8 ――束の間の休息――
明くる朝、鉱山都市を包む谷の上に立つ1つの影があった。
地平線から顔を出す太陽を眺めながら、風は唸り全身を撫ぜる。全身から魔力を放出するソレは、そのまま地面を蹴って飛び降りた。
地上数十メートルの高地。擦り剥いた、骨折したではすまない高さから降りたソレは谷の壁に対して垂直に身体を寄せると――――そっと、それに手を触れた。
指先が強く弾かれる。軽く触れただけなのに痴漢扱いされたような気分になって、魔力で十分に満たされたその手を、今度は勢い良く、殴りつけるように手を伸ばした。
下からの風が全ての音を掻き消す。伸ばした手は壁を削りながら落ちる速度を低減させ、やがて十メートルをきったところで、壁を蹴ってそこから大きく離れた位置に着地する。
足全体で着地するのではなく、軽くつま先で踏む程度。かた足は少し開いて、しっかりと地面を踏ませると、存外に受ける衝撃は少なくなり、直ぐに駆け出すことが可能となった。
全身を強化する魔法をそのままに、ソレはさらに貿易都市と荒野を挟む森の方へと走り出す。
一瞬にして谷の壁から遠ざかる。風を掻っ切って未だ見ぬ新境地を開拓する速度は『テンメイ』に近く――――数分とせずに、森の入り口までやってきた。
だが、そんな速さ、いとも簡単に制御できるはずもなく。
足を止めて、必死にブレーキを作って速度を落とすが間に合わず。結局、勢い良く大木に全身を打ち付けてようやくその身体は止まったのだった。
「痛ってェ――――、ったく、魔力がもう半分きってるし……」
木の幹に張り付いてから静かに倒れ、ゆっくりと服につく砂を払いながら立ち上がる。
「さて、もう少し慣らしてから帰るか」
―――――鉱山都市では、数時間前のテンメイの襲来によって少しばかりの被害が出ていた。
民家一件が全焼。夫婦と長男長女が眠っていたが、放たれた弾丸は誰も居ない部分に当たり、火が回らない内に避難したので奇跡的に無事。
鍛冶店の1階部分は半壊。複数あるうちの、小さな高炉が1つ破損した程度の被害で終わり、朝方にはとりあえずの修復は終えていた。
日が昇る午前。何事も無かったように街を行き来する姿を眺めながら、ハイドは街へと戻ってきた。
「は、ハイド君! 一体どこへ行っていたんだ、まだアレからそんな時間が経っていないのに……」
少しはなれたところでキョロキョロと、何かを探すような行動をするフォーンは、ハイドを見つけるなりそう言いながら寄って来る。
それを少しばかり鬱陶しそうに、ハイドは息を吐いて、
「時間が経ってなくても怪我は治りました。それに、少し散歩してただけですから」
それに……。ハイドは続けようとして、言葉を止めた。
どうでもいいことだと首を振って、
「ノラはどうですか?」
病院から抜け出す際に見たときには、随分と安定した寝息をたて、特にコレといった外傷はなさそうであったが、そう時間が無かったために、見落としがあったかもしれない。
そもそも、そんな怪我をしていたのなら外へなんか出歩く余裕なんか無いんだ。
ハイドが心の中で呟くと、フォーンは答えた。
「ノラちゃんは弓兵として随分成長していたらしくてね。いいのは眼ばかりじゃなく、勘も良かったらしい」
「……、そうですか」
ほっと息を吐く。フォーンの口ぶりでは、どうやら大きな怪我はしていないという事だ。少なくとも怪我はしているが、日常生活に支障が出るレベルではないということ。
ならば、あの病院の医者ならば直ぐに治してしまうだろうと考えて、ハイドは病院へと向かう歩調を少しばかり早めていった。
「――――もう屋根の上には上りませんよ。今回のことで嫌になりましたからね」
包帯でぐるぐる巻きにされた右手を振り回しながら元気良く言うノラ。
安堵の息を吐くハイド。それらを見て微笑むシャロンは、
「さて、旅立ちの日程は少し先送りとなったね。今まで鍛錬やら訓練やらで忙しかったから、コレを機に休養すればいいんじゃない?」
「それよりパーティー解散しようぜ」
まわりから一歩退いたところで、ズボンのポッケに手を突っ込みながらハイドはそういった。
「ちょっと何言ってるか分かりません」
ノラは静かに首を振る。シャロンは何故だか笑っていた。
「どうせ自分のせいで街が被害受けたとかなんだとか言うんでしょう? 生っちょろい、全てを受け止められる男になってから吐きなさいな。その台詞」
「わかった。ならこのパーティから俺が抜けます。リーダーはノラね」
片手を上げて、「んじゃね」と退室しようとするハイドの肩を掴んで、シャロンは振り返させる。
そうして頭突きの如く額と額をぶつけて、
「何か悩みがあるのなら言ってみなさい? 優しく聞いてあげるわよ」
「とりあえず1人に厳しさを身に染みて成長したいんです」
肩を掴んで必死に引き離すが、それを上回る強さで身体を押し付けてくるシャロンに対する策は、顔を背けることだけだった。
「母国で十分にそれを知ってるはずじゃない?」
「な、なんでそれを……」
そう言えばと、ハイドは言いながらそわそわと慌てた様子のノラを見た。
眼が合い、ギクリと身体を強張らせる彼女を一瞥して、大きく溜息を吐いた。
「もう皆が強くて嫌なんです。たまには雑魚相手に俺1人で圧勝とかしてみたいんです」
すると、シャロンの押す力は一気に抜け――――彼女は大きく背後に吹き飛んだ。
病室の、ベッドの上へと転がり、悲鳴を上げながらその向こう側へと落ちていく。
呆れた様子でそれを見るハイドに、ノラはハイドに指を指して、「ゆーうぃん!」なんて言っていた。
始末が悪い。そう吐き捨てて、ハイドは降参の印に手を上げた。
「わかりました。これからも仲良くいきましょう」
やけくそ気味に言い放つ言葉に、2人は笑顔で頷いた。
やれやれだぜと息を吐く。不運なことに、今日はまだ始まったばかりであった――――。