4 ――剣士は2度刺す――
「状況が分かるのなら武器を捨てろ。俺には勝ち目はないぞ?」
剣を構えて、ハイドは何を考えたのかそう口走った。
真面目な顔。その奥では何を考えているのか、誰にも判明しないハイドは実際、何も考えてなどいない。
「…………」
だから、男は何も答えなかった。
横方向の少し離れた位置にいるシャロンは呆れた息を吐き、男の背後に居るノラはハイドのさりげない降伏の台詞に気づいていない。
「無視かよ」
ハイドは駄目かと嘆息する。ハイドにとって、あの長い刀は非常にやりにくい。広い間合いはまだ妥協できるが、その間合いに入った時の反応速度が異常すぎるのだ。
一歩でも入り込めば次の瞬間には頭が吹き飛んでいる。それほどの速度。
何がおきたかも分からぬうちに、ハイドは胸に傷を負っていた。心臓を破壊されなかったのはおそらく”心臓を破壊しなくても勝手に死ぬ程度の敵”と認識されたからであろう。
だが今は違う。悔しかったからしゃしゃり出てしまった。
そのせいで、次は確実に殺されるのだ。冗談もほどほどにしてもらいたい。
「……シャロンさん。俺が死んだらこの後をお願いします」
「死んだら、ね」
微笑んで最期の挨拶をするが、シャロンは意味ありげに頷くだけだった。もう少し感動的に別れを告げてくれれば生きながらえる時間は延びるのに。
だがどの道死ぬのならば――――ハイドは、その体から魔力を放出させ、そうしてすぐに取り込んだ。
爆発的に放出された魔力は体内で燃焼され、肉体を活性化する。瞬く間に筋肉が痙攣し始め、力が奥底からわきあがる。
ただ力を上げるのではない。速度を上げるのではない。テンメイとの戦闘で学んだ、肉体強化魔法の使い方。
移動中掛けるのはもちろんだが、さらに1つだけテクニックがある。それは――――。
「来いよ。テメェを後悔させてやるッ!」
そうして駆け出した。言動が支離滅裂なハイドは、剣を男と同じく、地面と水平に、肩の位置で構えて。
凄まじい速度で空気を切って、男と接触。――――その瞬間、ハイドはさらに部分強化を重ねがけする。
それは、視力である。動体視力。相手の動作の1つが見えれば、次にどこに何が来るか、ある程度の予測ができるからだ。
男の刀はハイドが近づく際に1度引かれ、ギリギリまで引き寄せてから急所めがけて音速で穿つ疾風突き。
男の思惑通りギリギリまで引き付けられたハイドは、体を斜めに傾け、盾でそれを受けながら男の懐に、まんまともぐりこんだ。
そして同じような突きを、男の腹に撃ち放つ。――――あまりにも上手く行き過ぎているものだから、ハイドはもしかするとこれは幻覚で実は今敵にめった刺しにされている最中なのではないかと疑うが、その刀身が確かに肉を貫いた感触を伝えたので、ハイドはこの現実を受け入れた。
筋を裂く音が耳に届く。ハイドより身長の高い男の体温がじかに感じられるそこで、だが男の行動はまだ終了していなかった。
虚空を貫いた男の刀が再び引かれていた。ハイドが剣を恐る恐る腹に突き刺している、その最中に。
痛みに吼えることもなく動作をとめるわけでもなく、ただハイドの命を刈り取ろうと次なる動作の予備段階へ向かい――――気がつくと、ハイドの右肩からは長い刀身が生えていた。
ハイドがそれを認識した瞬間、男は勢いよく刀を引き抜く。脳まで響く電撃のごとく激痛が、ハイドの行動の全てを停止させた。
そうして退きながら剣を腹から抜いて、今度は天高く刀を振り上げ、大気を纏う様に切り裂きながら、それを振り下ろす。
目で見ているのに、体が動かない絶望。動く左腕を、盾を構えたと思ったらハイドは未だ無防備の状態で突っ立っていた。
