5 ――まっすぐな気持ち――
如月がまた懐から何かを取り出すと、ハイドがソレを認識する間も無く地面に叩きつける。すると一瞬にして精神世界は純白の輝きに包まれて――――。
現実世界で、つい先ほど倒れたばかりの如月はそれほどの”間を置かず”に身体を起こした。
一週間ほど続く、妙に蒸し暑い初夏の夜は今夜もそうであって、やはり流れていた汗を拭い、彼女は立ち上がって髪を掻き揚げる。
そんな仕草に、如月は熟れた女の艶かしさが見えるようで、だが彼女はそんな自身の魅力にも気づかずに、ハイドを見つめていた。
ハイドの肌の濃い紫色は消えていて、人としての肌の色が出ていた。血色が良く、どことなく清楚な顔立ちを月の光で見て、それから裸である上半身を見ると如月は頬をぽうっと赤らめる。
その中で――――ハイドは静かに瞳を開けた。
しばらくそのまま穴だらけの天井を見上げていると思うと、おもむろに起き上がって、自分の身体を眺める。
現実世界では、この国に来てたったの2日であった。
それなのに、ハイドはショウメイと話していた時間は1週間にも1ヵ月にも感じていたのだが、また考えてみれば、確かに一瞬であったようにも思えてきて、そんな儚さに、ハイドは湧き出る感情を抑えることが出来ないまま、声を殺して泣いた。
その瞬間を、如月は見逃さなかった。
ハイドがその感情を高ぶらせ、表に出した瞬間――――肌の色は瞬く間に高貴の色に染め上げられていく。そんな現象に目を疑いながらも、彼女は息を呑んで、
「貴方の身体は、未だ彼女に蝕まれております。どう致しましょうか?」
払いましょう。そう言おうとして、先ほどの否定的過ぎるほどの疎外感を過ぎらせてしまい、『どう致しましょうか』なんて言葉を口走る。
よくよく考えれば、彼の意識が戻った以上、如月に強制する権利は無いのでなんら間違いは無い。そうして如月は、未だ彼が『人間に戻りたい』と考えている、そういう幻想を抱いていた。
彼が返答するまで、彼女が彼の本当の声を耳にするまで、数分を要して、ハイドはようやく口を開き、
「…………いい」
「え……?」
それだけしかない返答を、彼女は聞き逃したかと思って、聞き返す。するとハイドは、元の血色に戻って、
「このままで良い」
純真な彼女の胸を貫くような微笑でそれだけ告げると、ハイドは上が裸のまま立ち上がり、それを気にした風も無く外へと出る。
そよぐ風を全身で受けるように両手を広げると、大きく息を吸い込む。そうして全てがすっきりしたように、明るい月明かりの下で如月に振り返った。
「迷惑を掛けたようで悪かった――――そこで、もう1つ、ついでに迷惑を掛けて行きたいと思う……と言っても、直ぐにじゃあないし、ただココに来るであろう奴等に言伝するだけだ」
彼が言葉を紡ぐたびに、その先に何を言おうとするのかが予測できる。ハイドの台詞が終わりに近づくにつれ、それが明確に、さらに確信を持てる形となって、
「あ、あの――――」彼は如月の静止を呼びかける声すら無視して、自分勝手なまでに続けて、自分勝手に言い放つ。
「俺は暗黒面に堕ちたって事にしてくれ」
ハイドはそのまま彼女の答えを聞かず、空を見上げる。体中に魔力を纏い、意識を集中させると――――視界の脇から何かが飛び出してきた。
それは恐ろしいと感じるほどの速度で飛来し、ハイドの意識をソレに集中させ、また恐怖を感じて固まった筋肉は思うようにハイドに身動きさせずに――――鏃の無い矢は見事ハイドのわき腹を穿った。
一瞬にして肺の中の空気を全て吐き出して、身体が仰け反る。
倒れていく中で受身をとって立ち上がり、大きく息を吸って矢が放たれた方向を睨むと――――少女が今にも泣き出しそうな顔で、矢を放った格好のまま立ち尽くしていた。
次いで傍らに、続々と見覚えのある姿がやって来て、
「今まで出してあげてた道具代に宿代、それに今回のお祓い代すらも踏み倒して行くつもりかい? だったら――――身ぐるみを置いていってもらわないとね」
シャロンは言いながら、一番最初に出会った際に使用していた槍を手に、その切っ先をハイドに向けた。
「今回、お前を運んでやったのは俺だ。それが恩だとは情けなさ過ぎて言いたくは無いが、礼の一言も言えんのか?」
ソウジュは音を立てて鞘から刀を抜く。月に光る白刃は、酷く寒々しさを放っていた。
「別に、アンタには用も無いし、恩も無い。だからどうでもいいんだけど……、アンタがそういう選択を取るってコトは非常識すぎ。だからあたしが――――」
次いでアオが口を開く。言葉が体を為すように、確かに巻き込まれて面倒だという格好で言葉を放つが、それはノラに遮られた。
「ハイドさんっ! ずっと傍に居てくれるって、言ってくれたじゃないですか! なんで、なんでまた1人で……」
俯いて、流れ出そうになる涙を必死に抑える。ハイドはコレを見て、改心して歩み寄ればまた仲良く今までどおりいけるんだろうなぁ、なんて、どこか冷めた頭で眺めていた。
