vol.101 女王の支配、愛の降伏
僕の感情の爆発を真正面から浴びたけいとさんは、まるで雷に打たれたかのように、その場で立ち尽くしていた。
普段のクールな表情はどこへやら、目を見開き、口を微かに開けたまま、完全に僕の言葉に圧倒されている。
彼女の瞳の奥に、驚き、戸惑い、そして一瞬の後悔のような色が浮かんだのが見て取れた。
沈黙がリビングを満たす。
それは、僕の叫びが響き渡った後の、張り詰めた静寂だった。
やがて、けいとさんはゆっくりと、しかし確実に、僕に近づいてきた。
僕の前に跪き、僕の顔を両手で優しく包み込む。
その手は、冷たくなく、むしろ温かかった。
「…けんたろうちゃん…」
彼女の声は、先ほどまでの氷のように冷たい響きではなく、震えるような、しかしどこか甘えを含んだ、か細いものだった。
僕は、その声色に一瞬戸惑う。
「私…ごめんなさい…」
けいとさんは、僕の目をじっと見つめ、そう謝罪した。
その瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいるように見えた。
まさか、あの氷の女王が、僕に謝罪するなんて。
僕は、僕が言いすぎたのか、それとも本当に彼女が反省しているのか、分からなくなり、完全にフリーズしてしまった。
「私、知らなかったわ…
あなたが、そんなに苦しんでいたなんて。
私のことばかりで、あなたの気持ちを考えてあげられてなかった…」
彼女はそう言って、僕の頭を優しく撫でる。
その動作は、まるで傷ついた子猫をあやすかのようだ。
僕は、彼女の反省しているかのような態度に、少しだけ心が揺らぐ。
しかし、僕はまだ抵抗をやめるわけにはいかない。
「だって、けいとさんが僕に構ってくれないから…!
一条さんとか、めぐみちゃんとか、みんな僕のこと、構ってくれるんだもん!」
僕は、まるで駄々をこねる子供のように、半ば泣きつきながら訴える。
僕の本音は、けいとさんにただ構ってほしい、愛されていると実感したい、という純粋なものだったのだ。
すると、けいとさんは、フッと優しく微笑んだ。
その笑顔は、これまでの冷たさとは打って変わって、まるで春の陽だまりのように温かい。
しかし、その温かさの裏に、僕は何か別の気配を感じ取った。
「そうね…ごめんなさい。
私が悪かったわ。
でもね、けんたろうちゃん」
けいとさんは、僕の頬に手を添え、親指で優しく撫でる。
「私、知ってるわよ?
あなたが、誰よりも私を愛しているってこと。
だって、私のために、あんなに素晴らしい歌をたくさん作ってくれるんだもの」
その言葉に、僕はハッとする。
彼女は、僕の音楽が全て彼女への愛から生まれていることを、ちゃんと理解していたのだ。
そして、それを僕への愛情の証として受け止めていた。
「私のけんたろうちゃんは、ちょっと寂しがり屋で、すぐに甘えん坊になるけど…
でも、そこが可愛いわ」
けいとさんは、そう言って僕の唇にそっとキスをした。
そのキスは、優しく、そして深く、僕の心臓を直接掴まれたかのような衝撃を与えた。
僕の頭の中は、一瞬にして真っ白になる。
「だからね、けんたろうちゃん。
これからは、もっとたくさん、私に甘えてちょうだい?
寂しい時は、いつでも私のところに来ればいいわ。
私が、全部受け止めてあげる」
彼女の声は、まるで甘い蜜のように僕の耳に流れ込み、僕の心を満たしていく。
そして、けいとさんは、さらに僕を追い詰めるような、しかし僕にとっては抗いがたい言葉を紡ぎ出した。
「でもね、その代わり、あなたにとっての一番は、永遠に私だけよ?
