vol.99 女王の玉座、そして試される愛(後編)
けいとさんの甘く、しかし底知れない声が僕の耳元で囁かれた瞬間、僕は完全に身動きが取れなくなった。
彼女の瞳は、まるで僕の魂の奥底まで見透かすかのように、僕をじっと見つめている。その視線から逃れることは許されない。
「ねぇ、けんたろうちゃん。あなたは、私のものよね?」
僕の口から言葉が出てこない。
肯定すれば、彼女の望むままになるだろう。
否定すれば、一体どうなるか、想像もつきたくなかった。
この氷の女王は、僕が何を考えているか、全てお見通しなのだ。
けいとさんは、僕が答えないことに焦れる様子もなく、ゆっくりと、しかし確実に僕を追い詰めていく。
「ふふ、黙っちゃって。
私、知ってるのよ?
あなたが私と付き合い始めた頃は、あんなに私にベタベタだったのに。
最近は、どう?
ちょっと、慣れてきちゃったかしら?」
彼女の言葉は、まるで鋭い氷の刃のように僕の心に突き刺さる。
図星だ。最近、アルバム制作やライブ準備で忙しく、けいとさんにつかう時間が減っていたのは事実だ。
それに、一条零やめぐみとの関わりも増え、どこか心が浮ついていたのかもしれない。
「そ、そんなことないよ!
けいとさんが一番だよ!
ずっとけいとさんのこと、考えてる!」
僕は必死に否定するが、その声は上ずっていた。
けいとさんは、冷ややかな視線を僕から離さず、さらに言葉を重ねる。
「本当に?
でも、昨日のステージで、一条零があなたの曲を歌った時、嬉しそうだったわね。
それに、あなたの振り付けをコピーして、あの笑顔。
まるで、彼女があなたの想いを代弁しているかのように見えたけれど?」
けいとさんの声には、明らかに嫉妬の炎が燃え上がっていた。
彼女は、僕の音楽の才能が、他の女性アーティストたちを惹きつけていることを、最も強く警戒しているのだ。
特に、一条零の存在は、けいとさんにとって、僕の「音楽の魂」を奪われかねない、最大の脅威に映っているのだろう。
「あ、あれは…
一条さんもプロだから、僕の曲を理解してくれたんだよ!
僕とけいとさんの関係とは、全然違うんだから!」
僕は顔を真っ赤にして弁解するが、けいとさんはフッと冷笑を漏らした。
「ふぅん。
でも、あなたの音楽が、彼女の心に響いているのは事実よね?
彼女が、あなたの才能に魅了されているのも。
そして、彼女があなたに惹かれていることも…」
けいとさんの言葉が、僕の胸を締め付ける。
一条零が僕の音楽に深く共鳴しているのは事実だ。
そして、彼女が僕に特別な感情を抱いていることも、薄々感じていた。
だが、それをけいとさんにストレートに指摘されると、僕は何も言い返せない。
「それにね、けんたろうちゃん。
あなたは、最近、私以外の女の子と、なんだか楽しそうに話しているじゃない?
私には、あまり話してくれないようなことを、他の子には話しているんじゃないかしら?」
けいとさんの追求は止まらない。
僕がマネージャーの綾音さんと冗談を言い合う姿まで、彼女は全て把握しているのだろうか。
彼女の視線は、まるで僕の心の中を覗き込むかのように、冷たく、そして鋭い。
「いや、そんなこと…」
「うそつき。
あなたの顔に書いてあるわよ」
けいとさんは、僕の鼻先に人差し指を突きつけ、静かに、しかし有無を言わせぬ調子で言い放った。
「けんたろうちゃん。
あなたが私以外の女の子と、少しでも仲良くしているのを見ると、私、胸が苦しくなるのよ。
私のけんたろうちゃんが、他の誰かのものになるなんて、考えただけで…ゾッとするわ」
彼女の声は、先ほどの冷徹なトーンから一変し、悲しみに満ちた、しかし狂気じみた響きを帯びていた。
その瞳には、僕への深い愛情と、それを失うことへの絶望的な恐怖が入り混じっていた。
「私のけんたろうちゃんは、私が地球上で初めて愛したの。
そして私が初めて選んだの。
私の隣で、私のために音楽を作って、私の歌を奏でてくれる。
それが、あなたの役目でしょう?」
けいとさんの言葉は、僕の才能を認め、僕の音楽を愛してくれている証拠だ。
しかし、同時に、彼女の僕への独占欲が、僕の自由を奪おうとしているかのような感覚に襲われる。
「…けいとさん…」
僕は、彼女の複雑な感情を理解しつつも、言葉に詰まってしまった。
この状況で、どうすれば彼女を納得させ、安心させることができるのか、僕には全く分からなかった。
けいとさんの表情は、まるで氷の女王が、その感情の全てを僕にぶつけているかのようだった。
僕の愛が、今、試されている。




