5 ――そして旅立ちへ――
「ベルセルク、これから屋なし草になるんだ」
『それを言うなら根なし草だよっ』
等など、独り言をベルセルクに返してもらいながら荷造りをする。といっても、特別残しておきたい荷物も、持っていく荷物も無く――――適当に旅支度を終えると、部屋の中には寝具とカーテンと本棚、それに綺麗に整理してある書物しか残らなかった。
リュックを背負い、腰に剣を下げて、家主へと家賃の3万8千ゴールドを渡し、部屋にある荷物を処分しておいてくれとだけ言って、ハイドは家を後にする。
そうして向かう先は両親の住む元自宅。ハイドは懐かしく思いながら、そこへと足を向けていた。
道行く知り合い、顔見知りのご近所さんやらに挨拶をして、やがて家へと着く。何か事件に巻き込まれることも、何もなく、家へとたどり着いたハイドは、呼び鈴を押すかそのまま入るか迷った挙句、その指を電子鈴を鳴らすボタンに向けて、強くソレを押した。
家の中で薄っすらと聞こえるピンポーンを聞きながら、ハイドは一般的な二階建ての一戸建て住居を改めて見上げる。
だが、玄関の上には屋根があり、其処を見上げるだけの結果となったのだが。
「はあ~い?」
女性の声が聞こえ、やがて扉が開く。
「どうもご無沙汰してました。息子です」
「…………あ」
「いやリアクション薄いし、息子が2年ぶりに姿を現したってのになにそれ?」
「え? あ、いや、別に忘れてなんかないじゃない! 腹を痛めて生み出した息子を忘れるなんてとんでもない」
「いや、忘れてた? って聞いてないし……あぁ、やっぱり忘れてたんですね」
「ちっちゃい事は気にしちゃいけないのよ」
ハイドの母は、そう言ってその腕を掴み、家の中へと引きずり込んでいった。
懐かしい玄関を通り、進むと其処は居間。広い其処には大きめの、4人掛けテーブル。そこに腰を掛けた懐かしき姿もあった。
「あ、お義父さん……どうも」
それは10年程前に地方で命を落とした父の代わりに、2年程前にやってきた義父である。
そしてハイドがこの家を出て行ったのも2年前。何がどうなってこの結果が生まれたかは、想像の通りであった。
「……王様から聞いてるよ。迫害――――」
「旅立つんだってね! 名誉ある出立でお母さん鼻が高いよ」
義父の言葉を遮る母の声は、常より烈しく。だが聞こえてしまった言葉に、ハイドは軽く笑みを浮かべながら、聞こえなかったフリをした。
「……あ、あぁ。それで、今度いつ戻ってくるかわからないから、挨拶をしに来ただけだから。それじゃ、ご達者で」
ハイドは背を向け、軽く手を上げて落ち着く間も無く家を出ようとする。
母親はその息子の姿が、どこか手に届かないところへと行ってしまいそうな錯覚に陥り、だが決して、その足は息子へと向かおうとはしなかった。
やがて――――玄関の扉が開き、静かに閉まる、音がした。
自宅を後にしたハイドは、それでようやく決心がついた。複雑な心境ながらも、後押しをするような態度を取ってくれた両親に少なからず感謝をして、ハイドはその足で城へと向かった。
王から旅支度をするよう言われて今日で丁度一週間。近所の人間と、仲の良かった友人等に挨拶をして、仕事斡旋会社の登録情報を消してもらうことは、然程時間は掛からず。
ただ呆然と時間が過ぎるのを待って『ようやく』のこの日であった。
――――門を通る。心なしか、兵士の態度が嬉々とした風で頭を下げていくのをみて、心を不安一色に染め上げた。
「――――来たか、ハイド=ジャンよ」
常ならば必ず言い間違えるハイドのフルネームを間違えずに、厳粛なムードを保ったまま王は口を開いた。
階段から真っ直ぐ伸びる赤い絨毯の上。ハイドは跪かず、腰掛ける王の目線で話を聞いていた。
