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vol.196 スカートの丈と、沈黙の長さ

 朝の光はやさしいのに。

 僕の胃だけは冷たい。


 今日。

 僕はめぐみちゃんと会う。 

 デート。

 僕の手のひらは、冷たい汗で湿っていた。

 スマートフォンの画面には「けいとさん」の文字。

 発信ボタンを押す指が震える。


 正直、言わずに逃げたい。

 でも、後からバレた時のことを想像すると、そっちの方が確実に命に関わる。

 僕は覚悟を決めて、画面をタップした。


「……もしもし?」


 コール数回で繋がる。

 僕の声は、情けないほど裏返る。


「あら、けんたろうちゃん。

 どうしたの? 朝から電話なんて」


 けいとさんの声は、いつも通りクール。

 そして艶やかだ。

 その落ち着き払ったトーンが、逆に僕の不安をあおる。

 彼女は、僕が何を言おうとしているのか、すでに全てお見通しなのではないか?


「あ、あのね、けいとさん。

 実は……かくかくしかじかで……」


 僕は一息でまくし立てた。

 社長がいきなり決めたこと。

 曲を作らなきゃいけないこと。

 その打ち合わせってことで、めぐみちゃんと出かけることになったこと。

 断れなかった自分の弱さ。

 そして何より、僕の心にはけいとさんしかいないということ。


「……というわけで、本当にごめんなさい!」


 最後は懇願に近い謝罪で締めくくる。

 電話の向こうから、音が消えた。


 沈黙。

 1秒、2秒、3秒。

 その時間が、僕には永遠のように長い。

 重い。

 重すぎる。

 いっそ怒鳴ってくれた方が楽なんじゃないか?

 この無音の空間で、彼女がどんな顔をしているのか。

 怒っているのか、呆れているのか。

 全く読めないことが何より怖い。


「……そう。

 分かったわ」


 ようやく返ってきた言葉は、拍子抜けするほどあっさりだった。

 怒っているようにも聞こえるし、呆れているようにも聞こえる。


「け、けいとさん……?」


「フフフ……けんたろうちゃん。

 楽しんできなさい」


 受話器越しに、悪魔みたいな微笑みが伝わってくるようだった。


「ただし。

 あまり羽目を外しすぎないようにね?」


 プツン。

 通話が切れる音。

 僕は安堵のため息をつくと同時に、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 「羽目を外すな」という言葉が、呪いのように耳に残る。

 彼女はきっと、何かを企んでいる。

 僕の行動をどこかで見張っている。

 そんな変な想像をしてしまう。


 数時間後。

 待ち合わせ場所に現れためぐみちゃんを見て、僕は息を飲んだ。


「けんたろうくん!

 お待たせしました!」


 そこに、太陽。

 いや、太陽以上に眩しい何か。


 ひらひらとしたパステルカラーのブラウス。

 そして何より、僕の目を釘付けにしたのは、そのボトムスだ。

 膝上15センチ、いや20センチはあるだろうか。

 大胆なミニスカートから、健康的な素足が伸びている。


(うわぁ……気合い入ってる……!)


 僕は思わず視線を泳がせた。

 どこを見ても、その白い肌が視界の端に入ってくる。

 これは「打ち合わせ」の服装ではない。

 完全に「勝負服」だ。


「今日は楽しみましょうね!」


 めぐみちゃんは僕の手を取り、満面の笑顔で言った。

 その距離が近い。

 甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。

 僕は、けいとさんの「羽目を外すな」という言葉を呪文のように唱えながら、必死に理性を保った。


 デート中、めぐみちゃんの攻撃は止まらなかった。


「ねぇ、私のこと、もっと知ってくださいね!

 好きな食べ物とか、休日の過ごし方とか……

 全部教えちゃいますから!」


 彼女は僕の腕に自分の腕を絡ませ、上目遣いで見つめてくる。

 歩くたびに、スカートの裾がふわっと舞う。

 そのたびに、僕の視線は磁石のように引き寄せられそうになる。


 カフェで向かい合った時も、試練は続いた。

 テーブルの下で、彼女が足を組み替える気配がする。

 それだけで、僕の心臓はバクバクとうるさい。


「けんたろうくんは、私のこと、どう思いますか?

 可愛いですか?

 好きですか?」


 ストレートすぎる質問。

 僕はコーヒーを吹き出しそうになった。

 正直に言えば、めちゃくちゃ可愛いし、男として意識しない方が無理だ。

 でも、それを口にすれば、けいとさんへの裏切りになる。


「え、ええっと……

 めぐみちゃんは……すごく可愛いし……

 いつも元気で、一緒にいると楽しいよ」


 精一杯の当たり障りのない答え。

 それでも、めぐみちゃんは「えへへ」と嬉しそうに笑った。


「ねぇ、けんたろうくん。

 Synaptic Driveの曲、どう思いますか?」


 ふいに、彼女が話題を変えた。

 僕は心底ホッとした。

 音楽の話なら、僕のフィールドだ。


「僕たちの曲は、魂がこもってるから。

 どれも大切だよ。

 聴いてくれるみんなが、少しでも元気になってくれたら嬉しいなって、本気で思ってるんだ」


 僕は真剣な顔で答えた。

 めぐみちゃんは、そんな僕をじっと見つめていた。

 その瞳には、さっきまでの小悪魔的な色はなく、アーティストとしての純粋な敬意が浮かんでいた。


 音楽の話をしている間だけは、スカートの呪縛から逃れられる。

 僕は少しだけ素の自分に戻れた気がした。


 けれど、デートはまだ終わらない。

 けいとさんの沈黙の意味。

 めぐみちゃんの積極的なアプローチ。

 このまま何事もなく帰れるだろうか。

 そう願った瞬間。

 僕は気づいてしまった。


 何事もなく終わると信じられるほど、僕の日常は、もう無傷じゃない。

 多分、胃も。

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