4 ――新たなる脅威――
夕闇を横目に見ながら、その太陽の位置から方角を割り出して鉱山都市へと向かい始めたその頃。
背後で轟音が鳴り響いた。
大地が揺れる。大気が烈しく振動する。巨大な何かが凄まじい勢いで打ち崩されていくような音、そして、岩やら何やらが、地面に叩きつけられていくような衝撃。
思わず足が止まった。驚いてドクドクと鼓動を早く打ち鳴らしている胸を押さえながら振り返ると――――先ほどまで合った、隠れ家的岩山が原形をとどめず崩れていた。
それはまるで、砂山を崩すように。
「こいつはヤバイな、あぁ、凄くまずい」
ハイドは言いながら前へと向き直り、駆け出した。何故か。その理由には2つの事象が挙げられる。
まず1つは、突然岩山が崩れたという事。そして1つ、そんな大事を、気配1つさせずに行った者が居るという事。
ハイドは振り返って、大きく巻き上がる砂煙の中に見たのだ。確かな生命体を。その恐ろしいほどの魔力を放出する、『魔族』の姿を。
だから必死に駆け出した。なりふり構わず、リュックからパンパンに膨れ上がる布袋を取り出して、そこから一粒の木の実を口に放り込んだ。
――――それはつい先ほど道具屋で購入した、魔力増幅薬である。その効能は個人差はあれど、確実に魔力を本来の倍以上にまで引き上げる代物。
魔法自体が其処まで盛んでない鉱山都市では価値が低く、それ故に安い物価で手に入れることが出来たのだ。
奥歯でソレを噛み砕く。それと同時に、背後から一瞬にして距離を詰める気配があった。
次の瞬間、何かが後頭部を掴む感覚と、視界が暗転し、全身が地面に叩きつけられる感覚が交差した。
何が起こったのかがわからない。そんな衝撃の後にようやくやってくる痛みを感じて、なんとなく、断片的にそれを理解し始めると――――。
「ふぅむ、なるほどぉ……まだ呼吸があるとは、面白い」
ハイドは後頭部をつかまれたまま引き上げられ、そのまま足は宙を踏んで、視線は空を仰ぐ。
魔力による肉体強化が間に合わずに、指先すら動かせないほどの大ダメージを受けたハイドは、だが何とか残っている命に感謝しつつ、回復魔法を唱えた。
「俺を癒し給へ」
全身が淡い光で包まれる。後頭部を掴んだままのソレは、どうでもいいと言った風に鼻を鳴らす。
「いい判断だ。だがもう少し、強くなくては話にならんがな」
ソレはハイドをまるでボールを弄ぶかのように扱い始める。
大きく後ろへと引き、そして空へと高く放り上げた。力なく打ち上げられたハイドの身体は、綿の抜けたぬいぐるみのようであった。
ハイドの身体が、一瞬軽くなる。それは力の干渉が失せたという事で――――ハイドはやがて、地面に引っ張られる。あるいは自身の体重によって叩きつけられるために、今まで上がってきた高さを落ちていた。
そんな頃にようやく回復魔法を終えたハイドは、嘆息しながら体勢を整えた。
整えるといっても、仰向けからうつ伏せへと変わっただけのこと。その間に、凄まじい程の魔力が大地から離れ、ハイドへと急速に近づき始めていた。
――――何の魔法を唱えるのが正解か、そんな事を考える間も置かずに、ハイドの腹部に鈍い衝撃が疾った。
骨が悲鳴を上げる。肺の中の空気を全て吐き出しながら、その痛みを全身へと回す。
「脆い、脆いなァ! それがお前の実力かァ? 出してみろよォ……本気ってヤツをよォ!」
そしてソレは大きく振り上げた拳を、ハンマーの如く振り下ろす。威圧を孕むその拳はハイドの背中へとぶち当たり、落下中のハイドは急加速して、一瞬後には派手に地面に叩きつけられていた。
一瞬意識がトんだ。だが、それが永遠でなかっただけ上出来と、痛みで叫ぶ全身を無視して立ち上がった。
どうやら色々な所から出血しているらしく、口の中が鉄の味で満たされ、目はそのせいで左目しか開けられずに居る。
リュックもどこかに落としてしまったらしく随分と自由の利く格好になっているが、いかんせん左腕の感覚が無い。
――――魔法を唱えるにも時間が足りない。武器も、ただの買い物に行くだけだったので持っていないし、鉄パイプのようなものも鎖も全て岩山の洞穴においてきてしまった。
逃げるにも、ここが何処で、街までどれ程の時間が掛かるか不明。荷物をなくした以上魔力を節約するために、回復魔法を掛けるわけにも行かぬという――――極地。