「残念、ありゃ勇者サマのお言葉だ。今の俺は半分魔族、人間ですリャない……って、別に同情してくれって言うわけで言ってるわけじゃねぇ。魔族と人間は相容れない存在なんだよ」
分かるか? そう茶化すように、身振り手振りで続けてみせる。
「コイツは竜人族とか鬼人族、ましてや獣人やエルフでもない。そもそも人という存在なのかすら……」言ってて、どうにも自虐要素が抜群だと思えて、言葉をとめた。
その間に自分の発言権を相手に奪われるかと考えて、ハイドは矢継ぎ早に言った。
「つまり、俺は人間をヤめたんだ」
ああ――――復活したのはいいが、やはり頭がバカになってしまっているな。そう脱力してから、彼等の返答に耳を傾けた。
「おいおい、人間をやめればこの世界から逃げられると思ってるのか……? 御目出度野郎だな。たとえお前が何であろうと、お前であることには変わりない。だから……」
最もな意見だ。ハイドはそう頷いた。そうして――――自分が言ったときの、ショウメイの心情がよく理解できた。
それは深い絶望であった。変わりたい、頑張れば変えられる、そういう希望を持っていたのに、それを励ましだとか、相手を認める言葉だとか勘違いしたオメデタ野郎に全てを潰される。
それはハイドの脳のめぐりが悪いかもしれないが――――少なくとも、今にも死にそうだという状況では、ハイドは自分が認められている、自分はこのままで良いのだと思えなかった。
思ったら、今まで出来なかった、認められていなかった自分の全てを否定されたような気がするから。
「俺バカかも」呟いてうな垂れる。元より、彼ら彼女らの言葉で心が揺らぐと思っていないので、ハイドは適当に今までを整理し始めると、
「話を聞きなさいな」
不意をついて懐に潜り込んだシャロンは、ハイドの顎に綺麗なアッパーカットをくれてやる。勢い良くはじけ飛び、ハイドは脳をぐらぐらと揺るがしながら、曖昧な受身を取って地面に落ち着いた。
「しゃ、シャロンさん! 暴力は……っ」
「痛くないとわかんないのよ、このお勇者サマは」
「確かに」ソウジュが鞘を抜き捨てて歩み寄る。ハイドが立ち上がる頃には、前と後ろとを囲まれた状態になっていた。
「み、皆様……、この境内でそのような行為は謹んで――――」
「外野はすっこんでろ」本殿の前で立ち尽くす如月にハイドは凄んだ。吐き出しそうになる『ショウメイを殺したくせに』という台詞を飲み込めたのは、自分でも評価してもらいたいところであったが、そんな事を誰にも言えるはずがなかった。
それから繋がるように――――精神内での事を思い出す。ハイドはまた、感情の膨張を感じて、それを抑えることなく全身を満たした。
その身体は、禍々しくも美しい紫に染まって――――シャロン達はただただ、ソレに目を見張るだけであった。
皆の反応を一通り見終えたハイドは、わざとらしく溜息をついて見せては、一言漏らす。
「仲間だと思っている奴に、そういう目を向けていいのか?」
冷たい視線は、そんな台詞によって消え失せて、誰もが顔を伏せた。シャロンでさえ驚きの余り視線をずらしたのだが――――1歩も動かなかったノラだけは、彼女等とは意味の違う視線を投げている。
「ハイドさんは自分が変わったと言ってますが、わたしには何が変わったのかわかりません。わたしは鈍感なんでしょうか……?」
一瞬何を言っているか分からなかった。ハイドはそうして歩み寄ってくるノラを見つめ返して、
「ま、究極的に言えば何も変わっちゃ居ないがな」ハイドは邪悪な魔力を迸らせると、それを辺りに放出する。「一般的に言えば転職だ」
勇者から、魔族への。対極な位置へ移動したハイドであったが、彼の言うように、心境の変化は自分でも確認できなかった。
ただ、より一層、仲間は要らないと、作りたくないと思うようになっただけである。
「ハイドさん、冷たい……」
そっと腹に触れて、嘘のような冷たさにノラは呟いた。そして彼女は、まるで死んでしまったものに流すような涙を流し始める。
「すごく、心配しました……。何も出来ない自分が、酷く無力で」
蘇るショウメイとの記憶。彼女が消えていくときに、同じ事を過ぎらせていたことを思い出して――――そうして連鎖するように、ノラの暖かさに触れた気がした。
身体の色が、人間のモノに戻っていく。
今まで身近で死んだ1人の友人と、1人の魔族。何かあるたびに思い出して――――その思い出す姿を浮かべてみて、それが非常に女々しく思えたので、ハイドは気恥ずかしそうに、全ての発言を取り消したい衝動に駆られた。
自分が何をしたいのか、この身体になったからどうなりたいのか、ソレすらも見えていないのに、また勝手なことを言っていた自分を戒めようと大きく息を吸って、空を見上げた。
「明日の朝には必ずここに戻る」
ハイドはまた、返答を待たずにその場から一瞬にして姿を消す。ハイドに触れていたノラはバランスを崩すように倒れかけて、シャロンに手を引かれた。
ハイドが見上げた空を、ノラが見る。そこはまだ、冷たく、吸い込まれそうなほどの漆黒で、だがどこか安心するような月明かりがほのかに暖かかった。