他の女の子がいくら近寄ってきても、あなたの心は、私から離れない。
そうでしょう?」
それは、僕を甘やかし、慰めながらも、決して譲ることのない女王の宣言だった。
その言葉と、彼女の潤んだ瞳に、僕はもう何も言い返せなくなった。
彼女は、僕の音楽への情熱を、自分への愛と完全に結びつけているのだ。
そして、その愛こそが、僕の音楽の源なのだと、彼女は確信している。
けいとさんは、僕を抱きしめると、耳元で囁いた。
「さあ、私の可愛いけんたろうちゃん。
たっぷり甘えてちょうだい。
そして、私のためだけに、最高の音楽を作り続けるのよ」
彼女の抱擁は、まるで僕を縛り付けるかのような強さだった。
しかし、その温かさは、僕がずっと求めていたものだ。
僕は、抵抗する力を完全に失い、けいとさんの腕の中で、ただ頷くしかなかった。
(ああ、僕は…けいとさんの手のひらの上で、コロコロ転がされているんだ…)
僕は、自分の不甲斐なさと、けいとさんの圧倒的な「女王力」に、内心でため息をついた。
結局、どれだけ不満をぶちまけても、彼女は僕を手のひらで転がし、メロメロにして、そして完璧に支配したのだ。
氷の女王は、僕の愛を試しただけでなく、僕の心を完全に奪い返した。
けいとさんの腕の中で、完全に支配されたかのように見えた僕だったが、最後の最後に、絞り出すような言葉が口をついて出た。
それは、これまでの不満の全てを覆い隠す、僕の心からの、そして最も切実な願いだった。
「…だったら…だったら、結婚してよ!」
僕の突然の言葉に、けいとさんの抱擁がピタリと止まった。
彼女はゆっくりと僕から体を離し、目を見開いて僕を見つめる。
その表情は、先ほどまでの女王の顔ではなく、完全に驚きに満ちた一人の女性の顔だった。
「僕、ずっと…ずっと、けいとさんと結婚したかったんだよ!」
僕は、堰を切ったように、さらに言葉を続けた。
心の中に秘めていた、長年の夢が、今、感情のままに溢れ出す。
「すぐにでもしてよ!
僕、もう、けいとさんがいないとダメなんだ!
けいとさんが隣にいないと、何も手につかないし、音楽も作れないし、生きてる意味もわかんない!」
僕は、半ば泣きながら、けいとさんへの深い依存と、結婚への切なる願いをぶつけた。
僕にとって、けいとさんの存在は、もはや生活の全てであり、音楽を奏でる唯一の理由だったのだ。
彼女がいない世界など、想像すらできなかった。
「僕、全てを捨てても良い!
音楽だって、世間の評価だって、全部どうでもいい!
けいとさんさえいれば良いんだよ!」
僕の言葉は、まるで子供が最も大切な宝物を差し出すかのように、純粋で、そして盲目的だった。
しかし、その情熱は、偽りのない僕の本心だった。
僕の言葉に、けいとさんの瞳に、じんわりと涙が滲んでいく。
彼女は、僕の顔に手を伸ばし、優しく僕の頬を撫でた。
「…けんたろうちゃん…」
けいとさんの声は、震えていた。
その表情には、僕の真っ直ぐな愛情を受け止めたことへの、深い感動と、そして微かな戸惑いが入り混じっていた。
「…私…嬉しいわ。
あなたが、そこまで私のことを想ってくれているなんて…本当に…」
彼女はそう言って、僕を再び強く抱きしめた。
その温かさは、僕の心を包み込み、僕の不安を溶かしていくかのようだった。
しかし、次の瞬間、彼女の言葉には、どこか女王の矜持が混じっていた。
「でもね、けんたろうちゃん。
今はまだ、だめよ」
その言葉に、僕は一瞬にして凍りついた。
僕の頭の中に、僕が16歳、けいとさんが21歳という現実が、冷たく突きつけられる。
社会的には、まだ結婚するには若すぎる。
ましてや、僕らは秘密の交際をしているアーティストだ。
「え…なんで…僕、けいとさんがいればそれでいいのに…」
僕は、再び駄々をこねる子供のように訴えるが、けいとさんは優しく、しかし確固たる口調で諭した。
「まだ早いもの。
あなたはこれから、もっともっと大きく羽ばたいて、世界中の人々にあなたの音楽を届けるのよ。
そして、私もね。Midnight Verdictとして、もっともっと輝かなくちゃいけない」
けいとさんの言葉は、僕たちの将来を見据えた、現実的なものだった。
僕の音楽の才能を愛し、僕の将来を誰よりも信じている彼女だからこそ、今ここで、僕の衝動的な願いを止める必要があったのだ。
「それにね、けんたろうちゃん。
私のために、もっと甘い曲を作って頂戴?
あなたの愛を、全部音楽に込めて、私に聴かせてくれるんでしょう?」
けいとさんは、僕の頭を優しく撫でながら、甘く、そして妖しく囁いた。
その言葉は、僕の音楽の才能を刺激し、僕への愛を、新たな創作意欲へと転換させようとしているかのようだった。
結局、僕は、彼女の掌の上で踊らされていることを自覚しつつも、その甘い誘惑に抗うことはできなかった。
「…わ、わかったよ…」
僕は、不満を言いながらも、けいとさんの腕の中で頷くしかなかった。
結婚は遠い未来になったが、僕の音楽のモチベーションは、これまで以上に高まった。
けいとさんは、やはり僕の唯一無二の女王だった。




