vol.15 けんたろうとけいと
その頃、僕とけいとさんの間にも、何かが走っていた。
張りつめた空気。
言葉にできない何か。
沈黙が痛い。
けいとさんのマンション。
僕たちは斜めに向かい合って座っていた。
いつもなら隣に座るのに。
けいとさんの態度が違う。
優しいけれど、どこか遠い。
触れられない距離に、線を引かれた気がした。
「……ねぇ、けんたろうちゃん」
けいとさんが口を開く。
その声は、いつもより少しだけ低い。
「うん?」
「どうして、Synaptic Driveなんて始めたの?
しかも、テレビにまで出て……」
僕はうつむいた。
膝の上で、指を絡める。
「だって……けいとさんに、会いたかったから……」
でも、それしか動機がない。
同じ場所に立ちさえすれば。
同じ光の中にいれば。
また隣にいられると思ったから―――
「全然会えなくなっちゃったし……」
言い訳みたいな言葉。
子供だ。
胸が苦しい。
けいとさんが唇を噛む。
その顔を見て、僕はもっと苦しくなる。
大学。
Midnight Verdictの活動。
僕の知らない世界の中のけいとさん。
高校生の僕が入れない、大人の世界。
その壁が、僕を置いていく。
「僕が有名になれば、もっとけいとさんに会えるかなって……」
その言葉を口にした瞬間、けいとさんの顔が強ばった。
「……嬉しい。
でもね、やり方が無茶すぎるよ。
けんたろうちゃんのやったことは、もう『後戻り』できないことなんだよ」
呆れと、諦めと、何か別のもの。
その全部が混ざった声だった。
「え……?
戻れないって……どういうこと?」
僕はけいとさんの顔を覗き込んだ。
その瞳に、何かを隠しているような影が見えた。
「そのままの意味よ。
けんたろうちゃんはもう『Synaptic Driveのけんたろう』なの。
ただの高校生じゃない。
世間のイメージがついて、自由がなくなる。
私のせいで、あなたの人生は変わっちゃったんだよ」
諭すような口調。
その奥に、何かを悔やんでいる色が滲んでいる。
ちがう。
僕が聞きたいのはそういうことじゃない。
「僕の人生とか、そういう話じゃない!」
声が大きくなった。
止められない。
「けいとさんは……
けいとさんは、僕のこと、もう迷惑だって思ってるの……?」
けいとさんの目が、一瞬泳いだ。
ああ、やっぱり。
胸の奥が、冷たい。
胸の隣に、冷たい砂。
「有名になった僕なんて、もういらないってこと……?」
声が震える。
みじめだ。
こんな言い方、したくなかった。
「違う!
そういうことじゃなくて……!」
けいとさんが焦って否定する。
でも、その焦りが逆に、僕の中の黒いものを膨らませた。
「じゃあ、どういうこと!?
『戻れない』って言ったじゃないか!
僕と会う前の、僕がいない生活に戻りたいってことなんでしょ!」
「落ち着いて、けんたろうちゃん!」
「もういい……」
思考が切れた。
ただ、ここから逃げたい。
「僕、バカだった!
けいとさんみたいな人が、僕なんかを…!」
「ねぇ、けんたろうちゃん」
けいとさんの声が、遠くなっていく。
今、僕がここにいる意味が、全部消えていく気がした。
僕は——消えてしまいたかった。
拳を握りしめる。
太ももを、何度も叩いた。
痛い。
でも、この痛みの方がまだマシだ。
「有名になれば、また見てくれるかな、なんて… 子供じゃないか!
本当にバカ!」
自分を責める言葉が、勝手に口から出てくる。
「やめて、そんな風に自分を…」
けいとさんが手を伸ばす。
僕は、反射的に身を引いた。
その手が、宙で止まった。
「もう、僕を心配しないで…」
涙で視界が滲む。
けいとさんの顔が、ぼやけて見えない。
ここにいたくない。
もう、何も聞きたくない。
「帰る……!」
立ち上がる。
ドアに向かって駆け出した。
「けんたろうちゃん!
待って!
どこ行くの!?」
けいとさんの声が、背中に刺さる。
でも、振り返れなかった。
ドアを開けて、外に飛び出す。
「けんたろうちゃん!!」
けいとさんの叫びが、閉ざされたドアの向こうに消えた。
走り出す。
息が苦しい。
胸が痛い。
夜風が、汗ばんだ頬に冷たく張り付く。
手を伸ばしても届かない。
届くと思って積み上げた砂の山。
届かない。
波がさらっていく。
崩れていく。
――届かない。




