vol.116 Rogue Sound狂騒曲、恋する爆弾娘の襲来
Midnight Verdictの生放送が投じた波紋は、一夜にして巨大な津波へと変貌していた。
ネットは「CAKE」旋風に焼き尽くされ、ワイドショーは連日、けんたろうとけいとの「秘密の恋」を憶測という名の油で煽り立てる。
それはもはや秘密ではなく、誰もが知る公然の神話となりつつあった。
そんなカオスが日常を侵食し始めた日の午後。
Synaptic Drive所属のRogue Soundでは、新たな嵐の目を迎え入れようとしていた。
ガチャリ、と無遠慮にドアが開く。
今後の戦略を巡り、頭を抱えるマネージャーの綾音と、能天気に鼻歌を歌うユージが振り返ると、そこに立っていたのは、太陽そのものが人の形をとったかのような少女だった。
人気絶頂のアイドルグループ、Dream Jumpsのセンター・めぐみ。
ラフな私服ですら隠しきれないスターのオーラを振りまき、彼女はキラキラと好奇に満ちた瞳で、ズカズカとスタジオに踏み込んできた。
「綾音さん! ユージさん! こんにちはー!」
「め、めぐみちゃん!? どうしてここに…」
呆然とする綾音を意にも介さず、めぐみは楽しそうに周囲を見回す。
「へへっ、けんたろうくんのことが気になっちゃって。
例の生放送、見ましたよ!
いやー、すごかった!
けいとさんのアワアワした顔、テレビの前で大爆笑しちゃいました!」
悪戯っぽく笑う彼女に、綾音は引きつった笑みを返すしかない。
その隣で、ユージが
「わっはっは! だろ? 最高だったよな!」
と上機嫌に相槌を打つ。
めぐみは、さらに身を乗り出すと、とっておきの秘密を打ち明けるように声を潜めた。
「それでね、私、考えたんです。
この状況を収める、最高の解決策!」
「……な、何?」
綾音の不安と期待が入り混じった問いに、めぐみは満面の笑みで、核爆弾級の提案を投下した。
「けんたろうさんと私でスキャンダルを起こせば、全部チャラになりますよ?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
綾音の絶叫がスタジオに木霊した。
ユージは飲んでいたコーヒーを盛大に噴き出しそうになっている。
「な、何を言ってるのめぐみちゃん!?」
「私、けんたろうくんのこと、好きになっちゃいました!」
あまりにも真っ直ぐな、しかしあまりにも唐突な「告白」。
Rogue Soundに、絶対零度の沈黙が訪れた。
その氷を砕いたのは、再びドアが開く音だった。
静かに、しかし抗いがたい存在感を放ちながら入ってきたのは、月光を纏う孤高の歌姫、一条零。
彼女は、まっすぐに綾音とユージの前へ進み出た。
普段のミステリアスな雰囲気はそのままに、しかしその瞳の奥には、常ならぬ熱が揺らめいている。
「お話は、聞こえていました」
澄み切った声が、沈黙を支配する。
「けんたろうくんを巡る、この騒がしい祝祭。
実に興味深い」
零は、めぐみに一瞥もくれず、ただ綾音たちを見据えている。
「そこで、提案が一つ。
この混沌を、収めるため」
綾音の背筋を、嫌な予感が走り抜けた。
零は、まるで宇宙の真理を語るかのように、静かに、しかし絶対的な響きで言葉を紡ぐ。
「私とけんたろうくんで、交際を発表しましょう」
「…………え?」
綾音の思考は、今度こそ完全に停止した。
スキャンダルで上書きするという提案の、遥か斜め上を行く「真実の創造」。
「そして、それを事実にすればいい。
言葉は、世界を創造する力を持つ。
私たちの関係が『真実』となれば、過去の憶測は全て、意味を失う幻影と化すでしょう」
零は、けんたろうが座るはずのキーボードに、そっと視線を送った。
その横顔に浮かぶのは、神託を受けた巫女のような、恍惚とした表情。
「そうすれば、彼の音楽も、魂も、全てが私という真実へと収束する。
最高の解決策だと思いませんか?」
「ちょっと待ちなさいよ!」
その純粋すぎる狂気を打ち破ったのは、めぐみだった。
キュートな笑顔は消え、挑戦的な光を宿した瞳で零を睨みつける。
「けんたろうくんは、私とカフェデートしたんだから!