幅広の絨毯の両脇に、ハイドの旅立ちを見送るために用意されたのであろう兵士がずらりと並ぶ。少しばかり気圧されるが、ハイドは気にせず王の演説じみた、口からすべり出るように紡がれる言葉の数々を右耳から左耳へと流していく。
「お主は生まれた時代が――中略――、その向上心に加え、誰も適わぬ実力――後略――。ここで今、ハイド=ジャンの門出を祝おうではないか!」
両手を広げる王。そうして演説が終了したと共に場内は拍手喝采の嵐に包まれた。
「餞別として、50ゴールドと角材、布の衣装を用意した。快く受け取るが良い」
王の隣に居る近衛兵が、手に言ったとおりのそれらを持ってやってくる。そうして手渡しされ、近衛兵は再び下がっていった。
銅の剣が時価12万ゴールドするこのご時世に、高々50ゴールド。そして角材は、建築材木の余ったようなもので、長さは50センチほど。布の衣装にいたっては、ただの布の切れ端、よく言って毛布の毛皮ではないバージョン。
貧相という言葉で片付けるにはあまりにも言いたいことがありすぎるそれらを手に、ハイドは深く頭を下げ、
「ありがとうございます、王様。感謝しても仕切れぬ恩恵、心に染み入ります」
「最後に、我が権限で共にする仲間を集めるために酒場に人を集めておいた。そこで仲間を募り、共に旅を行くが良い」
「ありがとうございます、王様。感謝しても仕切れぬ恩恵、心に染み入ります」
「行くがいいハイド! まだ見ぬ死地を求めて!」
――――そうして、ハイドは正式に国を追い出された。
自身の酷い有様に、涙も出ずに、ハイドは城を後にした。玉座にあれほど人が居たせいか、城から出るまでの道のり、人っこ1人居らず、酷く閑散とした門出であった。
街を行く。大通り、歩きなれたこの道も、当分、恐らくこれからずっと歩くことは無いのだろうと、そう思うと何処と無く、心悲しくなってきた。
多くの人とすれ違う。誰もがハイドの存在をその他大勢と捕らえ、過ぎ去っていく。
魔王の存在が無ければ、勇者もこれほど廃れたものか。そう思うと、何故だかこの場から消えてなくなりたくなってきた。
やがて――――酒場兼仕事斡旋会社が見えてくる。いや、アレは酒場だ。王がそう言っていたのだから。
その扉の前では、ハイドへと大きく手を振る赤い髪の女性。リートだった。
「そろそろ来る頃合だと思ってね」
「あぁ、わざわざすみません。では、行って来ます。まぁ、来はしないかもしれませんけどね」
「そう寂しい事言わないでおくれよ。それと、アンタの選びそうな人間片っ端から集めてみたから、ホラ早く入った入った」
腕を引くリートに、ハイドは反抗する。いつもなら意図も簡単に連れ去られるその身体は、今日に限って動かず。
リートは不審に思ってその手を止めて、ハイドの顔を覗き込んだ。
「……どうしたんだい?」
除きこんだその顔は――――予想に反して笑顔。にこやかに、いつもどおりのソレを見て、リートは深刻そうに声を掛けたことは失敗だったかな、と心中呟いた。
「あぁ、実は俺、人見知りで。知らない人と長い旅を始めるのはちょっと……。でも、旅の中で気が合った人とかなら多分大丈夫だと思うんで。それに、なんか俺が選ぶ立場ってなんか偉そうで嫌じゃないですか?」
「いや、そんな事はないとは思うけど……ホントにいいのかい? アンタほどではないけど、心強い輩は腐るほど――――」
「腕が良くても……」
「え?」
「……いや」
ハイドは言葉を濁し、後が続かなく、気まずくなりかけるその状況で、手に握ったままだった、王からの餞別をリートに渡し、
「ロクなものじゃ無いですけど、今までありがとうございました」
深くお辞儀をしてから、ハイドは街の門へと向かった。背中へと、リートが何かを呼びかけるが、ハイドは軽く手を上げるだけで済まして前へと進んでいった。
