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7 ――ほの暗い廊下の奥から――

靴が音を鳴らさないように抜き足差し足と、ハイドは足を上手に運んでいた。


アレから数分が経ち、十字路を迷わず右に曲がってまた数分。扉はあれど、出口は無かった。その上階段も見つからない。


敵基地のど真ん中で諜報活動をしている潜伏兵の気持ちになってきたハイドは、若干ハイテンション気味で廊下を進んでいた。


あるときの事。前方から突如として人の声が聞こえてきた。


ドキドキのワクワクすぎて周りの音が耳に入らなかったために、接近するまでその存在に気がつかなかったのだ。


「そこで、ジャクソリィのヤツがこう言ったんだ。『ソイツは俺のドーナツだ』ってね」


全角英字でハハハと聞こえてくるような笑い声を上げながら、こんな夜中に迷惑も考えられない男が2人、迫ってくる。


緊張に息を呑まざるを得ないハイドは、暗闇を利用して壁に張り付く。


そう、擬態するのだ。


自分は壁だと思い込む事によって、誰もがソレを壁だと誤認する。昔読んだ本にそう書いてあったことを思い出して、灯かりから離れた所の壁にハイドは顔をつけるように引っ付いた。


「それじゃ、ジャクソリィの奥さんはそれはそれは悲しい思いをしただろうね」


「ところがどっこい、奥さんも負けじと言い返したのさ。『だったらあなたはピーマンね』だとさ」


「そりゃ手厳しい!」


愉快だと笑う男達は、やがてハイドの気配に気づくことも無く、その背を通り過ぎて、やがてその声が小さくなっていくのを感じてから、ハイドはゆっくり壁からはがれた。


ほっと胸をなでおろして、再びハイドは前を進んだ。


音を鳴らさないように歩く足は、気がつくとすり足へと変化する。やがて呼吸も落ち着いてきたその頃、ハイドは壁に手をついて移動し始めると、すぐに窓を発見した。


カーテンに覆われていて存在に気づかなかったが、そのカーテンを控えめに開くと其処からは月の灯かりが眩く差し込んでいた。


月の姿は見えないが、高い位置から注ぐ光は明るく街を照らしている。


現代社会の代表のような街並みは、一気に幻想的な雰囲気へと移り変わる。人気の無い街、所々で明かりの灯るビルが聳える景色。


窓を開けずとも漏れる冷気が、ハイドの背筋をゾクゾクと、そして肌をあわ立たせていった。


「月が空に張り付いてら」


呟いて、フンと鼻を鳴らす。特に意味はないが、言ってみたかったのだ。


窓から顔を離すと――――ある程度暗さになれたはずの廊下は、再び深淵なる闇に飲まれていた。


ショックだった。


途中まで読んだ本のしおりを外される感覚。ハイドは思わず、自分の情けなさにうな垂れていた。


それと同時に、近くの、窓とは反対側の壁にある扉が開いた。誰かが、廊下へと出てきたのだ。


――――逃げるか。隠れるか。窓から飛び降りるか? だがかなりの高さがある。ならば、どうする……?


思索するも既に遅し。扉を開けた際に、その隙間から漏れる光によってハイドの姿は露見されている。故に出てきた人物にハイドの存在が認識されているので、逃げることは不可能。大騒ぎになるからである。


だから、この状況で最も正当性のあり、ハイドの出来ることは――――言い訳である。


「あぁ、よかった。人が居たんですね」ハイドは人当たりの良い笑顔を向けて声を掛けた。「実は、迷子になってしまったんです」


物腰の柔らかな声は相手の警戒網をすり抜けて心へと浸透していく。その、逆光の中立ち尽くす人物も同様であるらしいと、落ち着き払った声で理解できた。


「迷子……? なら、大変ねぇ」


女の声は困ったように投げられた。


現在、ハイドが最も重視すべきことは何のお咎めもなしに自室へと戻ること。


何が原因でお咎めを貰うかはわからないが、少なくともソウには嫌味を言われそうだ。


どうやら状況的に魔牢院と間違われることはないし、怪しいと思われることもないだろう。たぶん。


「君、何番号室だか覚えてる?」


ゆったりとした風に歩み寄る女性は半等身分、ハイドよりちいさく、故に見上げる形で優しさを孕む雰囲気を展開しながら言葉を続ける。


ハイドは一呼吸を居て、「いえ」と首を振った。


「この道を進んで来たんだよね? だったら、お姉さんが付き添ってあげようか?」


生憎、シルエットでしか見えない女性だったが、ハイドはふれたことの無い精神的な暖かさを初めて、この女性から感じていた。


ハイド教を崇拝するノラにも、何を考えているか分からないシャロンにも無い、別な感覚。


胸の奥がほっこり暖かくなるのを感じながら、ハイドはこの状況では断れるわけも無く、静かに首を立てに振った。


――――女性はそれから部屋の電気を消して、懐中電灯を手に、「私はメノウ」と名乗るので、ハイドも仕方が無く本名で返した。


「あら、ハイドって、もしかしてジャン君かしら」


「えっ」何故それを? 聞こうとして、メノウが遮った。


「ソウジュ君が話してたのを聞いたのよ。弱いけど、凄く強いヤツだって」


「弱いけど……? なんか、凄く馬鹿にされてるような気がするんですけど」


「悪い意味じゃないと思うわよ? ソウジュ君は、あまり悪口を言うような子じゃないから」


随分と中のよさそうな口ぶりから、どうやら医療施設内ではなく、『竜聖院』での関係が深いと悟って、ハイドはなるべくそれに気づいていないように会話を続けていった。


懐中電灯が明るく辺りを照らす。途中、幾度か人とすれ違うが難なく回避し、やがて無事に自室の前までやってきた。


「今日は本当にありがとうございました」ハイドは深く頭を下げ、「それと」


「ソウジュ君には秘密にしておくわね」


メノウが悪戯に微笑んで、踵を返した。可愛らしい人だけど、やりにくいなぁなんて息を吐くと、メノウは振り返り、手を振りながら、


「またね」何かを含んだような別れ言葉を、ハイドへと告げた。


――――収穫は無かった。


だが妙な充実感と、心にのしかかる、妙な不安がハイドの心の中に残っていた。

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