vol.9 音楽で夜が燃えた日
夜23時。
都市が呼吸を緩める時間。
サラリーマンがネクタイを解く。
学生が教科書を閉じる。
世界が「眠り」への準備を始めるその隙間。
いよいよ、ドラマ『コスモ・シンフォニー』の初回放送日。
タイトルだけは壮大だが、深夜枠の無名作品。
期待する者は、ほとんどいない。
――この瞬間までは。
画面の隅にタイトルロゴが浮かび上がる。
宇宙空間の映像がゆっくりとフェードインする。
次の瞬間——
炎が走る
『FIRE ON THE MERCURY』
燃え尽きる星に 孤独きりで
振り向けば昨日が 遠ざかる軌道
沈黙の夜は 祈りも届かず
胸の奥でだけ こだまする鼓動
重低音が腹に響く。
シンセが空気を切り裂く。
ユーロビート。
だが、今まで聴いたことのない密度で、空間を埋め尽くしていく。
画面には宇宙。
燃える惑星。
孤独な軌道を描く、ひとつの光。
流れるのは、今まで聞いたことのないような、それでいて壮大で浮遊感のある重厚なサウンドだった。
FIRE ON THE MERCURY
光と闇を裂いて 叫べ
絶望さえ焼き尽くす この炎で
孤独じゃない
星の彼方へ響け 疾る命で
夜空を焦がして 未来だけを信じるんだ
リビングで缶ビールを片手にしていた誰かの手が止まる。
スマホをいじっていた女子高生の親指が、画面の上で氷像のように固まる。
テレビの前で、誰かが息を呑んだ。
誰かが立ち上がった。
誰かが、画面に釘付けになった。
また、誰かが……
「……なんだ、これ……」
声にならない声が、日本中で漏れていた。
今まさに「何か」が燃え上がっている。
「なんだこれ……!」
「何この曲! めちゃくちゃカッコいい!」
「ユーロビート……なのに、スケールがバグってない?」
「サビで鳥肌やばいんだけど」
視聴者たちは、まだバンド名も知らない。
けれど、名前より先に、この音だけが、彼らの夜に焼き付いた。
梓は、自宅のテレビの前で固まっていた。
息をするのも忘れていたことに、サビが終わってようやく気づく。
胸の奥に、知らない炎が灯っている。
熱くて、痛いほどの炎が。
先日、CMで聴いたときの「なにこれ!」という衝撃。
あれが、何十倍にも増幅されて、自分の中で爆ぜていた。
(この曲……!こんなの、今まで聴いたことない!)
音が、彼女の記憶を引きずり出す。
公園で見た、どこか遠くを見つめる横顔。
学校で廊下をつまずいていた、頼りない背中。
そして、Synaptic Driveのシルエット。
バラバラだったピースが、オープニング映像の中で、ひとつに重なろうとしていた。
まさか。
本当に……?
もう一度、画面を見る。 クレジットが流れる。
作曲:けんたろう(Synaptic Drive)
カタン。
梓の手から、リモコンが落ちた。
♪ ♪ ♪
「ふふ……ふふふふ……!」
綾音は、画面の前でにやけていた。
もはや抑えきれない。
「どうですか、世間の皆さん!
これが、けんたろうくんの音楽ですよ!」
誰にも届かない声で、彼女は叫んだ。
涙が出そうになる。
いや、もう出ている。
二人三脚で歩んできた日々。
誰にも知られず、地下で燻っていた時間。
それが今——
「やっと……やっと、届いた……!」
綾音は両手で顔を覆った。
テレビの音だけが、部屋に響いている。
♪ ♪ ♪
静寂に包まれた一室。
一条零は、テレビの前に座っていた。
零は、目を閉じた。
音が、全身を貫いていく。
血が、逆流するような感覚。
いや——違う。
これは、帰還だ。
何千年も宇宙をさまよっていた何かが、ようやく還るべき場所を見つけた——
そんな感覚。
「……来た」
彼女は、小さく呟いた。
震えているのは、声か、それとも心臓か。
零はそっと目を閉じる。
「遥かな時を超えて——」
そこで言葉が途切れる。
言葉にしようとすると、こぼれ落ちていく。
音楽は、言葉より先にある。
彼女はただ、胸に手を当てた。
「私の耳は、間違っていなかった」
その声は、祈りに似ていた。
激しい喜びではなく、まるで神聖な儀式に臨むかのような…
静かで荘厳な共鳴だけが起きていた。
「魂が、声を上げている。
この音の前では、私もまた…ただの聴き手だ」
誰にも届かない、祈りのようなため息。
「——ようやく、出会えた」
彼女の瞳は、興奮と確信の色を宿していた。
感情を露わにすることは滅多にない一条零が、明確に、そして力強く呟いた。
♪ ♪ ♪
オープニング曲の衝撃が覚めやらぬまま、ドラマは本編へ。
孤独な宇宙飛行士が、地球の恋人を想う胸焦がれる物語。
そして、物語の終わりには、さらに心を揺さぶるエンディング曲が流れた。
『UNIVERSE BOY』
I’m a UNIVERSE BOY ひび割れた空へ
誰にも見せない 炎で走る
あの人の光が 眩しすぎたから
今度は俺が 夜を焦がす番だ──Fly High!!
