vol.102 約束のユーロビート
僕の唐突なプロポーズと、けいとさんの「今はまだ、だめよ」という返事。
リビングには、甘くも気まずい沈黙が流れていた。
そんな空気を破るように、けいとさんは「お腹すいたでしょ?」とキッチンへ向かい、とっておきのフルーツケーキを運んできた。
「…やっぱり美味しいね」
「そうでしょ?
あなたは、こうやって甘いものを食べてる時が一番可愛いわ」
けいとさんはそう言って僕の口元についたクリームを指で拭い、ぺろりと舐めた。
その仕草にどきりとしながらも、僕は目の前の彼女の姿に釘付けになっていた。
(けいとさん、いつもはクールで知的な女王様なのに…
ケーキを食べてる時の顔、すごく無邪気で可愛いなぁ…)
まるで子供みたいに目を輝かせ、フォークでケーキを口に運ぶ姿。
そのギャップがたまらなく愛おしくて、僕の頭の中に、キラキラとしたメロディが自然と浮かび始めた。
そうだ、この笑顔が見たいから、僕は曲を作るんだ。
「そうだ、音楽でも聴きましょうか」
けいとさんがプレイヤーにセットしたのは、イタリアのユーロビートコンピレーションアルバム。
力強いビートが部屋を満たし、僕たちの会話も自然と弾む。
「このナイル・ロジャーのシャウト、やっぱりかっこいいね。
ユージにシャウトしてもらう時に似てるっていうか…
僕、無意識に影響されてるんだろうなぁ」
「そうね。彼の声には魂を揺さぶる力があるわ。
…あら?」
次に始まったエレナの曲のイントロに、けいとさんが耳を澄ませる。
「このイントロ…
けんたろうちゃんの『あなたは知らない』に少し似てない?」
「え、ほんとだ…。言われてみれば…」
僕の作るメロディの根底には、こうしてけいとさんと一緒に聴いてきたユーロビートが息づいている。
僕たちは、その後も音楽の話をしながら、夢中でケーキを食べ進めた。
「僕、けいとさんの影響でユーロビートをこんなに好きになったんだよ」
僕がぽつりと呟くと、けいとさんは少し驚いたように僕を見た。
「けいとさんはよく、ユーロビートを流してるでしょ?
世界にはこんなにキラキラした音楽があるんだって知って。
それからだよ、僕が本気で曲を作り始めたの」
「…そうだったのね。なんだか、嬉しいわ」
けいとさんは、心から嬉しそうにふわりと微笑んだ。
その笑顔を見て、僕は胸の奥にしまっていた秘密を打ち明けたくなった。
「…だからね、その影響で、僕が人生で初めて作った曲があってね…」
「え?そんな話、初めて聞いたわ」
けいとさんの目が、興味深そうに輝く。
「どんな曲なの?聴かせてよ」
「ううん、だめ。
すごく個人的で、その時の気持ちが全部入っちゃってるから…。
もう、恥ずかしくて誰にも聴かせられないんだ」
それは、彼女へのどうしようもない恋心が、そのまま音になったような曲だった。
僕にとっては、日記を読み上げられるよりもずっと恥ずかしい。
僕が必死に首を振るのを見て、けいとさんは楽しそうに笑った。
「ふふ、まあいいわ。
私に秘密はダメよ。
いつか聴かせてね。
約束よ」
「え…うん、約束…する」
彼女に有無を言わせぬ笑顔で言われ、僕は頷くしかなかった。
すると、けいとさんは少し意地悪な笑みを浮かべ、小さな声で付け加えた。
「…なんて言ってるけど。
実は私も、個人的すぎて誰にも聴かせられない曲、あるのよ」
「えっ!?けいとさんが!?教えてよ!」
今度は僕が食いつく番だった。
あのクールなけいとさんが作った「個人的な曲」なんて、気になって仕方がない。
僕が身を乗り出すと、彼女は一瞬で顔を真っ赤に染めた。
「い、嫌よっ!
誰にも、絶対聴かせないんだから!」
そう言って、ぷいっと顔をそむけるけいとさん。
その狼狽ぶりは、僕の曲以上に「ヤバい」内容であることを物語っていた。
その必死な姿がまた可愛くて、僕の頭の中では、先ほど浮かんだキラキラしたメロディが、さらに具体的な形を成していく。
(お姉さんぶってつっぱって、僕をいじめるのに…
こういうところ、すごく可愛いんだよな…)
僕を巡る世間の喧騒も、一条零さんの宣戦布告も、今はどうでもよかった。
ただ、目の前でケーキを頬張り、僕の言葉に一喜一憂してくれる、この愛しい人のためだけに、最高の曲を作ろう。
僕のすべてを詰め込んだ、とびきり甘い『CAKE』のような曲を。
僕の決意と、未来への二つの約束が、甘いクリームの香りと共に、この部屋に確かに刻まれた夜だった。