――――左肩から袈裟に、ハイドは切り裂かれる。幾本かの骨を断ち切る鋭き刀はさらに内臓を傷つけて、致命的なまでの傷をハイドに与えていた。
思考が停止した。全ての考えを放棄して、未だ意識のあるハイドはただ、その攻撃を受けても断っていることしかできない。
「後悔、したか……?」
男が不意に口を開いた。とことんいやな奴だ。こいつは――――。
「するかよ、馬鹿が」
意識がある。つまり反撃のチャンスはまだあるということだ。だからハイドはめげずに回復魔法を掛け始める。
ハイドは全身を光で包みながら、剣を左手に持ち替えて構える。
体を斜めに構えて、再びその男の目を見据えた。すると同じく、その腹が回復魔法によって光っているのが見えた。
「おいちょっと待て、そいつは卑怯なんじゃないのか」
ただでさえ勝てないのに、せっかくつけた傷が治ってしまうとは何事だと、ハイドは疲れも知らずに言論した。
だが相も変わらず男はだまったまま。ハイドはこりゃ駄目かもしれないとため息を吐いていると、回復魔法を掛けているのにもかかわらず、不意に体から力が抜けた。
膝が自然に折れる。力が入らず、そのまま地面に倒れてしまった。
回復魔法が途切れている。肉体強化魔法も切れているところを見ると、どうやら魔力が切れたらしいとハイドは納得した。
「次は無いってか」
男を見ながらつぶやいた。力ではなく、技も、精神でも格上の男に対して勝つ術はあるのだろうか。いや無い。
「背水の陣を敷いてくれてありがとよ」これで無駄な考えはできなくなったと、ハイドは両手で剣をしっかり握る。
血でぬらりと鞘が少しばかりすべるが、もうどうにでもなれと正眼に剣を立てた。
後は無い。力も出る気がしない。勝てる気がしない――――だが、負ける気もしない。
男に穴は無い。だがハイドには多すぎるほどに存在している。男は的確にそれを狙ってきているのだ。
だから、それを利用する。ハイドは考えた。
男は再び『突き』の形で構えていたので、動く気配は無いと思われた。
だがそれも、どうやら違うようで――――すでにその鋭き切っ先が、ハイドの眼前に迫っていた。
息を呑む間もないハイドは、すぐに顔をずらす。
刀身は頬を切り裂く。だが攻撃は未だ終わらず。
横なぎに振るわれる刀を盾で防ぎ、鍔迫り合いのように擦って、ハイドは再び男へと近寄った。
その瞬間、男の振り上げた足が顎に炸裂する。前後不覚。ハイドは意識を朦朧とさせながら、だが体を止めずそのまま突進する。
頭から腹に激突する。首の骨が悲鳴を上げるが、この際どうでもよかった。
予想だにしない行動だったのか、男は思わず、後ろに数歩押されていて――――ハイドはここだといわんばかりに、さらに体を深く落として、さらに押し出す。
ある程度バランスさえ崩れてしまえば、簡単なものである。
男には向かず、ハイドは持つだけで構えられていない刀へと体を向けて、ソレに対して、両手で構えた剣で切り上げた。
両刃の剣と、刀の峰打ちが交差し、甲高い音を立てて――――刀は宙を舞う。
だがソレと同時にハイドは、体勢が崩れる際に放たれた回し蹴りを頭に直撃させ、意識を手放す。
男の得意な、肉を切らせて骨を断つ、二段構えの戦法にはめられていたのだ。
ハイドは武器を奪い、男は意識を奪った。ドローとはいかない勝敗の結末。
両者はそれでも精根使い果たした様子で、ハイドは顔面から倒れて、男はその場にひざまずく。
だが男にも”次”はないようで――――首に目掛けて斧を振り上げたシャロンと、背後から弓を構えたノラに狙われて、無表情のまま、ただうな垂れた。