋問タイムの始まりだ。
「ねえねえ、けんたろうくん!」
ゆずが机に身を乗り出す。
「今の曲のあのメロディ、どうやって思いついたの?
やっぱり『愛』の力?」
「ぶっ!」
めぐみちゃんが吹き出す。
「ちょっと、音楽の話をしてるんだから」
りおが呆れたように言うが、その目は悪戯っぽく笑っている。
「でもさ、実際どうなの?
あんな情熱的な曲……どんな恋愛してたら書けるわけ?」
りおの鋭い視線が僕を貫く。
音楽への質問だと思ったら、いつの間にかプライベートの領域に侵入されている。
「え、あ、それは……想像力といいますか……」
僕がしどろもどろになると、すかさずももが追撃してくる。
「ふふ、想像だけであんな素敵な曲は書けませんよぉ。
けんたろうさんは、彼女とか、いらっしゃるんですかぁ?」
おっとりとした口調が、逆に鋭利なナイフのように突き刺さる。
「えっ!?」
めぐみちゃんが過剰に反応して、椅子ごとひっくり返りそうになった。
彼女はけいとさんの存在を知っている。
だからこそ、この質問は核ミサイル級の威力を持っていた。
「あ、いや、その……」
僕の額から冷や汗が噴き出る。
けいとさんの顔が脳裏をよぎる。
正直に言えばめぐみちゃんを傷つけるし、嘘をつけばけいとさんへの裏切りになる。
完全に詰んだ。
「答えられないってことは、いるんだ」
あいが冷静に分析結果を発表する。
「心拍数の上昇、発汗、視線の泳ぎ方。
クロですね」
「えー!
誰だれー!?」
ゆずが大騒ぎし、りおがニヤニヤし、ももがニコニコと見守る。
マネージャーはもう、部屋の隅で「私は貝になりたい」という顔で壁のシミを見つめていた。
「もうっ!
みんなやめてよ!」
限界を迎えためぐみちゃんが、バン!と机を叩いて立ち上がった。
顔を真っ赤にして、僕の前に立ちはだかる。
「けんたろうくんは、曲を届けに来てくれただけなの!
プライベートな質問は禁止!」
「あらあら、めぐみんが必死~」
「愛だねぇ」
「うるさーい!」
めぐみちゃんは僕の腕を掴むと、強引に出口へと引っ張った。
「けんたろうくん、帰ろ!
送っていくから!」
「え、ちょ、めぐみちゃん……?」
引きずられるように部屋を出る僕。
背中越しに、少女たちの爆笑と、
「青春だねー」
「頑張れめぐみー!」
という声が追いかけてくる。
廊下に出ても、心臓のドラムが鳴り止まない。
VIP待遇からの、まさかの尋問、そして強引な脱出劇。
めぐみちゃんは、はぁはぁと肩で息をしながら、申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうに僕を見上げた。
「ごめんね、けんたろうくん……うちのメンバー、容赦なくて」
「いや……元気でいいと思うよ」
「ふふ、そうでしょ?
私の大切な仲間なの」
彼女は誇らしげに笑った。
その笑顔は、さっきの曲以上にキラキラしていた。
僕は知ってしまった。
この無敵の少女たちが歌うからこそ、あの曲は魔法になるのだと。
エレベーターの鏡に映るマスク姿の少年は、疲労困憊だったが、その目は確かに楽しんでいた。




