4 ――自分でいていい証明――
やがて日が経ち、再び夜。如月真宵は真新しい巫女服に、大麻を手にしてハイドの横に立つ。
ハイドは上半身裸の状態で、その腹には墨で事細かい魔方陣が描かれていた。
本殿の修復はしておらず、近場に提灯をを下げて灯かりを確保するのみ。
辺りが静かで、心を落ち着かせた頃に、如月は儀式的にハイドの身体を大麻で撫ぜ始める。
――――障壁で囲っていたせいで、ハイドの禍々しく増量した魔力に気づけずにいた如月は、それに侵されそうになりながらも呼吸を正してソレを続け、
「それでは、失礼致します」
大麻を横に置き、ハイドの隣に正座する。身体は魔族の色に染まり、生気を感じない。呼吸は止まっては居ないが、しかし量が圧倒的に少なかった。
そうして、腹に手を置く。体温は無いように冷たいが、肌触りは人間そのもの。そんな妙な感覚に呆然としながらも、また気を引き締めて――――魔力を放出、そして魔方陣を展開した。
黒い墨は明るく、白く輝き、やがて本殿内を光で覆いきるほどの光量を放出して、徐々に失せていく。
光が治まると――――如月はハイドに沿うように倒れていて、ピクリとも動かなかった。
深遠なる闇よりも重い黒。何処と無く落ち着かない空間。自身の身体を見る事によって心を落ち着かせながら、如月はそこ――――ハイドの精神の中を進んでいった。
予想していた拒絶反応が無いことにほっとしていると――――ソイツは直ぐにやってくる。
『これはこれは、随分と可愛らしいお客様だねぇ』
姿が見えないのに、声が聞こえてくる。そして女の声だ。これこそが――――ハイドを蝕む元凶だと理解して、懐か護符を引き抜いた。
そうして強く念じると、紙は青く燃えて、だが消えることなく形を変える。やがてソレは、薙刀の形に落ち着いて、如月の手に握られた。
「貴方を退治しにやってまいりました」
ひたすらに暗いそこを睨みながら告げる。すると間髪おかずに、男の声が響いた。
『誰だか知らんが、余計なお世話だ。勝手に俺の中に入って来るな』
「安心してください。私はこう見えても、結構力はあるのです」
全くもって見当違いな返答。ハイドは見知らぬ如月の心配をしたのではない。本当に、自分がこれからしようとしていた事を邪魔されて不満に思っているのだ。
唯一姿を見せる少女はまだ若い。そして言葉遣いから、恐らく純真でお人よしなのだろうと察して――――このタイプを追い出すのは骨が折れるなと溜息を吐いた。
力が扱えないが、ショウメイはどうなのであろうか? もし使えるのならば追い出して欲しいが――――もしそんなことをすれば、ハイドの精神が壊れてしまう恐れがある。
以前にも言ったが、復活できても頭がバカになってしまっては困るのだ。
『この捉えどころの無い存在とどうやって戦うってんだ? そんな物理的な武器で。振って精神的攻撃が出るわけじゃないんだろ?』
だから、お前には敵わない。退治しようがないのだと伝えようとするのだが、
『それも面白そうだけど』
ひたすらの闇。その中で光が収縮し始めて――――それは瞬く間に人型を形成。
如月の前には、以前と変わらぬ破廉恥な格好をしたショウメイがその姿を具現化させていた。
『やっぱり、真っ向勝負ってのもいいじゃない?』
『てめーどうやりやがった。教えろ!』
『私たちは異物で、単体としてここに居るからできるけど、坊やはこの空間全体と一体化してるから無理よん。あんまり痛くしないから、我慢しててね』
彼女は嬉しそうに微笑んだ。『空間と一体化』、そういわれてみれば、彼女らの姿は意識せずとも捉えられていた。視界の端に見えたという事でもないし、突然前に出てきたというわけでもない。
ただなんとなく、出てきそうな場所が予測できて、そこに目を向けるというか、意識を集中すると、その通りに出てきた。恐らく、精神エネルギーの収縮だとか変換だとかの作用が加わっているのだろう。
そしてハイドは、視覚的に見ているのではない。脳に直接情報が飛び込んできて、頭で見ているというような状態である。
『我慢しろって……』
精神疲労で身体を乗っ取り返す作戦が失敗したらどうするつもりなのだろうか。いや、ショウメイにとってはソレがいいのかもしれないが……。
『申し訳ございません。直ぐに終わらせますので――――』
如月が頭を下げている間に、上空から炎が槍の形を作って、それを雨の如く降らせた。
彼女は起き上がり様に薙刀を振るい、自分に降りかかるソレを払って、ショウメイへと跳躍。一気に距離を詰めると、その石突で腹を貫いた。
薙刀から漏れて地面を燃やす炎が酷く痛んだが――――それよりもショウメイの方が重傷そうであった。
攻撃が予測できなかったのだろう。目をむいて唾が飛ぶ。その中で如月はさらに薙刀を反転させ、柄の腹で相手をなぎ払い、バランスが崩れたところを見てさらに力を込め切り裂いていく。
『いやぁっ!』
ショウメイの悲鳴が響き、如月が僅かに心をゆるがせた――――瞬間。
一瞬にして、如月の前から無数の炎の龍が飛んできた。