――――人間は、圧倒的な力を前にすると本能的な恐怖を感じるという。いくら勇者と言えども、例外は無いのである。
故に、今現在の状況でハイドが情けなくその膝をガクガクに震わせていても、誰もが馬鹿に出来ないし、呆れることも出来ない。
それが『当たり前』なのだから。
「――――人違いだったかァ……? 貴様、『ハイド=タンヤオ』で相違ないかァ?」
――――そんな発言が、不意に過去の記憶を過ぎらせる。
確か、その名前は、随分と昔に感じる少し前の出来事の中で出てきていたようで――――どうやら、この窮地を脱せそうな気を奮い立たせる原因となっていた。
相手は背中に翼を生やし、筋肉質で、頭には2本の角、肩にもそれぞれ角を生やし、瞳の白目の部分が黒く、黒目の部分が赤い、典型的な魔族。
人型だが、人間の種族とは異なる存在。魔物の進化系と言うよりも、魔物が魔族の劣化版というようなもので、つまり魔物の先祖的な存在――――という説もあるが、実際にはその魔族が、魔物という別の生命体を作り出したというのが事実だが、人間の間では知られてはいない。
「……いいや、残念だが俺は『ハイド=タンヤオ』ではない」
少しばかり、辺りより凹んだ地面に立つハイドはようやくソレだけを言って首を振る。
「ならば、なんと言う名だァ……?」
魔族は静かにハイドの直ぐ目の前に立ちはだかると、その頭を鷲掴みにした。どうやら嘘をついたら承知しないぞという事らしい。
――――ということは、嘘が判別できるのか。ハイドはそう考えて、使おうとしていた偽名を喉の奥に飲み込んでから口を開いた。
「ハイド=ジャンだ」
「……嘘はついていない様だなァ。――――しかし、この魔力は残っていた魔力と酷似している上に、姓が同一ゥ。……なら、ハイド=タンヤオについて何か知らぬかァ?」
頭を掴む手に力が入る。――――この魔族は、ハイドが睨んだとおり『カクメイ』を殺した者を追ってきたらしい。
しかしこのままでは嘘をついても頭を握りつぶされジエンドだ。どうするか……、ハイドはそうして少し深呼吸をして、
「俺がタンヤオだ」
「……なるほど」
魔族は1つ頷いて――――ゆっくりと、手を離す。
「ならば、貴様が勇者という事か」
「そうだけど?」
どこか安心したハイドは、息を吐いて言葉に答える。すると、その魔族は面倒そうに頭を振って、
「なぜ貴様が動く必要があるのだ? なぜ均衡を保とうとしない。何故だ、なぜ――――」
――――魔族曰く、一定の期間をおいて、魔王が現れるらしい。正確には、魔王としての力を身につけた魔王が現れるという。
それはどういうことか。早い話が、魔王が倒されて、現れるまでの期間は『新たな魔王の育成期間』であるという。故に人間界を攻めきれないので、大事になるほど干渉はしないし、勇者の力が無くても、人間自身で解決できることばかり。
だから今まで、魔王が現れるまでどちらも平和に暮らし続けていた。絶対悪がある事によって、人間はある程度の秩序を保とうとするからであるから。
「なぜって言われたって、俺は別に勇者として世界を歩いてるわけじゃないし。カクメイ殺したのだって、かかる火の粉を振り払っただけだし」
話が通じる相手に安堵の息を吐いて、そう返すハイドは対等に話してみるが、
「……どちらにしろ、貴様を殺すことに変わりはないのだがなァ……。1つ疑問が解消されて良かったとい――――」
「星の瞬き」
ハイドは魔族の言葉を遮って、後ろに飛びながらそう叫んで――――先ほどまでハイドが居た場所に残していった魔力を爆発させた。
それは爆発といっても、威力が皆無の脅し魔法。甲高い音と、目がくらむ輝きが辺りを包むめくらまし。
だがどうにかそれは、魔族を足止めする事に成功していた。
いくら魔族といっても、視覚と聴覚の器官を一定の間麻痺させられれば行動できないらしく、一生懸命駆け出すハイドの後ろには、追ってくる気配も魔力も存在しては居ない。
ハイドはそのまま、放出する魔力を自身の内に引っ込めて、唱える魔法も全て解除。回復もできないその状況で、地面を踏む衝撃に痛みを訴えながら、それでもハイドは街を目指して走っていた。




