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vol.19 慟哭のメロディ

 ユージがギターをかき鳴らし、吠える。


「ここにいる、スーパープロデューサー・けんたろうの歌を聴きやがれ!!」


 その言葉が渋谷のど真ん中に響き渡った瞬間———

 ざわめきは最高潮に達した。

 

 誰もが、白い幕の向こうの「スーパープロデューサー・けんたろう」という名前のない影に、息を呑む。

 梓は、人混みの中でパニック状態になっていた。

 まさか、クラスメイトのけんたろうが、こんな大勢の、しかもテレビの向こうの人々に、自分の歌を聴かせようとしているなんて。

 周りも同じだ。

 興奮。

 困惑。

 好奇心。

 名前を持たない感情たちが、交差点じゅうで一斉にざわめき、白い幕の向こうの「正体」を凝視している。


 そして――


 その曲が、始まった。


 Noizyなオープニングが、聴く者の不安を煽る。

 不協和音すれすれのシンセサイザーの音が、人のざわめきを飲み込むように響き渡る。

 聴衆は息をのむ。

 

 激しいイントロ。

 アスファルトを揺らす低音。

 重厚なビートが心臓を直接叩く。

 ユージのギターが叫ぶ。

 泣き叫ぶ。

 狂気じみた音の波に絡みついていく。


 スクランブル交差点はその瞬間、「交差点」であることをやめた。

 嵐の真ん中から、一本の糸のような声が立ち上がる。

 遠くから聞こえてくるかのように、切なく、はかない。



【僕は泣く あなたに会えなくて 一筋の涙がこぼれる】


 けんたろうの歌声は、暴力的なほどの音の中で、はっきりと輪郭を持っていた。

 渋谷のノイズが消滅した。

 世界には今、けんたろうの声しかない。


【あなたの笑顔が忘れられない 君に恋しているからさ】


 転調。

 世界が裏返る。

 さらに激しいビートが刻まれ始める。

 絞り出すような歌声。

 シルエットの向こう側で、彼が「誰か」を必死に思い描いているのが痛いほど伝わってくる。


【あなたは知らない 僕が泣いているのを】

【あなたを思う心 少しだけで良い伝えたい】


 サビでは、シルエットの指が、シンセサイザーの上で激しく動く。

 鍵盤を叩く指先から放たれる音は、内側で言葉になりきれなかった感情そのもののようだった。


 サビのフレーズが、梓の胸に突き刺さった。

(知らない……知らなかった……)

 いつも教室の隅で静かに本を読んでいた、あのけんたろうくんが。

 時々、寂しそうな目で窓の外を見ていた、あの彼が。

 こんなにも激しい、張り裂けそうな想いを内に秘めていたなんて。

 私たちは、クラスメイトの彼のこんな顔を、何も知らなかったんだ。


 <2番>

【愛するあなたを 失う恐れをいつも抱いても】

【あなたの瞳の先には 何が映っているのさ】

【あなたは知らない 僕が泣いているのを】

【あなたを思う心 少しだけで良い伝えたい】


 けんたろうの声は、時に濁り、時に透き通る。

 苦悩と、祈りに似た愛情が、息の出入りと一緒に揺れる。

 その振幅が、聴いている側の心を容赦なくえぐる。


 <ラスト>

 曲の終盤、けんたろうはキーボードからゆっくりと手を放した。

 さっきまで暴れていた音たちが、次第に力を失い、音が収束していく。


【あなたは知らない】


 シルエットの影が、空を掴むように腕を伸ばした。

 届かない何かを求めるように。


【僕が泣いているのを】


 彼は、手を力強く握りしめる。


【あなたを思う心】


 そして、ゆっくりと手を広げ―――力強く自らの胸に当てた。


【少しだけで良い伝えたい】


 最後に、けんたろうは手を力強く握りしめ―――振り下ろした。

 それは、ひとりの少年の祈りであり、魂の叫びであり―――

 誰にも届かなかったはずの心の慟哭を、世界の真ん中に叩きつける行為だった。



 音が、完全に消えた。



 渋谷のスクランブル交差点には、遠くのバスのブレーキ音だけ。

 誰もが、声も出せず、ただステージを見つめている。

 誰も動けない。

 息をするのも忘れて、白い幕の向こうの影を見つめている。

 それは、ほんの数秒。


 パチ、パチ。

 誰かが手を叩いた。

 やがて、誰からともなく、拍手が起こった。

 一つ、また一つと増えていく。

 その乾いた音は、瞬く間に熱を帯び、波となり、うねりとなり、雷鳴のような轟音へと変わった。


 だが、それは単なる賞賛ではなかった。

 最前列でライブ配信をしていた若者は、スマホを持つ手が震えて止められず、画面がぐちゃぐちゃになっていることにも気づかない。

 厳つい革ジャン姿の男が、顔をくしゃくしゃにして、子どものように泣いている。

 見知らぬ女子高生たちが、互いの肩を抱き合って嗚咽を漏らしている。

 年配のサラリーマンが、呆然と立ち尽くし、何度も眼鏡の位置を直している。

 熱狂と感動。

 あらゆる感情が渦を巻き、渋谷の空気を満たしていた。


 梓もまた、その渦の中心で震えていた。

 頬が熱い。

 自分が泣いていることに、今気づいた。

 信じられないものを見た。

 隣の友人が「梓……?」と心配そうに覗き込む声も、遠い。


「……すごい」


 梓は、絞り出すように呟いた。


「けんたろうくん……本当に、すごいよ……!」


 それは、賞賛でも、同情でもない。

 一人の人間が、自らの魂のすべてを懸けて何かを表現する瞬間。

 その瞬間に立ち会ってしまったことへの、純粋な畏敬の念だった。


 ライブ会場と化した渋谷の群衆は、もう単なる観客ではなかった。

 誰もが、誰かと抱き合う。

 涙を分かち合う。

『この瞬間の熱狂』を確かに生きていた。



 Synaptic Driveは、けんたろうは――


 この巨大な消費の街の中心に、消えない爪痕を残した。

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