4 ――懐かしさ、再び――
その後ハイドは部屋を案内された。勇者だからと、客室の中でも一等豪華な部屋に。
案内するのは秘書が連れてきた、ハイドより少しばかり年上の男。金髪を短く刈り込み、鋭い目つきをする寡黙な軍人風であった。
道を少し戻って、何度か曲がって客室区域らしき場所へとやってくる。
「んじゃ、これからよろしく。明日は呼びに来るからそれまでゆっくりしとけよな」
イブソンと名乗る彼は、ハイドとあつい握手を交わし、背を向けながら手を振って、その場を後にする。
その後姿を見送ってから、ハイドは部屋の中へと入っていった。中には、それなりの設備が整っているという話らしい。
上の空で聞いていたためにあまり覚えては居ないが、とりあえず見れば分かるだろう。
電気をつけて、正面にあるベッドに腰を掛けた。
壁は相変わらず色気ないが、そのシンプルさが逆に良い味となっている。この部屋は二部屋構造となっており、この居間兼寝室の隣にユニットバスがあるという仕様だ。
とりあえずハイドは風呂に入ることにした。
ほぼ無心。考えることを放棄しながら身体の汚れを洗い流し、湯に浸かろうと思ったが浴槽にお湯が張っていなかったので断念した。
洗面所にある、バスローブを羽織ってハイドはベッドの上へと舞い戻る。腰を掛けようとして、ハイドは思いとどまって入り口付近の照明の電気をオフにした。
真っ暗闇、地下なので完全なる闇だ。先ほどの会話から続く、妙な孤独感を感じながら、ハイドはベッドの上でうずくまった。
「……痛ェな……」
心が痛い、確信を突かれたためだ。アークバが悪いというわけではない。寧ろ感謝すべきなのだ。
あれほどはっきり言ってくれる人間は、今まで居なかったし、恐らく、コレからも居ないだろう。
――――久しぶりに見た現実は、あまりにも冷たすぎた。
人の温もりが欲しいとまでは言わない。だがこんなときにこそ、誰かの存在が欲しかった。
「……、脆弱なガキ、か」
確かにそうだ。こんな弱々しい事を考えるから、そう言われるんだ。
ハイドは理解していた。理解しているからこそ――――もうどうにもなりそうに無いと、痛感しているのだ
これ以上、この事について考えたくない。今すぐにでも眠ってしまいたい。
弱い考えがハイドに囁く。ハイドは思わず布団を被った。
存在理由が無い勇者。だからハイド=ジャンとして、一個人として頑張りだそうとしてきたのだ。
なのに――――未だ勇者の肩書きがハイドを苛んでいる。出来損ないは切り捨てられずに、その恥を名として生き続けるしかないのだ。
歯を食いしばる。奥歯が音を立てて、鈍い痛みを感じた。
頭を抱える。生乾きの髪は枕をぬらして、手に不快感を与えている。漏れそうになる声を、必死に抑えた。
誰も必要としていない。否、必要としてくれる人は、少なからず居るだろう。認めてくれる人も居る。
だが――――ハイド自身が、もうダメなのだ。致命的なほど、傷を負っていた。
外に出ることが、人の目に触れることが恥ずかしくなる。恐ろしくも感じ始めた。
考えれば考えるほど、深きにはまっていく。だからハイドは直ぐに寝ようとしたが、気がつくと、また自分の事について考えていた。
ナルシストにでもなってしまったかと、虚しい自嘲が心の中に響いていく。
眠れない。眠気はあるが、眠ることが出来なかった。
心地が悪い。嘔吐して少しばかり気を楽にさせようとしたが、朝から何も食べていないことに気がついた。
それに気づいてから、腹痛が起こる。キリキリと胃が痛むのは空腹のせいなのだろうか?
