vol.13 魂の在り処
ありふれた日常が砕け散る時は、いつも一瞬だ。
その日、Midnight Verdictの楽屋は、いつも通りのゆるやかな空気に満ちていた。
ソファに寝そべったあやが、スマホを放り出しながらリモコンをつかむ。
その隣で、さやかが「お行儀が悪いよ、あやちゃん」と苦笑しつつ、ハーブティーのポットを用意していた。
隅では、かおりがヘッドホン越しに音源を確認している。
ひなたとこはるは、次のライブ衣装のラフを見せ合いながら、きゃっきゃと騒いでいた。
リーダーである私、けいとは、スケジュールの確認に集中していた。
平和な午後。
あやが気まぐれにリモコンを操作するまでは。
「あー、ヒマ!
なんか面白いテレビやってないわけ?」
画面に映し出された文字列に、あやが首を傾げた。
「ん? Synaptic Drive……?」
聞いたことのないバンド名。
けれど、画面いっぱいにボーカルの顔がアップになった瞬間、楽屋の空気が凍りついた。
酸素が一気に薄くなる。
「は……?」
あやの口から、乾いた声が漏れる。
「なんで……ユージが……歌って……?」
そこにいたのは、紛れもなく彼女の恋人、ユージだった。
自信満々な笑み。
派手なアクション。
私たちが知る「ただのチャラ男」のユージとは、何かが決定的に違う。
驚愕が叫びとなって爆発した。
「あ”あ”あ”ー! ユージじゃん!
なんでテレビ出てんのよバカ!!!」
あやの絶叫で、全員がテレビに釘付けになる。
思考が追いつかない。
でも、本当に怖かったのは、そのうしろに映っていたもの。
逆光の中、キーボードを操る影。
顔は見えない。
ただのシルエット。
なのに。
私の心臓が、嫌な音を立てる。
あの立ち姿。
首の傾け方。
まさか。
嘘でしょう?
画面の中のユージが、その影を指差して叫ぶ。
『俺らのスーパープロデューサー……けんたろう!』
その名前が耳に届いた瞬間、世界がグラリと傾いた。
「……スーパープロデューサーって」
「けんたろう……ちゃん?」
メンバーたちが、信じられないものを見る目で私を見る。
かおりでさえ、ヘッドホンをずらして目を見開いている。
けれど、誰よりも混乱していたのは私自身だった。
「なんで……二人がテレビに……」
声が震える。
私の愛する人が、知らない場所で、知らないバンドとして、スポットライトを浴びている。
連絡を取らなかった日々。
私から距離を取ってしまった彼。
それが、まさかこんな形で。
「けいとちゃん……知らなかったの?」
さやかの心配そうな声に、私は首を振ることしかできなかった。
「全く……知らなかった……」
彼が音楽を続けていたこと。
あやの恋人と組んでいたこと。
そして今、日本のトップアイドル、一条零と同じステージに立っていること。
どれも夢みたいで、現実として掴めないまま、画面の中だけが勝手にクライマックスへ進んでいく。
一条零が立ち上がる。
スタジオの静寂を引き裂いて、彼女が告げた言葉。
『……あなたの音楽を、歌いたい』
楽屋の時間が止まった。
天下の歌姫からの、公開オファー。
「ちょ、ちょっと待って!
天下の一条零がナンパしてんじゃん!」
ひなたが、面白半分、パニック半分といった様子で私の肩を揺する。
「けいと、どうすんのこれ!? 公開浮気!?」
「ひなたちゃん!」
さやかが諌めるが、私の耳にはもう届いていなかった。
血の気が引いていく。
指先が冷たい。
これは、チャンスだ。
音楽家として、断る理由なんて一つもない。
彼がイエスと言えば、彼の音楽は世界へ届く。
私の知らない場所へ、彼は行ってしまう。
『さあ……! 歴史的瞬間です!
女王からのラブコール、そのお答えは……!?』
テレビから煽るような声が響く。
お願い、断って。
……ううん、邪魔しちゃいけない。
行って。
矛盾する願いが、胸の中で暴れ回る。
その時。
幕の奥のシルエットが、小さく動いた。
首を、横に振る。
はっきりと。
拒絶の意志。
「え? 断った?」
ひなたの声と同時に、画面の中のユージがマイクを握り直した。
苦笑い。
でも、どこか誇らしげな顔。
『……あー、一条さん。最高のオファー、マジで感謝します』
彼は一度言葉を切り、カメラのレンズを――その向こうにいる私を、射抜くように見据えた。
『だけどよ……ワリいな。
こいつの魂は、もっと先を見ているんでね』
――もっと、先。
私が、自分から線を引いた、あの「先」。
あの日、私は言った。
『私たちはプロになる。遠くへ行く』と。
ユージの言葉が、その答え合わせのように響く。
名声でも、一条零でもない。
彼が見ている「先」にあるもの。
それは、私———
「…………は?」
沈黙を破ったのは、あやだった。
顔を真っ赤にして、画面を指差す指が震えている。
「あのバカ……!
