9 ――旅の再開――
やがて順調に時間が過ぎ、日が経って船の修復は万全に。そうして東の大陸に向かう準備は整っていた。
宿を引き払い、ハイドたちは随分と世話になった如月の元へとやってきている。無論、今までの礼と別れの挨拶をするためであった。
長いようで短い一週間はそんなことでようやく幕を閉じるのである。
「そんな、挨拶だなんて、わざわざ申し訳ございません。こちらこそ皆様方のお陰で楽しい時間を過ごせました」
如月は改まってハイド達に頭を下げる。そんな丁寧な仕草にハイドは微笑みながら頭を下げ返した。
「それなら良かった。いや何、色々と助かったからな。貴女が居なければ今の俺は存在してなかったかもしれない」
「お褒めの言葉をありがとうございます」
彼女はハイドの言葉を否定して謙虚に出ようとするが、考えて、やめる。それはハイドが純粋に礼を申しているためであり、それに首を振るのは失礼に当たるからだと理解しているからである。
そうしてそれぞれが、思い思いに別れを告げて、
「それじゃあ、これで失敬。また会える事を願いますよ」
「はい、それでは私は、皆様方がいつまでも健やかに過ごせることを祈って居ります。そしてまた、巡り合わせがあるようにとも」
――――そんな台詞に後ろ髪引かれるような思いを抱くが、またそれぞれが別れの言葉を紡いで背を向けるので、ハイドはそれに流されるまま、神社を後にした。
大海原を掛ける一隻の船は、改めて見るとその速度は驚くほど速かった。
海風が身体を撫ぜる――――と言うより嬲る。ハイドはソレを感じながら、湧き上がる吐き気に立ち向かって甲板の先端部分に突っ立っていた。
そして間もおかずに負けると、船尾まで全力疾走して、朝食を控えめに吐き出す。
「くそ……、船がなんだというのだ」
「情けないことこの上無いな」
背後から不意に声が掛かる。呆れたように言う台詞に振り返ると、そこにはソウジュが肩をすくめてハイドを見ていた。
「だがな、前は血すら吐いてたんだ。それに比べリャこんな事ァ屁でもねェ」
「ああ、毒に侵されて――――、お前、その時の吐しゃ物は一体どうした? 医務室に行った時、確かに臭かったが、ソレは見つからなかったんだが……」
真剣な目つきに、何かを恐れる様な、また怒りを孕むような声質でソウジュは問いかける。どんな感情が渦巻いて、また何が原因でそうなっているかは分からないので、ハイドはそのまま事実を口にする。
窓から流して捨てたと言うその本当を。
すると――――ソウジュは目を開いて信じられないものを見たという眼でハイドを見ると、また今度はそんな事をさせた驚愕が通り過ぎたように、目を閉じて溜息をつく。
そうして、注目を引くように人差し指を立てて、口を開いた。
「いいか、無知なお前に教えてやる。この海域には海龍というとんでもなく強い化け物が居て、そいつは血の匂いに敏感なんだ」
「へぇ、それじゃソイツがうっかり下を噛んで出血したら大変だな」たははと笑うハイドに、ソウジュは大きく、また息を吐いた。
「人間の血に敏感だと訂正しよう――――そして、何故、この船が陸地に停まってまで修理が必要になったかわかるか?」
知らなかったのだから責めるわけには行かないのだが、ソウジュはハイドにそう言わずには居られなかった。
「そぉい!」
ハイドはソウジュの顔間近で手を叩く。いわゆる猫騙しをすると、ソウジュは驚いて仰け反り――――。
「俺は無実だ!」
その脇を通り抜けて逃げようとするが、不意に伸びた足につまづいて、ハイドは盛大に転んでしまった。
額を打ち付ける。うずくまろうと胸に引き寄せた腕の肘が見事なまでに鳩尾に打撃を叩き込んでいて、酷く苦しい。
「視界を奪ったのに相手に声で位置を知らせてどうするんだ」
「お前にとっちゃいいハンデだろう?」
腕を床に立てて、コンパスを回すように半回転。顔をソウジュに向けてハイドは腰が引けたまま、鼻を鳴らしていた。
やれやれ、ソウジュは肩をすくめて息を吐くと、
「まあいい、だが覚えておけよ。強い奴は何も、力があるだけじゃあないってことを」
ハイドの横を通って去っていこうとする。そんなクールな仕草にハイドは何やらイラっと来て――――足払いをする。
しかしそれは難なく避けられてしまって――――ハイドはその襟元を掴まれるや否や、船のヘリに押し付けられた。海に落とさんとする勢いと力の方向を持つソレに、ハイドは必死に抗いながら謝った。
「悪いすまなかった、いや出来心なんだよ。ちょっとした悪戯がしたくなって、まさか海に落としたりしないよね? 許してくれよ、ハハハハ」
「テメーに言う事はもう何もねえ。……とても哀れすぎて――――何も言えねぇ」
ハイドはそのまま反省の意を込めて海に突き飛ばされた。――――流石にやりすぎだと思われたが、
「油断したな馬鹿が」
――――海に落としたはずなのに、水柱が立つ事がなく、また水面がはじける音がない。それに疑問を持つ時は既に遅かった。
台詞が、自信満々の声が下の方から聞こえてきて、ソレは船の外板をよじ登ってソウジュの前に姿を現わして、飛びかかろうと、重心をより強く前に掛けて外壁を蹴ると――――足を滑らせた。
鈍い音が響いて、ハイドはまたもやその鳩尾を強く叩きつけられる。
船のヘリに胸を強打したハイドは、悶絶する表情を浮かべたままズルズルと引きずられるように船の向こう側に姿を消して、やがてボチャンと、静かに音が鳴った。
「さすがは勇者と言う所か」
ソウジュはハイドが居た方向に皮肉っぽく呟く。だが当然、返答は無く、彼は短時間でついた多くの溜息にまた1つカウントを増やしてから、近くの、縄につながれている浮き輪を海に放り投げてから船室へと向かった。
「――――死ぬかと思った」
十数分掛けてよじ登り、元居た場所へと戻ってきたハイドは、精根尽き果てたようにその場に寝転がる。
だがそうしているのもあとわずかであると、ハイドは空を眺めて思う。
ハイドが上る際に見た船首の向こうには、早くも広大な大陸が広がっているのを見たからであった。