1 ――アークバの野望――
イブソンが11階で死闘を開始した頃、屋上には初老の男が2人、互いを正面に捕らえて立っていた。
雨はやがて土砂降りとなり、烈しい雨音が様々な音を掻き消していく。
「随分とまあ、すんなりと出てきてくれたな。珍しい」
アークバの声は屋上全体に広がる魔力によって、『デュラム』へと伝わる。デュラムの声もまた、本人の魔力によって相手に伝達された。
「何か起こるだろうとは思って居た。だが、まさか『勇者』が簡単に、これほど早く貴様の思惑通りに動くことは、予想の範囲外だったのでな」
濡れて落ち、眼に入る雨滴を拭い、アークバは髭を撫でた。
「思い通りじゃあ、ないんだなコレが」面倒そうに息を吐いて、「恐らく、自分の目的が達成できれば、また何かしら『予想の範囲外』の事を起こすだろう。わたしはそう睨むがね」
フンと鼻を鳴らす。デュラムは「そうか」と短く返事をして、”本題”へと入った。
「ならばその前に、貴様を先に潰しておこうか」
下げた手の平に、瞬く間に魔力が集中――――明るく光る球体は変形し、それは長い棒へと変わって、やがて確かな質感を持つ『杖』へと具現化された。
「さすが大賢者、その肩書きは伊達じゃあない」
――――大賢者。それは世界に数人しか存在しない、魔法のプロフェッショナル。出来ないことはないといわれるほど万能で、強大。
そんな1人を目の当たりにしても、アークバはいつもの笑顔を顔に貼り付けたまま。
「たかだか創作魔術師が、何故そこまで、この街に固執する?」
デュラムは杖を体の前に構え、だがそれ以上魔法を紡ぐこともせず、今までの疑問を問うように口を開いた。
「わかってないな」アークバは肩をすくめて続ける。
「世界広しと言えども、魔法に特化しているのはこの街のみ。セキュリティ、学園システム、魔法研究、その総ては、世界トップに近いレベルだ。なのに、”それなのに”、だ。デュラム。貴様は――――それ以上の発展をやめた。勿体無いと思わんか? 宝の持ち腐れとは、正にこのことよ」
「十分だ。他に比べれば、5年、否、10年以上の進歩といえよう。この街は当分、”沈む”ことは無い。また必要なときに、周りに合わせて進めれば良い」
「それが『愚か』と言うのだ! 『周りに合わせて』? 生ぬるい、他と比べてなんになる? 貴様は今にも死にそうな貧民を眼にして、『これより少し前の段階で手を打てばいい』と考えている。それじゃあ遅いのよ、他より優れていなければならぬ。いつ、いかなるときでも――――だから、代わって私がこの街を治める。異存は無いか?」
「大有りだ」斜めに構えた杖は、次第に倒れ、その先っぽはアークバを向いた。
「それ以上の考えがあると見たが……。まだその先を、聞いては居ない」
真剣な眼差し。一般的な精神ならば、気圧されて降伏の印として腹を見せてしまいそうになるほどの威圧。だがアークバは、対等に、否、それ以上の気迫を持って、口の端を吊り上げた。
「魔術師の、魔術師による、魔術師だけの、世界。ここを起点として実現する、私の野望よ」
「随分と大きく出たな。アークバ」
含む笑みを浮かべる。夜闇で、更に雨という最悪の視界状況だったが、アークバはソレを見逃すほどもうろくはしていない。
「何が言いたい」
殺気籠った声が目つきを鋭くさせる。デュラムはアークバに向ける杖を片手で持ち直し、姿勢を相手に対して斜めに構える。
「分を弁えろと言うのだ!」
瞬間――――さらに続くであろう台詞をもかき消す轟音が、杖の先から射出した。
飛び出したソレは、暗黒色の弾丸。灯かりに照ることすらも無いそれは、一瞬にして”アークバが居た場所”を貫いて、空気中に霧散する。
デュラムは眼を細めて宙を見上げ、その空間に向かって弾丸を放つ。だがソレよりも早く、”炎の龍”が空から降り注いだ。
自然な動作で、デュラムは杖を立て、その尻を床に叩きつける。魔法も紡がずに――――透明な、身を守る魔法障壁は一瞬にして展開。
凄まじい速度で飛来する龍は、それに触れると、障壁と共にはじけ跳んで姿を消した。
「老兵はただ、世界を憂い、嘆くだけで良い」
「老害は黙っていろ!」
頭上から、空気を震わす声が響き、身体を濡らすだけの雨は肉を裂く鋭く冷たい、氷の弾丸へと変わっていた。
デュラムはソレを防ぐこともせず、上を向いたままの杖の先から、先ほどと同じ弾丸を連射する。
1発、2発打ち出されたところから、前へと倒し、左右に振って――――。
威圧射撃をしながら、一方で回復魔法で傷を癒す。
そうしている間に、また反撃。四方八方から、先ほどの『龍』の縮小版が飛んで来る。
――――巨大なモノでさえかき消せたのだから、今更数で押しても意味が無い。一体、何を考えているんだ?
思索しながら、杖を、体の周りを一周させるように振るう。その先から放たれた弾丸は見事、龍に命中し、崩れていく炎は雨にかき消されていく。
――――アークバの姿は無い。気配も、魔力すらも感じない。
「どこかへ、隠れたのか……?」
「貴様が敗因は、その鈍った腕にある」
アークバの、勝機に満ちた声が、その耳に届いた瞬間――――背中から突き刺された剣は、痩せた身体を容易に貫いていた。
傷つけられた体内から、血が逆流して口から噴出する。まるで意識を保つ力を吐き出したように、視界は混濁し始める。
「保身ばかりを考えた攻守の流れ。貴様の思想と同じだ」
魔術師は、魔法に対しては圧倒的な強さを誇るが、その魔法で身を守らなければ、ただの一撃で打ち負かされるほどか弱い。
物理攻撃に弱いというわけではない。魔法が守れば、一介の戦士以上の防御力を誇る。だが――――デュラムはそれが無かった。
相手が、アークバが魔法しか扱わないと油断していたからだ。それ故に、対魔法の作戦しか持ち合わせていなかった。
武器を隠し持っていた。それを認識できなかったことも、大きな敗因である。
「街だけじゃあない。その力も、貴様には大きすぎたようだな」
宝の持ち腐れ――――アークバの言った言葉が、デュラムの脳裏に過ぎって……。
最後の力を込めて、デュラムは自身の背後に立つアークバに振り向くと、力強く抱きしめた。
「ならば、ワシの全力、受けて見よ――――」
掠れた声が、アークバに総てを伝えた。何をするのか、そしれ何が起こるのか。
それを防ごうと、慌ててデュラムの身体を引き剥がそうとするが――――それより早く、デュラムの全身が眩く光り始めた。
それから息をする暇も無く、総ての音を、色を、景色を掻き消すほどの大爆発が、その屋上で巻き起こった。
――――ウィザリィは少しの間、総てを白という色に覆われていた。