年も近いし、話が合うのは絶対こっちだもん!」
既成事実と年齢の近さを武器に、アイドルは宣戦布告する。
対する歌姫は、その挑発を冷めた視線で受け流した。
「……若さとは、なんと饒舌なのでしょう。
けれど、魂の共鳴に、言葉の数は必要ない」
零は、優雅に髪をかき上げ、その言葉に深い含みを持たせる。
「大切なのは、どちらが先に触れたかではなく、どちらがより深く理解しているか。
それだけです」
「なっ…! 小難しいこと言わないでよ!
私はただ、けんたろうくんのことが好きなだけ!」
「けんたろうくんは、年上の女性が好きなんですよ♪」
そこには、孤高の歌姫、一条零の姿はなかった。
「待って待って待って待ってーっ!!」
ついに綾音の理性が限界を超えた。
二人の間に割って入り、半泣きで叫ぶ。
「なんか勝手に話が進んでるんですけど!?
ここはRogue Sound、音楽レーベルなの!
あなたたちの個人的な感情で、仕事の現場を戦場にしないで!」
その魂の叫びを、ユージの爆笑がかき消した。
「ヒュー! やるなぁ、けんたろう!
トップアイドルに孤高の歌姫、おまけにユーロビートの女王か!
うらやましいぜ!
全国の男どもから嫉妬の嵐だぞ、わっはっは!」
「ユージくんは黙っててーっ!」
ユージのあまりにも能天気な言葉に、綾音は膝から崩れ落ちそうになる。
彼はさらに、心底感心したように零を見た。
「それにしても零様!
いつもとは違って女の子じゃねぇか!」
その瞬間、綾音の中で何かが弾けた。
「一条さん、キャラ変わりすぎでしょーーー!?!」
綾音は、怒りとも呆れともつかない悲鳴を上げた。
誰もが畏怖する絶対的歌姫。
普段のクールでミステリアスな一条零からは想像もできない、あまりにもぶっ飛んだ変貌ぶりに、綾音の理性は完全に崩壊寸前だった。
綾音の悲痛な叫びは、もはや誰の耳にも届かない。
戦いの舞台は、新たな局面を迎えていた。
「ねえ、一条さん」
めぐみは不意に、甘い声で問いかけた。
「けんたろうくんの好きな食べ物、知ってます?」
それは、日常を共有する者だけが持ち得る、ささやかな優越感の表明だった。
零は、その問いを意にも介さず、静かに、しかし鋭く切り返す。
「…興味深い問いですね。
では、あなたはご存知ですか?
彼が音楽を生み出す瞬間の、その魂の色を」
「そ、それは…」
めぐみは言葉に詰まる。
の問いは、より本質的で、容易に踏み込めない領域に触れていた。
「音楽は、作り手の魂そのもの。
表面的な知識では、その深淵には到達できない」
零は、確信に満ちた声で告げる。
「私は、彼の旋律の奥にある孤独と、それ故の美しさを知っている。
それこそが、私たちを結びつける真実の絆です」
「でも、でも!」
めぐみは負けじと声を上げた。
「私は、けんたろうくんの笑顔を知ってるもん!
一緒にケーキを食べた時の、嬉しそうな顔!
そういう普通の幸せも、大切でしょ!?」
日常の幸せを語る、太陽の少女。
魂の共鳴を語る、月光の歌姫。
Rogue Soundは、音楽を生み出す聖域から、恋の狂騒曲が鳴り響く劇場へと変貌していた。
天才作曲家が不在のまま、彼の運命を巡る女王たちの戦いは、今、静かに、そして激しく幕を開けたのだった。




