7 ――絶対強者《テンメイ》――
――――笑い声も消え、妙に蒸し暑いそこには海側から強い風が吹き、磯の香りが漂うだけ。
何の動きも無いまま、1人の勇者と1体の魔族は対峙している。
時間の移ろいを見せる空は、西の空を赤紫に染め上げる。カラスがかぁかぁと空を飛んでいた。
ハイドの額から汗が流れる。顎へと達し、ぽとりと垂れる。ソレを吸収する衣服を上半身に纏わないので、そのまま胸に落ち、妙に冷たいと感じた。
数メートルほどの距離を開けて、互いに微動だにしない。
かれこれもう数分も、そうしたこう着状態が続いていた。
それぞれが、それぞれ構え、1ミリも動かず、震えず。だがお互いをその眼差しの先に据えたまま。
――――港は大破。その前では、一部の景色を赤く染める、人の残片。漂う血の悪臭。
船は未だ到着せず。海を背後に、ノラを背負うシャロンは彼らを見守っていた。
何をすべきか――――状況から、たとえハイドが絶命するほどの傷を負っても手を出してはいけない。そう悟る。
その中で、不意に、ハイドが頬の肉を吊り上げた。
――――走り出す。先に動いたのはハイドの方であった。
魔法による肉体強化、ソレにより彼は以前のテンメイに近き速度を持っている。
風を切る。その速さの中で振られる剣は、まるで生き物のようにテンメイに襲い掛かっていた。
ガキン! 鈍い金属音手に伝わり、剣を弾いてから、更に掴む。だがハイドは予想していたように、勢いを落とさず飛び上がる。
テンメイの鳩尾に膝蹴りが叩き込まれた。――――鋼鉄のような胸板、逆にダメージを受けたのはハイドである。
だがハイドの攻めはまだ終わらない。
続いて、掴まれた剣を支点に、両足でテンメイを蹴り飛ばそうとするが――――片足をつかまれ、ハイドはテンメイの周りを公転してから、弾き飛ばされる。
強い重力に引っ張られるような感覚。風を切り、音はない。指先にあらかじめ込めておいた魔力を弾き、地面に落とすが、何も起こらない。自力で止まることも出来ずに居ると、直ぐにやってくる、上空から降り注ぐ1つの影はハイドの腹を穿いた。
強い衝撃が内臓を押しつぶす。さらに背中、地面に衝突し、骨が折れる音に、感覚。大地はヒビを入れてハイドの身体をめり込ませ――――ソレはまた、ハイドの視界から姿を消す。
胃を直接握りつぶされたような感覚。また下手に折れた骨がその他の内臓を傷つけ、逆流する血液はハイドの口から流出する。
一瞬の内の攻防。自分でも目で追うのが精一杯だろうなと感じる、自分の速さ。決してハイドは、自分の力を上手く扱えていないというわけではない。
痛みを気にする暇もなく、立ち上がる。
未だその表情は笑顔に染まっていた。
何か余裕があるような、どこか見下しているような、様々な思惟を浮かばせる微笑。
だがハイドは、断じて、テンメイに勝てる等とは思っていない。
それは純粋に、嬉しいから。
勇者としてではなく、数多いる戦士の内の1人ではなく、ハイド=ジャンとして見て、認めて、感情を表してくれるその存在が、浮き立つ気分にさせていた。
一線を踏み込ませるか考えるほどの仲間よりも、またそれ以上の関係に陥る人間よりも、親しく、身近に感じることが出来る。何故だかはわからないが、ハイドはそう感じている。
故の笑顔。魔族に対して、破格の感情。
彼が彼であるが故に、その情緒を得たのかもしれないし、同じ対応をすれば、ハイドは誰に対してもその気色を見せていたかもしれない。
テンメイと、一番の友達を重ね合わせているからかもしれない。だがハイドにとっては、どうでも良かった。
――――もっと戦いたい。
その中で、相手の攻撃を喰らって理解し、更に強くなっている自分に気がついた。
――――長く、一秒でも長くこの感覚を永らえさせたい。
ピークが過ぎ、萎え始めた頃の代償は様々なモノの消失かもしれない。それでも構わない。彼はそう考える。
「その程度か?」
余裕を見せる挑発の影に、わざとその弱々しさ、限界だという心情をチラリと見せる。
テンメイは――――ハイドの大切だった友人は、相手の怪我の具合や体調よりも、その発言、諦めない強い意志を、
「舐めるな」
尊重する。故に、まっすぐ、分かりやすい攻撃から、始まることが多い。
お前を見限っては居ない、こちらもまだやるぞ、お前が諦めるまで付き合ってやる……だから全力で来い――――また彼も、それを行動で見せる。
だが意図的なモノではない。否、正確には意図的なもので”あった”。それをわざと、繰り返している内に、無意識に動作するようになってしまい――――。
テンメイは真っ直ぐ迫る。地面を蹴り、たった1歩の跳躍で瞬間的に移動したように見えるそれは、恐ろしいほどの速さを持つために姿を消したように見えるだけ。
先ほど立っていた場所から、”駆け出している”。したがって、彼はハイドが飛ばされた軌道上の陸路を進んでいるという事になり――――ハイドは彼が”見えなくなった”瞬間に、スタンバイ状態にしておいた魔法を発動させる。
