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vol.197 指先だけが正直な夕暮れvol.197 指先だけが正直な夕暮れ

 カフェを出ても、太陽はまだ沈まない。

 僕の腕には、相変わらずめぐみちゃんの温もりが絡みつく。

 離してくれない。

 というか、最初からそれが標準装備みたいな顔をしている。


 アイドルの「普通」は、僕の「危険」と同じ意味になるらしい。

 道ゆく人の視線が怖い。

 でも、一番怖いのは、どこかで見ているかもしれない「あの人」の影。


「ねぇ、けんたろうくん」


 めぐみちゃんが顔を覗き込む。

 近い。

 甘い匂いがする。


「どんな女の子がタイプなの?

 やっぱり同い年?

 それとも年下がいい?」


 来た。

 来てほしくない質問が、直球で来た。

 僕の脳内に、氷のように美しい年上の恋人が立つ。

 無言で立っている。

 それだけで、背筋が凍る。


「ええっと……」


 僕は目線を迷子にする。


「タイプっていうか……

 一緒にいて楽しい人がいいかな」


 我ながら、卑怯な逃げ方だ。

 めぐみちゃんは一瞬だけ口を尖らせた。

 でもすぐに笑った。

 太陽は、雲を許してくれる。


「そっかぁ。

 じゃあ私、けんたろうくんと一緒にいて楽しい人になれるように頑張るね!」


 その言い方が、ずるい。

 責めているわけじゃない。

 期待しているだけだ。

 その健気さが、僕の罪悪感をちくりと刺す。


 僕たちは公園のベンチに座った。

 空はもう、オレンジ色の絵の具をぶちまけたみたいだった。

 長い影が地面に伸びる。

 その静けさが、僕の鼓動を少しだけ落ち着かせる。


 僕は、逃げ道として質問を投げた。

 音楽の方へ。

 そこなら僕は呼吸できる。


「ねぇ、めぐみちゃん。

 Dream Jumpsってさ、めぐみちゃんにとって、どういう場所なの?」


 めぐみちゃんの表情が変わった。

 さっきまでの、恋する乙女の顔じゃない。

 もっと強くて、凛とした光が宿る。


「大切な場所です!

 メンバーもみんな大好きだし、ステージで歌って踊っている時が一番幸せなんです」


 彼女は遠くを見るように目を細めた。

 その視線の先には、満員のスタジアムが見えているのかもしれない。


「音楽は……私にとって、魔法みたいなものです。

 歌っていると、辛いことも忘れられる。

 聴いてくれる人たちが笑顔になってくれると、私も本当に嬉しいんです」


 彼女は両手を胸の前で組んだ。

 祈るように。

 あるいは、大切なものを抱きしめるように。


「みんなを笑顔にしたい。

 それが、私の一番の願いなんです」


 単純な言葉だった。

 でも、飾り気のないその言葉は、どんな詩的な表現よりも鋭く、僕の心の奥底に刺さった。


 みんなを笑顔にしたい。

 その純粋な祈り。

 打算も、計算もない。

 ただひたすらに真っ直ぐな光。


 ドクン。

 僕の心臓が、一回大きく跳ねた。


 ……これだ。


 僕の頭の中に、スイッチが入る音がした。

 理屈じゃない。

 旋律。

 めぐみちゃんの言葉が鍵になって、閉ざされていた扉が開く。

 メロディーが。

 歌詞が。

 リズムが。

 泉のように湧き上がる。


 稲妻に打たれた。

 音楽と言う名の雷。

 今、この瞬間を逃してはいけない。

 この光を、音に変えなければいけない。


「めぐみちゃん、ちょっと待って!」


 僕は彼女の腕を振り解き、慌ててカバンを漁る。

 メモ帳。

 ペン。

 指が勝手に動く。


「え?

 けんたろうくん?

 どうしたの?」


 めぐみちゃんが目を丸くしている。

 当然だ。

 デート中に突然、相手が狂ったようにメモを取り始めたのだから。

 でも、僕には止まれない。

 止まったら、この魔法が消えてしまう。


「今……今、曲ができた……!

 めぐみちゃんの話を聞いてたら、降ってきたんだ……!

 これは、すぐに形にしないと……!」


 僕はペンを走らせる。

 文字が乱れるのも構わない。

 頭の中で鳴っている音楽を、必死に紙の上に写し取る。

 ユーロビートの疾走感。

 アイドルのきらめき。

 そして、彼女の「みんなを笑顔にしたい」という願い。


 全部、全部、ここにある。


 めぐみちゃんは、呆然と僕を見ている。

 さっきまでのデートの顔が消えている。

 今は、ただの観客だ。

 いや。

 初めて目の前で魔法を見た人の顔だ。


「けんたろうくん……

 すごいね……」


 夕日が沈み、空が群青色に変わる。

 一番星が瞬き始める頃。

 公園のベンチで、僕はただひたすらに書き続けた。


 僕の恋は相変わらず危ない。

 トップアイドルは目の前で笑っている。

 そして僕は、ベンチの上で、現実から少しだけ逃げながら曲を作っている。


 恋人じゃないとわかっている。

 許されないはずなのに。

 指先だけは正直だった。

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