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vol.139 Second Love

 夕暮れのスタジオの暗がりの中。

 キーボードの前に座るけんたろう。


 けんたろうは己の魂を絞るように音を紡ぐ。

 前回の慟哭で空っぽになったはずの魂を、さらに奥深くから絞り出す。

 過去と、今と、未来のすべてを音楽に投げ出してしまうのか?

 指先に力が入りすぎて、白い鍵盤がわずかにきしむ。



 イントロ、深淵から響くような重厚なシンセサイザー。

 沈みゆく夕日。

 地平線の向こうへ、静かに消えていく。



【知らぬ間にここにいて忘れようとしたあなたへの初恋】


 

 ユージの背中が、ピンと張った。

 その歌詞が、誰を指しているのか。

 ゆりこアナ。

 けんたろうが、何度も呟いた名前。


【別のひとに心をささげ今の恋を信じてみるよ】


 ゆりこアナへの未練と、けいとへの誠実な決心。 

 歌声に、震えがある。

 信じようとしている。

 だが、信じられていない。

 その葛藤が、一音ひとつに刻まれている。

 綾音は、ユージの隣で息を殺していた。

 彼女は気づいていた。

 このメロディの先に何があるのか。

 けんたろうが、ここで何を決めようとしているのか。


【あなたへの愛は夢かもしれないと思うときはいつ頃かな】


 いくら時間が過ぎても、想いは消えず、夢と現実の狭間で揺れ続ける。

 指先が紡ぐ音がより一層深く、悲しみを帯びて響く。


【あなたへの恋をもう一度 望めない ah Second Love】


 シンセサイザーの音が、より深く悲しみを帯びて響く。

 決して過去には戻れないという現実が、彼の心を締め付ける。



【気づいたらここにきて 遠くなってしまったあなたとの関係】

【今のひとを愛したら あなたは過去になるのかな】

【あなたへの想いは変わってないから 昔を背負って歩いていくんだね】

【忘れることが今の恋 切ないけれど それしか言えない ah Second Love】


 歌声は、いつの間にか力を増していた。

 物理的な距離だけじゃない。

 心の距離まで、どうしようもなく遠くなってしまった寂しさと諦めが、言葉の一つひとつに宿る。


 今の恋を深く愛することでしか、過去を手放せない。

 けれど、どれほど努力しても、初恋の重さだけは変わらない。

 その矛盾を抱えたまま生きていくしかない——そう自分に言い聞かせるような歌い方だった。


 悲痛な叫びのような歌声が、スタジオの空気を震わせる。


【さようなら 初恋の人】


 歌声が止む。

 けんたろうの背中が、小刻みに震えている。


 ユージが、ゆっくりとけんたろうに近づき、その肩に手を置く。


「けんたろう…お前…」


 それ以上、言葉が続かない。


 綾音は膝から崩れ落ちるように座り込み、涙を流していた。


「けんたろうくん…なんて、なんて切ない…」


 この「Second Love」は、彼だけの歌ではない。

 すべての人間が抱える、二つの愛の間での苦しみ。

 その普遍的な痛みを、けんたろうは音に変えた。


 この曲が世に出たとき、どんな波紋を呼ぶのか。

 そして、彼自身の心に、どんな決着をもたらすのか。


 誰にも分からない——


 Rogue Soundの事務所には、静かな残響だけが、いつまでも揺れていた。

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