その瞬間、テンメイが駆け出したと同時に、ハイドの直ぐ目の前で空気をつんざく雷鳴が轟いた。
網膜に焼き付く、金色の電撃が瞬き弾け、『解放式・雷槌』が見事にテンメイに炸裂する光景。
一度、大きく爆発するように展開し、敵を捕らえると魔方陣から様々な電撃を差し与える。
圧縮した雷塊。降り注ぐ稲妻、周囲に分裂し、囲って突き刺す電撃、体内に残留したものがはじける雷撃、そうして最後に――――頭上から振り下ろされる、巨大槌の如き雷柱。
鼓膜が破けるほどの、摩擦音や炸裂音。ハイドはそれをただ呆然と眺めて、ソレが終わるのを待った。
解放式、多々ある雷槌の全てを敵にぶつける、勇者に伝わる最終奥義。
――――彼は、命を取り込むのはハイドで3人目だといった。
そして、テンメイがハイド以外、誰にも殺されなかったと考える。
まずはじめ、レギロスで一度殺し、彼は自分の命を含め、3つの残機が2つに。
そして先ほど首を跳ねたので1つに。
この攻撃は相手に逃れる隙を与えずに続く、故に命が再生する間もないが――――コレを喰らってまだ命があるはずがない。
ハイドの全魔力に加えて、地、海、空、全ての作用を付け足しているのだ。その威力は絶大で、テンメイですら凌げるはずがない。
そうなれば、彼は既に蘇ることが無いはずなのだ――――が。
ハイドより数メートル前方。プスプスと燻り煙を上げ、炭になる体のそこらかしこを赤く火種に変えているその身体が、内側より光が漏れるように、輝きだした。
「……やっぱりな」
空気を貪るだけだった口が、久しぶりに言葉を紡ぐ。ハイドは、起き上がり皮膚をパラパラと落としていくソレを眺めてそう漏らした。
――――テンメイはまだ生きている。この程度では終わらないことはわかっていたし、そもそも、誰かの命を取り込まずにおぞましいほどの魔力を遥か遠方から伝えられるはずがない。それほどの力を、いくら魔族だからと言って手に入れることが出来るはずがないのだ。
彼の力は、誰かの命の消耗によって辻褄が合う。テンメイの力とはそういうものであり――――だがその戦闘センスは、彼自身のモノ。
戦えば戦うほど経験地を手に入れ強くなる。その点では、ハイドと良く似ているのだ。
「――――面白いな、お前」
殺気がない。語りかけるように発するその台詞は、以前メアリーにも言われた記憶があったが――――彼が言う事によって、忘れていた記憶がまた脳裏を掠めた。
幾度となく、しつこく、嫌になるほど出てくる”親友”の記憶。その彼が、初めてハイドを見て告げた言葉。
やがて復活するその姿。過去の友人とは似ても似つかぬ、魔族特有の、濃い紫色の肢体。漆黒の翼は大きくはためき、身体の炭を叩いて落とす。
”にっ”と笑うと鋭い犬歯が夕日に煌めく。
「この時間がもっと続けばいいと、思えるくらいにな」テンメイは圧倒的過ぎる魔力を、威嚇とばかりに放出する。
全くの同意見だ。ハイドは何故だかほっとする心中に疑問を抱きながら、今度はこちらの番だと言っているような顔を見て、薄い微笑を浮かべた。
「だったら――――」
言おうとして、遮る刃の閃き。凄まじい勢いで迫る刀身なき斬撃は、互いに迫り、寄ろうとしていた間を、言葉の通り”切り裂いた”。
「不躾だが――――加勢が必要か?」
銀に染まる少し長い髪は、鋭い瞳に軽く掛かる。広い肩幅は、その等身ほど長い刀を容易に扱える膂力を持つことを見せつけ、痩せ型の身体はひどく肉付きが良い。
その隣には、蒼いマントで身体を包み、その男の肩の辺りまでしかない身長で、胸を張って、身体の前で杖を構えている少女。
ハイドはソレを一瞥して、地面に作られた深く、細い溝へと視線を移してから、テンメイを見る。
テンメイはバツが悪いように、その放出していた魔力を止め、翼を大きく広げると、一振り。
砂を巻き上げるほどの風量を巻き起こし、彼は空に飛び上がった。
「邪魔が来たので失礼する。また次、逢う事があれば――――今度は、最初から全力で相手をしよう」
もしそうなれば、次回は今度のような戦法が通じず、下手をすれば一瞬で終わるかもしれない。ハイドの敗北によって。
それは困るな。ハイドはそう考えたが、"再会を願って"ソレを口にする。
「お前を殺すのは俺だ! だから――――他の奴に殺されたら、ぶっ殺すからな!」
既に背を向け小さくなる、その姿に怒鳴ると、彼は振り向いて微笑んだ――――ような気がした。
それからハイドは、操り人形の糸が切れたように、その場に座り込む。
緊張と、興奮と。他の数多の作用が途切れたせいで、ハイドには大きな疲労が襲い掛かってきていた。
ハイドはそのまま寝転ぶ。その間に、走り寄ってくるシャロンが見え、ゆっくりと距離を縮める『ソウジュ』達が視界の隅っこに入り込むが、ソレを無視して、空を見上げる。
西の空だけを染めていたその紫色は、早くもその半分以上をすみれ色に変えていた。
ハイドは高鳴る鼓動をそのままに、近寄り、声を掛ける誰かをそのままに、静かに瞳を閉じた。