2 ――資産家の国『ビッツ・ゲイル』――
倭皇国が黄金の国と呼ばれるのは、その名の通り、黄金がどの国よりも段違いに多く採掘されるからである。
それ故に、世界規模で拡大されている銀行の殆どは倭皇国の支部であり、出回っている金貨、銀貨、胴貨などは殆どが倭皇国製で、それ故に、名は売れて国も飛びぬけて豊かで、他国の追随を許さないでいる。
だがそんな国よりも遥かに名高いのが、都市国家である『ビッツ・ゲイル』。貴族と資産家の町と通称され、その通り、町の殆どはお金持ちが占めている。
国の権力者は『ビッツ・ジェルマン』で、それを含める5家の貴族が国の主たる政治を握っていた。
この国より少しばかり離れた土地にある、工業都市『ビミシツ』の支援団体でもあるが、その実、抱えている資産を全て使い、工業都市を作り、発展させたのがジェルマン公爵の先祖であるビッツ・ゲイルであると言う事はあまり知られていない事実である。
その以下に資産を持て余す資産家たちが多数控えている。誰もが、その貴族の席に我が子を座らせようとする画策を孕んでおり、それをより有利にするためか、世界的にも少ない学習機関が存在している。
特産物は『絹』。蚕を育成する職業と機織業は兼ねられているが、その出来栄えは世界に誇る。
「……随分あっさりと入れたもんだな」
巨大な門は開放されており、その両脇に立つ、全身を紺色のコートに包む門兵に見守られながらハイドたちは入国した。
貴族の町だとか言われるので、どれほど厳しい審査や検査があるのかとヒヤヒヤしていたが、それが全くのスルーなのでハイドは逆に肝を冷やしていた。
泳がされているのではないか、あからさまに怪しいので尾行されているのではないか、と不信感を抱いていた。勿論、あからさまに怪しいなんて自覚は毛ほどないし、その事実はないのであるが。
――――街の通りは広く、地面は綺麗なレンガ畳。人通りはそう多くは無いが、適度に賑わっていた。
入って直ぐのところには、武具屋や道具屋がおざなり程度に置かれていて、また少しばかり歩くと宿屋が複数建てられていた。
歴史的に古いこの街は、どうやら貿易都市のモデルとなったらしい造りであった。
そう考えると、馬車も人も多く通れる通りや、中心部に近づくにつれて多くなる商店、そこらかしこ、離れた位置の一角を占める宝石や武具などの大型店舗は物流を滑らかにするような造りであった。
「入り口から中央公園までは近いけど、他は遠いわよ。北は貴族が慇懃丁寧な関係を送るために街からは離れてるし、東はお金持ちの住居地。西は一般人の住宅街だから」
「あ、やっぱ入り口は南なんだ」
「南は太陽が一番高くなるからね。敬遠されがちなのさ」
「勉強になりますね」ノラは笑顔で頷くと――――。
ドン、と前から来る不注意な影に彼女はぶつかった。悲鳴を上げて、本来踏むはずだった地面を掠らせて、尻から地面に倒れていこうとすると――――不意に、素早い何かがノラの腰に回って彼女を支えた。
「申し訳ございません、お嬢さん。私の不注意でこのような失態を……」
透き通るような声を鳴らす男は、気障に帽子を脱いで深く頭を下げ、その帽子を胸に押さえるように構えて、
「旅の方ですか? このような無礼を働いた謝罪に、私の屋敷に招きたいのですが――――ああ、不躾に申し訳ございません。私は『テール』、しがない役所の職員です」
一方的なことを申してこられたので、ハイドは直感した。
「シャロンさん、コイツ典型的なナンパやおふう」
伝えようとする前に、頬へと鋭いストレート。ハイドは大きくバランスを崩しながら地面に倒れかけると、その腕を掴まれて――――そんな親切が、逆にハイドの関節を外しかけた。
受身の体勢を強制的に解除され、さらに地面に倒れることを邪魔するように腕を掴まれて、肩に衝撃が走る。