国民の前で何言ってんのよ……!」
怒っているようで、その口元は緩みきっていた。
「あとで説教確定だけど……ちょっとカッコいいかも」
「キャーーーーッ! 言ったー! 男じゃんユージくん!」
ひなたが飛び跳ねる。
「これってさ……けいとのことだよね!?」
「まあ……」
さやかは両手で頬を包み、うっとりと呟いた。
「なんて素敵な……。
けいとちゃん、けんたろうちゃんは選んだんだよ。
日本一の歌姫より、あなたを」
「……フッ。ロックだな」
かおりが短く、しかし最大の賛辞を漏らす。
「たましい……?」
状況を飲み込めていなかったこはるが、ぽんと手を叩いた。
「そっかぁ……けんたろうちゃんの魂は、けいとちゃんのモノなんだねぇ。
すごいねぇ」
その無邪気な一言が、凍りついていた私の心を溶かしていく。
テレビの中の恋人が、私のために、世界中を敵に回す選択をした。
その途方もない不器用な愛が、不安を洗い流し、熱に変えていく。
気づけば、頬を一筋の雫が伝っていた。
それは、悲しみの涙ではなかった。
CMに入った瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、私は天井を仰いだ。
嬉しい。
けれど、怖い。
表舞台に彼が現れた。
それも、スキャンダルという爆弾を抱えて。
私はMidnight Verdictのリーダーだ。
メンバーを守らなきゃいけない。
私の恋が、この子たちの足を引っ張ることになるかもしれない。
「……みんな、ごめん。
迷惑かけたくない」
絞り出した声は、情けないほど震えていた。
けれど、返ってきたのは、呆れるほど明るい声たちだった。
「バッカじゃないの?
それ言うなら、うちら毎日けいとに迷惑かけてるし!」
あやが鼻で笑う。
「じゃあ今度、スキャンダル記念ライブやる?
『魂は渡しませんツアー』とか!」
ひなたがふざけてウインクする。
「けいとちゃん、だいじょうぶ。
世界中が敵になっても、私たちは味方だから」
さやかが優しく微笑む。
「けいとちゃん、今日の涙は絶対いい音になるよ~。
ね、明日みんなで美味しいケーキ食べよ!」
こはるが無邪気に笑う。
「……泣くだけ泣けばいい。
明日にはまた、バンドの顔に戻れ」
かおりがぶっきらぼうに背中を叩く。
温かい。
なんて温かい場所に、私はいるんだろう。
私は、涙を拭って深く頷いた。
失ったものは大きいかもしれない。
けれど、私たちが守り抜いたものは、何よりも尊く、かけがえのないものだった。
♪ ♪ ♪
【ネットの反応】
「Synaptic Driveの『けんたろう』、一体何者なんだ!? 若いのか? ベテランなのか? 性別すら不明って、ミステリアスすぎだろ!」
「Midnight Verdictのけいとさんもユーロビートの作曲してるけど、このけんたろうとはタイプが違うんだよな。どっちも最高だけど」
「あのシンセ音、天才か変態のどっちかだろ」
「一条零をフッた男。それだけで伝説」
「正体不明のプロデューサーとか、厨二心をくすぐられすぎて辛い」
「『40世紀先に行ってる』ってユージの言葉、あながち嘘じゃないかも」
「実在すんのか? 実はAIとかじゃね?」
【メディアの反応】
『謎の天才「けんたろう」、その正体は?』 (音楽誌Uncover Sounds)
一条零の求愛を拒絶した、Synaptic Driveの頭脳。年齢不詳、性別不詳、経歴不詳。シルエットの向こう側に隠された素顔を巡り、ネット上では空前の考察ブームが巻き起こっている。この徹底した秘密主義こそが、彼らの最大の武器なのかもしれない。
『カリスマ歌姫を魅了した「魂」の在り処』 (週刊エンタメExpress)
彼が選んだ「先」とは何なのか。音楽シーンは今、この異質な怪物の出現に震えている。彼が顔を晒す時、日本の音楽地図は書き換えられるだろう。
♪ ♪ ♪
嵐は、まだ始まったばかりだ。
私たちの音楽と、恋の行方。
リーダーとして背負うべき荷物は、山のように増えてしまった。
でも。
今はまだ、この温かい絆の中にいたい。
私は仲間たちに囲まれながら、静かに微笑んだ。
Midnight Verdictの『けいと』ではなく、最高の仲間に支えられる、一人の女性として。