『油断しちゃだめよん』
冗談でも言ったようにクスクスと笑う。如月は瞬く間に距離を詰める龍を一閃、ついで一閃と、薙刀の重量を利用するように、なれた攻撃で切り裂いていくと、
『だから、油断しちゃだめだって』
背後から囁くような声が響き――――後ろから、巫女服を剥ぐように手を絡めると、彼女は手を弾かれた。
如月の動作ではない、胸元に張られた結界のようなものに弾かれたのだ。
そうして、身体は反動によって身動きが出来ないまま大きく後ろへと下がり、如月はソレを予測したように振り返ると――――薙刀を振り下ろした。
ショウメイは咄嗟に頭の上で腕を組むが、重量と速度、さらに如月の力を加えられた薙刀がそれで止まるはずが無く、肉を切り骨を断ち、彼女の顔にまで到達する一閃がショウメイを縦に通過した。
――――踏み込みが甘かった。如月は警戒するように1歩下がって歯を食いしばる。
本来ならば頭ごと切り裂いていた斬撃であったが、それを躊躇ったばかりに相手を苦しめる状況となった。
やはり自分に戦いは向いていないと思いながら、彼女は懐から、一枚の護符を取り出す。
ショウメイは手首からずるりと落ちる両手を見ながら小さく舌打ちをする。そうして――――如月が出した、見覚えのある護符を睨んだ。
『またそれ? 芸が無いわねぇ』
興味がなさそうにショウメイが反応する。如月が見せるのは、一度ハイドに襲われた際に破かれたはずの護符。邪なるモノ全てを弾く、聖なるもの。
ソウジュの魔力と、如月の魔力、そして僅かに残っていた――といってもソレは絶大なモノであった――護符の魔力を全てあわせて急ごしらえした代物であった。
以前のように激しく吹き飛ばすほどではないにしろ、隙を与えることが出来た。如月はその出来に頷いて、
「でも、貴女には通用しました。二度もね」
そう言ってソレを投げた。ただの紙であるはずの護符は、まるで、かなりの重量を持つように凄まじい速度で飛び、避けるしかないショウメイは咄嗟に身体を斜めに構えた。
次の瞬間――――背後から何かが迫ってくる気配に気がついて、
『なぁっ!?』
薙刀は、見事なまでに彼女の首を胴から切り離していった。
地面に落ちた護符は、ハイドの炎により傷ついた箇所を癒していく。
ゴトリと音を立てて地面に落ち着いた首は、ただ呆然と、何が起こったのか理解できないように虚空を眺めていた。
身体の重みが消えた。今までの苦しみや、思念が晴れたような感覚。数百年と生きてきた記憶が、まるでなんでもなかったように消えていく悲しさ。
全てが薄れ行く中で、ショウメイは優しく微笑んで見せた。
『2日はじゃ、少し足りなかったわねぇ……、ハイド? もっと、おしゃべりしたかったわ』
ただ呆然と全てを眺めて、受け入れたハイドは――――予測できていた結果に、何故だか胸を打たれていた。
こみ上げる悲しさ、何も出来なかった虚しさ。自分でショウメイの命を奪ってやることの出来なかった無力さ。
そうして――――彼女の好意が本物であったと、その微笑で気づいたときには既に、全てが遅かった。
否、これには早いも遅いも無い。ハイドはどちらにしろ受け入れられない。それが彼が選んだ道なのだ。
『もし次、ねぇ、聞いてて。”もし次、生まれたら”……、アナタと、また会いたい。結ばれなくても――――人として』
掠れて声。自信家のように張られていた声はいつしか弱く消えていくようであった。
ソレに対して、ハイドは言い聞かせるように強く叫ぶ。
『言ったじゃねぇか! 人じゃなくても、アンタはアンタだ。でも――――もしアンタが人で、また巡り会えたなら…………、っ!』
ハイドが言葉を紡ぐ頃には既に――――ショウメイは事切れていた。
仮に身体がこの場にあったならば、涙を流して唇をかみ締めていたことだろう。人前でそんな情けない姿をさらけ出すことが無い事だけ、この精神世界を感謝しようとハイドは思った。
『言い逃げって、そりゃねぇよ……』
これで身体を蝕む『毒』は完全に排除された。身体を取り戻すのは次の段階。邪魔が無いのでそれは簡単に見えた。
だが――――その時、如月は酷く戸惑っていた。
自身がしていたことが全て否定され、あまつさえソレがいけなかったように見える状況。
魔族と何か深い縁があったのだろうか。
彼が最初に放った言葉どおりにしていれば、こんなことにはならずに済んだのではないか。
彼には何か考えがあって、彼女を生かしたまま身体を取り戻すことが出来たのではないか――――そうにマイナス思考が螺旋を描く。
唇が震える。取り返しのつかないことをしたような気がして、声が出なかった。
『おい』
不意に呼ばれて身体がはじけるように跳んだ。そうして恐る恐る返事をする。
『どうすれば、俺は意識を取り戻せるんだ?』
彼はそんな彼女の心境を知ってかしらずか、彼に出来る限りの優しい声で、そう聞いていた。
本心はどうかは知れないが、そのお陰で如月はほっと、どこか安心して、ハイドを誘う。
出ればもう逃げられない、現実へと。