地味すぎる痛みにハイドは思わず呻き声を上げると、
「大丈夫ですか?」
男はしてやったりという笑顔を浮かべた。
ハイドは立ち直ると、男は手を離す。そんな様子を見て、ハイドは握手だと、手を差し伸べた。
「ありがとうございます。助かりました」
男は一瞬、隠せない怪訝な表情を浮かべた後、その上に塗りたくった笑顔で握手に答える。ガッチリと手を握った瞬間、その手は万力の如き力で締め付けられていた。
「い、いえ……なんのこれしき、紳士の嗜みです」
「しかし誠にありがたいお誘いなのですが、我々は既に宿が決まっているのです。既に予約したことを取りやめにするのは相手方に『失礼』ですから、また今度、機会があったらお誘いください」
紳士ならば、そこらへんの礼儀はわかるだろう? そう馬鹿にする様に、言いたい事を丁寧に言ったハイドは、乱暴にテールの手を離す。そうすると彼は、「残念です」とだけ言い残して、その場を去っていった。
「――――い、いつ宿が決まったのですか?」
暫く歩いて、宿を選定している最中でノラは驚いたように問う。その時間差もさながら、ハイドの台詞を真に受けていたことに驚き、ハイドは軽く息を吐いた後、
「あと十分くらい後かな」
「え、えぇ? そ、それだとまだ決まっていないって事に――――」
「貴女を助けるために言った嘘よ。ね、そうでしょう?」
「あ? いや、どっちかっつーと野郎とあんま関わりたく――――」
ハイドは言葉に詰まる。問われて向いた先のシャロンの瞳が恐ろしいほどに鋭かったので、ハイドは慌てて言いなおすしかなかったのだ。
「あぁ、その通りです。ノラ? 純粋なのはいいことだが、1つ教えておこう。知らない人には着いて行っちゃダメなんだ。あと知らない人の言う事を信じちゃダメだ」
「わ、わかりましたっ」
シャロンは――――少しばかり、心配する。テールというあの男。役所の人間らしく、資産家の1人だろう。表面上は丁寧だったので問題にはならないが、逆恨みでもされたら面倒だな、と。
だが肝の小さい人間なら、ハイドに恐れをなして逃げるだろう。シャロンが同じ事をするより、ハイドがする分には効率がいい。それはノラの恋人とも取れるし、男であるからだ。
女は、どれほど完璧な強さを持っていても、やはり女としての弱さがあると侮られてしまう。それを否定するのは女性としてどうかと思うが、シャロンはソレがどうにも納得がいかないのであった。
「さて、んじゃ俺は仕事斡旋所を探してくるわ」
それから少しして、無事に宿を見つけた一行は、休憩を取っていた。
中央公園から程近いそこは、値段不相応の客室の綺麗さがあるのがいい所だが――――1部屋である。
つまり、1つの部屋にベッドが4つ。1つは空くのだが、その部屋しか空いていなかったのだ。
今更気にするということは無く、浴室とトイレも着いているので、ここに決定した次第である。
「今からですか?」
窓から見える外はまだ明るいが、少しすればその空は紅く染まるであろう気配を見せている。
「あぁ、個人情報書いて短期登録するだけだから。まぁ、そんな遅くはならないよ」
仕事斡旋所は、ハイドの言ったとおりの手順で登録できる。短期の場合、その街にいる期間のみであるが、長期で登録すると、その証明書が渡されて、どの国でも仕事を受け賜る事が出来る。
ハイドはその証明書を持っていたのだが――――自分の居た形跡を消そうとする本能から、ロンハイドでそれを捨ててしまった。
「それじゃ、行ってくるわ」
「なら、武器は置いていってくれない?」背を向けて手を上げるハイドに、シャロンは彼が腰に携える剣を指差す。そしてこう付け足した。「それだけでも下手な揉め事は起こる確率を上げるから」
「了解」
適当に返事をして、ハイドは腰に対して直角に装備する鞘のベルトを外して、それをそのまま空いているベッドに投げて、宿を後にした。