第2話『無名の勇者』
「疲れてるなら、少し休憩しようよ」
ロンハイドから出立してから2時間と少しばかりが経過した。日は丁度頭上へと到達したばかりの正午。
ただ歩いてきて、いまだ魔物と出会っていない平穏な道のりだったのだが――――隣を歩くノラは既に息も上がり、ヨロヨロ。
危ないクスリの中毒者なのかと疑惑の念を抱くほど疲れきった様子に、ハイドはそう声を掛けたのだが、
「いえ、私が勝手に、着いてきたので、お構いなく」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、額から流れる尋常じゃない汗を拭うと、俯く顔を上げた。
流れること滝の如し。そんなノラを見てハイドは1つ嘆息すると、
「じゃ、俺が疲れたから少し休もう」
そういうことになった。
そこから少しばかり進んだ、草原の中に聳える大きな樹の木陰へと腰を下ろす。リュックの中から水筒を取り出して渡すと、ノラは恐縮そうに頭を下げてから、その水をゴクゴク飲んでいく。
「ふぅ……ごめんなさい、結局迷惑しか掛けてないですよね、わたし」
「あぁ。ホントに」
笑顔でそういうと、ノラは「ですよね」と暗く俯いた。
「まさか『そんなことないよ』って言って欲しかった? でも言わないよ。嘘になるからな」
「……そんなことは」
「無いって言えるかな? お前は少なくとも、身寄りの無いあの町にいることよりも、幾分か蓄えがあり、且つ強いのでこちらのほうが安全だとついてきたんじゃあないか? それが自覚無しと為ると無意識下でその考えが行われているという事になるが……始末に終えねぇな」
「わ、わたしは!」
「だが俺はそんなお前すらも許容する。何故だか分かるか?」
「…………いえ」
「一度、身内へと引き連れたからだ。俺が、俺の意思でな。どれほど悪いやつだと後でわかっても、俺は自分から追い出そうとはしない。これは何故だかわかるか?」
「自分から正体を現すのを待つ……とか?」
「いいや! 違うね。もし間違ってたら嫌だからだよ! 後正しかったら正しかったでその後の処理が楽じゃん?」
ノラは高らかに叫ぶハイドを見て、いくらかイメージとの相違が烈しい人だな、なんて思いながら、楽になった足を確認して、腰を上げた。
「わたしはずっとハイドさんの傍に居るから、安心してくださいね?」
「いや、話の流れがよくわからんのだが」
木陰を抜けると、穏やかな日差しが二人を包む。そこからまた1日と半分ほど歩けば隣の街、というか隣都市の『ハクシジーキル』へとたどり着くのだが――――。
歩き始めた途端に、突然目の前に魔物が現れた。
獣型、狼の姿をし、毛皮は紫という毒々しさをあらわにした『キラーウルフ』であった。
目の前に2匹。それ以外には居らず。だが。キラーウルフという魔物は狼種族の魔物の中では最も強い位置にいる魔物である。
戦闘の経験が無いものが立ち会えばまず命は無く。並みの剣士や魔法使いでもかなり苦戦する敵。
グルルと唸りながら姿を現したのは、周りに身を隠す障害物が無いためでもあるし、ハイドとノラを完全にただの餌だと認識しているからである。
ハイドは面倒そうに腰から剣を抜き、ノラを後ろへと下がらせた。
その内にキラーウルフはハイドを警戒するように、また緊張を張り巡らせるように左右へと別れ――――。
何の予備動作も見せぬ内に、左側、剣を持たない無防備な側のキラーウルフが大きく口を開け、その鋭い牙を剥きながら襲い掛かってきた。
狼の体が宙を行く。その中で一閃、瞬きをする間に何かが放たれた。すると、次の瞬間には飛びかかってきた狼の体は縦二つに分かれ始め、やがてそれはハイドに噛み付くことなく、二つに飛び散っていった。
ハイドの前後に狼の半身が土に埋もれたように倒れる。ソレを見て本能的に危険を察知したのか、つまらぬ事に、もう一匹の狼は尻尾を振ってその場から逃げていった。
「……元の才能や潜在能力だけではなく、経験もあるんですね」
肉を切り裂いたはずの刀身には血がついておらず、そのまま手入れをすることなく鞘へと剣を収めていく中で、ノラはそう興味深げに口を開いた。
「経験は無いな。あってもまだ駆け出し冒険者レベルだ」
「またまた、こんなにあっさり魔物を倒しておいて……」
「本で読んで知ってたからな。ある程度の魔物なら、家の書庫にある魔物辞典に載ってるから。そこで知って、どう対処するか脳内トレーニングしてただけ。俺は本番に強いタイプだから」
「……初めて魔物を倒したのは、いつごろで?」
「そうだな……去年の初めくらいかな。その時はデスエイプっていう、ゴリラ型の魔物だったけど」
「強くなるために、努力をしたことは」
「無いな」
即答するハイドに、ノラは呆れたものだと溜息をついた。
――――これほどの強さを手に入れること自体がかなり難しいのに、それを生まれつき持つハイドはそれ以上を望まず。だが力はあるので別段、その上を目指さなくては良いのだが……、この人間がこの力を持っていていいのかと、ノラは疑問に思った。
力を使いたいのは、確かに勇者として良い事を、あるいは困った人を助けるためにという理由だろう。
だが、ハイドは今の、何でも出来る状態で満足している。否、何でも出来るのならば、ソレでよいのだ。だが、何かが足りない。勇者として、大切であるべき何かが――――。
「……」
分からない。それはノラにも、恐らく、ハイドにも。
「おい、何を止まってる。早くしないと3日かかるぞ」
考え事をして不意に立ち止まるノラへと声が掛かった。
「はい!」
そう大きく返事をしてから、とりあえず小難しい考えを一旦保留にするノラは、額に浮かぶ汗を拭ってその後を追っていった。