表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/264

vol.134 虚ろな凱旋

「First Love」は、初週でDL45万。4週連続1位。

 街中ののスピーカーが同じサビを繰り返す。

 テレビ生放送での衝撃的なサプライズは瞬く間に伝説となり、その切ないユーロビートは、音楽チャートの頂点に君臨し続けた。

 ネットでは「年上の美人」の正体を巡る憶測合戦が過熱し、Synaptic Driveの名は、音楽に興味のない層にまで浸透していた。

 一つの楽曲が、時代の空気を塗り替える瞬間だった。


 だが、その熱狂の中心にいるはずの男は、呼吸はあるが視線はない。


 けんたろうは、ぼんやりと宙を見つめていた。

 授業中も、練習中も、彼の意識はどこか遠い場所を彷徨っている。

 かつて子犬のように人懐っこかった輝きは影を潜め、燃え尽きた蝋燭のような、儚い静けさが彼を包んでいた。

 その姿は、クラスメイトの佐藤梓が心配そうに視線を送るほど、日常から浮遊していた。


「おい、けんたろう。大丈夫かよ」


 Rogue Soundの練習室。

 ユージの声が静寂を破る。

 いつもの軽口ではなく、兄貴分としての真摯な響きがあった。

 けんたろうは、焦点の合わない目でゆっくりとユージを見上げた。


「……うん、大丈夫」


 声が空気に届かない。

 到底、ヒットチャートを席巻する天才アーティストの声とは思えない。


「けんたろうくん、ちゃんと食べてますか? 顔色が…」


 マネージャーの綾音は、母親のような憂いを瞳に浮かべ、彼の顔を覗き込む。

 彼の才能を誰よりも信じているからこそ、この消耗は耐え難かった。

 沈黙の後、けんたろうの唇から、か細い呟きが漏れた。


「だって、あの曲を歌ってから……

 なんだか、空っぽになっちゃったみたいで……」


 ユージは悟っていた。

 あの曲は、彼が長い間封じ込めてきたゆりこアナへの想いを、初めて世界に解き放った魂の叫びだったのだ。

 すべてを出し尽くしてしまったのだと。

 だが、問題はそれだけではなかった。

 彼の虚脱は、最も気づかれてはならない場所にも、静かに影を落とし始めていた。

 けんたろうは、恋人であるはずのけいとと会おうとしなかった。

 普段なら、わずかな時間を見つけては彼女の元へ飛んでいくはずの男が、今はその連絡にさえ億劫そうなのだ。


「けんたろう。けいとちゃんからの連絡、無視してんだろ」


 ユージはついに切り出した。

 けんたろうは、億劫そうに、ゆっくりと首を横に振る。


「……してないよ」


 一拍の間を置いて、彼は続けた。


「でも、今は……会いたくない……」


 その言葉に、ユージと綾音は息をのんだ。

 これまで、彼の世界はけいとを中心に回っているようにさえ見えた。

 その彼が、彼女を拒絶する。

 ゆりこアナへの想いを吐き出したことが、現在の恋人への感情に、取り返しのつかない影響を与えてしまったのではないか。

 重苦しい不安が、狭いスタジオに充満していく。


 

 けんたろうは、チャートの頂点で一人、砂の中に沈んでいった。


 欲しいものを手に入れるため


 砂の城から手を伸ばせば 届くと思ったのに

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