――――門番に頭を下げて、開きっぱなしの門から外へと出る。外を出ると、歪曲する道の周りに広がる草原。近くには牛や馬が飼育されるのが見える。
少しばかり進んでからハイドは1つ息を吐いて、見納めにと、町を目に焼き付けるために振り返ると――――門の前に、1人の少女が立っていた。
その少女は見覚えのある、というか――――それは間違いなく、以前ハイドの腹を刺し、さらにソレをネタに男達に捕まっていた少女であった。
少女はハイドがこちらを向いたことに気がつくと、慌てた様子で走り出して、すぐにハイドの目に前にやって来て、
「ご、ごめんなさいっ!」
乱れる呼吸をそのままに、深く頭を下げた。
「言葉で謝って済む問題じゃないとわかってます。言い訳もしません。だから、貴方の気が済むまで私を好きにしてください!」
「……は?」
――――何を言っているんだこの娘は。言葉で謝って……? いや、実害がなかったから別に気にしてないし、そもそも父の仇だったのでは? 父に該当する歳の男を、二次災害でも直接にでも、殺した記憶は無いけど。
「わ、私のお父さんを殺したのはずっと、貴方だと思ってたんです」
――――彼女曰く、御父さんとやらはハイドに殺されたのだと勘違いしていたのだという。それはつい先日、洞窟にすむ魔物に連れ去られた御父さん。その後すぐにハイドが魔物を掃討したが、お父さんは既に手遅れ。
その後洞窟から連れ戻された御父さんの遺体は、明らかに人間が傷があったという。
そこから、洞窟に行ったのはあの勇者しかいない。ならアイツが殺したんだ。何か都合の悪い事でもみられたんだろう。それか邪魔に為ったか、下手すリャアイツが魔物を呼び寄せて――――などなど不穏な噂が飛び交い、少女はそれを真に受けたのだ。
実際には、少女のお父さんは洞窟に向かう前に親父狩りにあい、殺され、ハイドが掃討を終えた直後を見計らって洞窟に捨てたのだという。
犯人は、偶然にも少女を誘拐した男達。その偶然も、全ては図ったことなのではないかと審議されている真っ只中らしい。
「……いや、別にいいよ。君まだ子供じゃん。俺ロリコンじゃないから」
「子供じゃないです! もう16歳ですもん!」
後ろで大きい三つ編みにした栗色の髪をフワリを揺らしながら、少女は大きく腕を振るう。ローブを身に纏い、肩からはバッグを提げるという姿は旅支度そのものであった。
よく見れば、顔は整い、中々の美少女。
「じゅ、16ぅ!? いやいや、どう見繕っても14歳だよ。永遠の14歳だよ」
「ば、バカにしないで下さい! ほら、証拠に胸だって……」
「ばっかお前なぁ、ロリ巨乳というジャンルが開拓されてる昨今で胸の大きさと歳は比例するとは限んないんだよ」
「ううぅ~……でも! ハイドさんがいくら拒んでも、私ついて行きますから! 私の名前はノラ! よろしくお願いします!」
「……はぁ」
少しばかり考えて、どうやってもこの少女を説得できそうにないと諦めたハイドは、無い胸を反らす少女へと手を指し伸ばす。
「俺はムサシ。よろしく」
「な、なんで嘘をつくんですか! っていうか、今私ハイドさんって呼びましたよね?」
そういいつつも、しっかりとノラは手を伸ばし、しっかりと握る。自身よりも一回りも大きい手には少しばかりの恐怖を感じるが、それでも自分を律し、強く、握り返した。
「使用武器と、得意魔法は?」
「武器は使ったことがないです! 得意な魔法はお湯の温度を維持させることです!」
恐らく魔法瓶と魔法を掛けているのだろうと推測して、ハイドは
「お前寒いね、氷雪系魔法が得意なの?」
――――幸先が悪すぎる門出。
想像するだけでも嫌な気分になる、悪い予感しかしない旅はようやく幕を開けたのであった――――。