さっきまでの重力が嘘のように、音が浮遊する。
無重力のダンス。
宇宙服を脱ぎ捨てて、星屑の海へダイブするような開放感。
同じバンドなのか?
だとしたら、この引き出しの多さは何だ?
そんな戸惑いと興奮が、画面の前のあちこちで同時に生まれていた。
【ネット民の反応】
「ドラマやばかった!内容入ってこないレベルで曲が神!」
「なにこのOP!? 水星の炎とか厨二全開なのに音がガチすぎる」
「EDの『UNIVERSE BOY』で泣いた……歌詞が刺さる」
「Synaptic Drive? 誰それ、新人? クオリティがバグってる」
「プロデューサー、けんたろうって誰だよ!? 天才か!?」
「Midnight Verdictの二番煎じかと思ったけど、こっちは熱量が違うわ」
「一条零が言ってた『気になる作曲家』って、もしかしてこのバンドのこと?」
「うわ、ありえる! 零様の耳、マジで神だろ……」
「こんなクオリティの曲を2曲も提供するとか、どんだけ才能あるんだよ…!」
「Midnight Verdictファンだけど、Synaptic Driveもめちゃくちゃ良いな。これはユーロビートブーム来るぞ!」
「これってMidnight Verdictの二番煎じじゃね?」
「確かにMidnight Verdictとは方向性違うけど、どっちもアツい!もうユーロビートしか勝たん」
【メディアの反応】
「ドラマ『コスモ・シンフォニー』、主題歌にSynaptic Drive抜擢で大ヒットの予感!」 (TVウォッチャー) 本日放送開始されたドラマ『コスモ・シンフォニー』のオープニングテーマ『FIRE ON THE MERCURY』とエンディングテーマ『UNIVERSE BOY』を手掛けた新人バンドSynaptic Driveが、放送直後から大きな反響を呼んでいる。その革新的なユーロビートサウンドは、視聴者を瞬く間に魅了し、早くも音楽チャートでの躍進が期待されている。
「一条零、その予言が的中か!? 彼女が語った『気になる作曲家』はSynaptic Driveの『けんたろう』だったのか」 (週刊エンタメExpress)
先日、一条零がテレビ番組で言及した「気になる作曲家」について、ドラマ『コスモ・シンフォニー』の主題歌を担当したSynaptic Driveの「けんたろう」である可能性が浮上している。
もしこれが事実であれば、一条零の音楽的審美眼の高さが改めて証明される形となる。
二人の間に今後どのような関係が生まれるのか、注目される。
(音楽評論家/佐野美月)
♪ ♪ ♪
一条零の元に、真壁から電話が入った。
「零、聴いたか。
面白いじゃないか、あの音は。
荒削りだが、今のシーンに媚びていない。
本物の衝動がある」
「ええ。私が言った通りでしょう?」
静かながらも、零の声には揺るぎない自信が宿っていた。
「ああ。お前の耳は確かだ。
…ところで、俺がプロデュースしている音楽特番、もう一枠、彼らをねじ込んでみようか」
真壁の言葉に、零は何も言わなかった。
だが、それが答えだと知っているように、真壁は続けた。
「お前が魂の対話をしてみたいと言うのなら、舞台を整えるのが俺の仕事だ」
「──彼と同じ舞台で?」
「偶然じゃない。
必然が動いている。」
「……ありがとうございます、真壁さん」
零は静かに笑みを浮かべた。
「ようやく――【音楽で対話】できる時が来た、ということですね」
「礼には及ばん。
俺も見てみたいんでな。
予測不能な二つの星が衝突した時、一体どんな光が生まれるのかをな」




