3 ――秘密の園――
人工的な明るさが目に付き、僅かな呼吸音すら逃さず反響させるそこは地下。
入って直ぐの所、ハイドはメノウに案内されるがままに後をついて行った。
人造石の壁、床。色気ない其処を右へ左へ、また右へ、そして右へ。グルグル回ってようやく左へ。
遂には混乱してくる頭を抑えながら歩く羽目になってくるところで、メノウはソレが可笑しそうに微笑んだ。
「なんスか、馬鹿にしてんスか」
「別に、そういうわけじゃないけど……、可愛いなって」
「…………」
――――これは誉められているのか。はたまた、『まだまだガキだな阿呆が、この程度も分からないとは、私の目は節穴だったようねウフフフフ』という意味を孕んだ皮肉なのか。
ハイドは悩んだ。悩んで悩んで、悩みぬいた先の返答が、「メノウさんも可愛いですよ」
「あら、ありがと」
1つ安堵の息を吐く。今いざこざを起こしたら非情にまずい。シャロンの処刑当日に乗り込むという作戦もあるだろうが、高確率で失敗に終わるだろう。
自分を高評価していいことが起きたためしがないのだ。周りの強者の手を借りるしかないだろう。
「でも、お姉さんに対して言うなら『綺麗ですよ』の方が嬉しいかな」
「ですね」
なれない場所に、なれない人種。ハイドは疲弊していた。出来ればあまり喋らないで、目的のことだけが淡々と進んで欲しかったが――――。
「あら、素っ気無いとアナタのネガティブキャンペーンしちゃうわよ?」
「したければすればいいじゃないですか。ココがダメなら、俺1人でやりますから」
脅されたので、ハイドは思わずそう口にした。
ハイド1人が入ったり、抜けたりしても組織自体に動きは無いだろう。だから、仮に受け入れられなくても仕方が無いと、頭の端で冷静に考える。
ペコペコしていた笑顔が一転、真面目な顔になるものだからメノウは少しばかり驚いて、また微笑む。
「いいね、ソレ。少し気に入ったかも、君を」
「あぁそうですかい、ありがとうございます」
2人はやがて、行き止まりにたどり着く。誰とも接触せずに、その扉の前にやってきた。
メノウが控えめに2度ノックすると、暫くしてから『どうぞ』と声が掛かった。
「失礼します」
扉を開けて、一礼。ハイドも真似して一礼。
メノウが頭をあげるのを見てから、ハイドも顔を上げた。
――――冷たい人造石の床。何の改良もされていないうちっぱなしの其処には、同色の金属製の本棚や、机などが並び、中々雰囲気が良く出来ていた。
お偉い人は、扉正面に机を置き、其処に座るのが通例なのか、はたまた好きなのか。
高層ビルの上階に居る頭と同じく、地下の頭は同じように席に腰を掛けていた。
隣に、秘書を立たせて。
「先日お話し致しました、戦力になりそうな者です。実力は伝えた以上のもの。戦闘時には頭が切れます」
「そんな特殊な癖はありません」
「……悪いけど、少し静かに」
頭が切れるなんて不名誉極まりない、突然のネガキャンにハイドは驚いてフォローするが、注意された。
むすっとして、ハイドは辺りを眺めながらメノウの言葉を右耳から左耳へと聞き流す。
机に座る、顎鬚が立派な初老の男は真っ直ぐハイドを見据えながら、机の上で手を組んでいた。
「目的のためならある程度の手段は選ばず、その為に敵の意表を突く戦闘が得意で――――」
「その説明なら後で聞く。おい少年。名前は」
失礼しました。メノウはそう頭を下げて半歩下がる。ハイドも倣って下がると、君は前にと、メノウに注意された。
中々この世界は難しいらしい、ハイドは考えながら自己紹介を始める。
「ハイド=ジャンです。出身国は」
「ロンハイドか。知っている」
じゃあ何で聞いたんだよっ! 心の中で虚しく叫ぶ。決して口には出せないので、表情にも出さず、ただ真面目な顔で頷くと、