――――不意に、静かな空間にノックが二度、鳴り響く。
少ししてから、『起きてる?』とくぐもった声。それは女性の、メノウのものだった。
良くない。ハイドは口を動かすが、それが言葉としてしっかりと空気を振るわせたのかは自分でも良く分からなかった。
『入るわね?』そう声が聞こえたので、どうやら意思は伝わっていないと判断する。
用が無い。帰ってくれと、押し出したかった。だが布団という最強の殻を手にしてしまった今、そこから這い出る勇気が無い。
間を置いてから、彼女は中へと入ってきた。真っ暗なそこを見てから少し躊躇った様子で立ち止まって、扉が閉まる。
出て行ったか? 考えるが、確かな気配が音も立てずにハイドへと近寄っていた。
「眠っていたら、ごめんなさい」
だったら早く出て行ってくれ。心の中で叫ぶ。だが聞こえるはずも無く、彼女は独り言を始めた。
「実は、聞いてしまったのよ。さっき、アークバさんと話しているところを」
思わず体が反応した。ビクリと動いて布団が動くが、この暗闇の中気づくわけも無く、メノウは続ける。
「それで、出てっいった時の様子も元気なさそうだったし……。もし、もし……私に何か出来ることがあれば、何でも聞くよ?」
――――これだ。この感覚。この、背筋がむず痒くなる、嫌な感情。
無自覚な同情の念からくる言葉。だからこそ質が悪い。
明らかな上位を維持した台詞、『出来損ない』や『役立たず』に感情移入して励ます、偽善心。
彼女、メノウは悪くないだろう。多分、心のそこからハイドを心配してくれている。
だが恐らく、彼女もまた無自覚にその意識を持っているのだ。ただ1つの哀れな物語に触れたがために。
何よりも――――まず始めに、感謝や感動を全て忘れて、そういう考えをしてしまう自分が、心の底から大嫌いだった。
そっと、彼女の優しい手がハイドに触れた。肩の辺り。暖かな温度が肌に伝わる。
残酷な暖かさとは、このことを言うのだろうか。
その優しさが、今のハイドにとって一番の苦痛になっていた。
劣等から来る負の感情が、彼女の手を振り払い、怒鳴りつけてこの場から追い出したくなる衝動を駆る。
だが出来ない。傷つくのは自分だけでいいのだ。自分のことが問題なのだから、人を巻き込む必要は無い。
そして、自分の力でこの壁を乗り越えなければならない。ハイドはそこまで見えている。
だが、穴も無く、横幅も気が遠くなるほど、そして天を貫く壁をどうに乗り越えればいいのか。ハイドにはまだ見えていない。
「ありがとう……ござい、ます」
精一杯息を吸って、途切れ途切れに言葉を返す。それに反応してメノウがベッドに座り込もうとしたが、ハイドは起き上がってソレを制した。
「わたしは――――」
「今日は色々とすみません。いやあね、少し色々あって眠くって。ホラ、竜聖院での暴動もあったし」
明るい声で言葉を遮った。見えては居ないだろうが、ハイドは笑顔を作って、見えないメノウを見て続けた。
「何か勘違いしてるみたいですが、アークバの言っていた事は最初から知っていたんでね。何を今更って感じで、別に気になんかしてませんよ。――――何か出来ることっていいましたよね? だったら、今までどおりに接してください。ソレが俺の望みです」
何時もの調子で喋れているのか、不安になるが続けて言い切ると、少しの間が開いた。
気まずい空気が流れて、ハイドの頭に手が載った。優しい手、だがなぜか、ソレに対しては不快感が無かった。
だが特別嬉しいというわけでもない。ただ、少しばかり心が落ち着く。
「そう、なら良いんだけどね。言ったでしょう? 君の事が気に入ったって。だからアナタも、私を気に入ってくれれば嬉しいかな」
冗談めかしく、彼女が返した。ハイドが軽く笑うと、メノウも微笑んだ。暗闇の中、また少しばかり言葉を交わして、やがてメノウは退室する。
眩い光が漏れて、また消える。ハイドはソレを見てから、ベッドに寝転んだ。
――――頑張らなくてはいけない。
強く思った。
不必要だとか、必要だとか。そんなものは旅立った際に関係ないと切り捨てたはずなのだ。だからもう、吹っ切れた。
強くなるのだ。誰のためでもない、自分のために。勇者としてではない、一個人として。
運命なんて変わらなくても良い、ただ、納得して死ねるように――――。
急激に襲ってきた睡魔。彼女と会話を交わしたお陰で気が楽になり、また思考も軽くなって、無意識のうちに落ち着いたためであろう。
ハイドはそこまで考えると、静かに脱力して身体をベッドに預けた。