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vol.17 売るな、叫べ!

 けんたろうが一晩で書き上げたソロ曲『あなたは知らない』。

 むき出しの感情。

 削ぎ落とされた言葉。

 誰も聴いたことのない、けれど誰もがどこかで感じたことのある痛み。

 部屋の景色が少しずつズレて見える――そんな曲。


 曲が終わった後、誰も口を開かなかった。


「……どうやって、出す?」


 社長が、ようやく絞り出した声は、掠れていた。


 ドラマ主題歌も担当した。

 全国ネットに顔を出した。

 それでも、Synaptic Driveはまだ、誰も正体を知らない「謎のバンド」だ。


「いつものようにプレスリリースを打って、配信サイトに並べて……

 それで終わりか?

 この熱量が、デジタルの海で冷え切ってしまうぞ」


 社長は、指先でそのUSBをコツコツと叩きながら言った。


 綾音も唇を噛む。

 迷いがあった。

 Synaptic Driveという神秘性を守りつつ、この剥き出しの感情を届けるルートが見つからない。


 議論は空転し、時計の針だけが無慈悲に回る。


 誰もが頭を抱え、沈黙が流れる中、ユージが突然、ニヤリと笑った。


「ゴタゴタめんどくせーや。

 そんなに悩むなら、売らなきゃいい」


「は?」


 社長が呆れたように問い返す。


 社長と綾音は一瞬、目を丸くしてユージを見た。

 何を言っているんだ、こいつは、と。

 ユージは、そんな二人の反応を面白がるように、さらに言葉を続けた。


「ゲリラよ」


「は?」


 社長の間の抜けた声が、場の空気を割る。

 綾音も一瞬、ペンを落としそうになる。

 売らない?

 音楽レーベルが?

 ユージは、その反応を楽しむように、さらに口角を上げる。


「ゲリラライブを渋谷の真ん中でやるんだよ。

 若者の街の真ん中で、けんたろうが新曲を歌うんだ」


 渋谷。

 スクランブル交差点。

 人の流れ。

 ネオン。

 スマホのカメラ。

 その中心に、あの曲。

 社長と綾音は、一拍遅れて、そのイメージの持つ破壊力に気づき始める。


「Synaptic Driveのゲリラライブin渋谷。

 想像してみろよ、社長、綾音ちゃん」


 正体不明のボーカル、けんたろう。

 顔もろくに知られていないその男が、スクランブル交差点の雑踏の中で、自分の『魂の叫び』を歌う。

 人混みの向こうで、シルエットだけが照明に浮かび上がる。

 ネットも、メディアも、「何だあれは」と一斉にざわめき出す――—。


「こんなの、たまんねーだろ?!」


 ユージの目は、獲物を見つけた猛獣のようにギラギラと輝いていた。

 常識外れで、無謀だ。

 だが、その背後には、誰もが納得する。

「けんたろうの音楽を、最も効果的に世に問う」

 という確固たる信念があった。


 狂気だ。

 無謀だ。

 リスクしかない。

 しかし、そういうものに、人はなぜか心臓を掴まれる。


 社長とユージの視線が、ゆっくりと、会議室の隅に向かった。


 青ざめた顔で、けんたろうが座っている。


「……けんたろうくん」


 社長の声が、優しい。


「君は、どう思う?」


 けんたろうは俯いたまま、震える声で答えた。


「渋谷の……ど真ん中で……?」


 空気が止まる。


「無理です」


 か細い声が、落ちる。


「あんな場所で……僕なんかが……。

 それに、もし警察が来たら……Rogue Soundに迷惑を……」


『あなたは知らない』は、けんたろうの内臓を引きずり出したような歌だ。

 それを、渋谷を歩く何千人もの視線に晒す。

 想像しただけで、呼吸が苦しくなる。


 弱小レーベルを、危険に巻き込むわけにはいかない。


 綾音も、社長も、言葉を失った。


 その沈黙を、ユージが踏み砕いた。


 ドカッと、けんたろうの隣に座る。

 肩を、掴む。


「おい、けんたろう」


 ユージの声は、意外なほど静かだった。


「お前、この歌を誰に届けたいんだ?」


「え……?」


「お前のその『魂の叫び』ってやつは、綺麗なホールで、チケットを買ったファンだけにお行儀よく聴いてもらうためのもんか?

 違うだろ」


 ユージはけんたろうの目をまっすぐに射抜く。


「お前の歌はな、そんな安全な場所にいる奴らのためじゃねえ。

 渋谷のスクランブル交差点の真ん中で、誰にも理解されず、孤独に潰されそうになってるどっかの誰か。

 そいつの耳に、無理やりねじ込んでやるためのもんだろうが!」


 ユージの声が、徐々に熱を帯びていく。


「『あなたは知らない』!

 タイトル通りじゃねえか!

 お前のことなんて誰も知らない!

 誰も気にも留めない!

 そんな絶望的な場所で、たった一人で叫ぶから意味があるんだろうが!

『こんな感情があるんだ』って、『俺はここにいるんだ』ってな!」


 迷惑?


 リスク?


 ユージは鼻で笑った。


「そんなもんは、俺と社長が全部しょってやる!

 お前は余計なことなんざ考えなくていい。

 お前の仕事はただ一つ。

 あいつらの度肝を抜く、最高の歌を歌うことだ。

 それだけやりゃいいんだよ!」


 ユージの声は荒い。

 それでも、一度も「売れる」という言葉を口にしない。

 彼が信じているのは、金ではなく、目の前の一曲だけ。


 けんたろうは、しばらく黙っていた。 俯いたまま、拳を握りしめる。


 やがて、ゆっくりと顔を上げた。


「……やります」


 静かな、だが揺るがない声。


「僕が、歌います」


 ユージの口元が歪む。


 社長は深く息を吸い込むと、立ち上がった。


「よし」


 その一言に、迷いはなかった。


 社長は、ユージの熱気に押されるように、そしてその奇抜な発想の持つ可能性に魅了されるように、ゆっくりと口を開いた。

 綾音もまた、その無謀なアイデアの危険性を感じつつも、これしかない、という確信にも似た輝きをその瞳に宿していた。


「ゲリラ……ライブか……」


 その声を聞いた瞬間、社長もまた、覚悟という名の引き金を引いた。

 その背中は、もはや弱小レーベルの経営者ではない。

 共犯者———


「戦争だ」


 社長は綾音に向き直る。


「綾音くん、トラックの手配だ。

 機材も電源も、すべて最高のものを用意しろ。

 中途半端は許さん。

 やるなら伝説を作るぞ」


「はい!」


 綾音の声が弾む。


「私は関係各所への根回しに走る。

 まあ、許可なんて下りないだろうが……仁義は切っておく。

 最悪、私が手錠をかけられるまでの時間を稼げればいい」


 社長はニヤリと笑った。

 それは、この無謀な賭けを楽しむギャンブラーの顔だった。


『あなたは知らない』


 この、けんたろうの感情をむき出しにした魂の歌を、世に届けること。

 小さなレーベルは、静かに自分の命綱を切り、賭けに出た。

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