「勇者か。『ハイド=ジャン』、一体何度使い古された名前だ」
「ちょっと意味ができません」
男は小さく溜息をすると、何やら秘書に合図する。と、秘書は一礼して扉へと向かい、メノウと一緒に部屋を後にした。
――――見知らぬ男と2人きりの空間。ハイドは思わず背筋を凍らせた。
「ハイド=ジャンとは人類のために活躍する運命に無い時代に付けられる、勇者血族の名だ」
「お父さんの名前は違いましたよ」
「なら言ってみろ。”覚えているのなら”な」
覚えているのなら、そういわれてハイドは少しばかり苛ついた。いとこやはとこ、親戚の名前ならいざ知らず、実の親の名前を忘れるはずが無い。
どう聞いても馬鹿にしているのだ。魔力が残っているのなら、負けが決定していても魔法をかましてやるのだが、生憎に魔力は完全なる0。大人しく、ハイドは実父の名前を口にする。
「ハイド=……。あ……れ? ハイド……」
ファーストネームしか思い出せない。勿論、それは名字なので思い出して、というか知ってて当たり前だ。
だが――――名前が思い出せない。
名前だけではない、顔も、声も、喋り方も。過ごした記憶も、その一切が消失していた。
言葉に詰まる。ありえないと憤慨したことが、事実となってしまった。
「出来損ないは大抵、旅に出る。自分はこんなところで燻る男じゃない。俺は勇者だ! とな。そして、大抵死ぬ。自分の力を過信しすぎて、油断して」
心に刃が突き刺さる。まるで街に居た頃の自分を見られていたかのようで、耳を塞ぎたくなった。
「街の名が勇者にちなんでいるのではない。勇者の名が、街にちなんでいるのだ」
「だったら、何で旅立った親父の血を、俺は引いてるんだよ!」
「今までの決まりだったからよ、子を作るのが。国のな。だが、最後に魔王という脅威が現れてから既に300年が経過している。お前の国の王は、勇者の血は不要だと感じたから、お前は性交渉も無いまま街を追い出された」
「俺の力が、邪魔になったのか」
憎しみとも、悔しさともつかぬ感情を心に満たしながら言うと、男はフンと鼻を鳴らした。
「力があって邪魔なはずが無い。邪魔なのはお前だよ、お前個人だ。自分は勇者だ英雄だと勘違いした、おまえ自身が邪魔なのだ。可能ならば他のものにその力を移行したいと考えるほどにな。ただの餓鬼の戯言ならばまだ微笑ましいが、力がある分始末に負えん」
「嘘だッ!」
「脆弱なガキが」
「俺は他とは違うんだ! 誰か、他に俺を必要としている世界が――――」
「お前の運命に、成功する話は無い」
「黙れ、黙れ黙れ黙れ! 五月蝿いんだよ!」
顔が火照る。先ほどまで寒かったはずなのに、汗が額から流れ、血管が浮き出ていた。
あくまで静かに、男はハイドを睨み続ける。
「だから――――お前の運命に、たった一つの見所を付け加えてやろうと言うのだ」
「……、何を」
「私が捨て駒としてお前を活躍させてやる」
――――腐っても、勇者の力を持っているからな。男の笑みに、そう言葉が浮かんでいるように見えてハイドは強く歯を食いしばった。
怒りなのか、悲しみなのか。現実感の無いそこで、ハイドは激情にかられていた。
「だったら、その代わりに仲間を助けろ」
「あぁ、傭兵シャロンだったな。……皮肉な事に、彼女が仲間だったのか――――勿論、彼女は助け出そう。勝利の女神だからな」
「……交渉、成立か……」
腑に落ちないままに、ハイドは男へと歩み寄る。男も席を立ち、ハイドに寄った。
胸に何かがつかえる。今まで見えた、希望の光の木漏れ日が全て消えてなくなってしまったような絶望が、心を支配している。
静かに差し出す手は、肉厚な手に強く握られた。熱心だと、高評価する握手だったが、不敵な笑みを浮かべる男がするのでは全く持って意味が無かった。
「私はアークバ。今後ともよろしく頼むぞ、勇者殿」