2 ――愛は小売店《コンビニ》では買えない様子――
「すいません、死に掛けて遅れたんですが仕事はありますか」
観音開きの扉を開き、カウンターに肘を突いて気だるそうにする主人へと声を掛ける。
「またかい? いい加減にしなよ、アンタ」
長く紅い髪を掻き揚げながら、女店主の『リート』は適当に返した。
また。などというが、ハイドが死に掛けたのは今日が初めて。
そもそも会話が噛み合ってないので違う誰かと話しているのだと思うと、彼女は体勢を直して真っ直ぐハイドを見ていたので恐らく会話は平行線なだけなのだろう。
「お父さんの仇を取られたんで、まぁ、悪い気はしませんよ」
「刺されたのに、随分人が良いんだねぇ。ちょっと引くわ」
「……刺された? ちょっと待ってください。なぜリートさんが刺された事を知っているんです? もしかして、あの娘はリートさんが差し向けたんじゃ――――」
身体は子供なのに頭脳は大人な少年の如くずば抜けた論理的思考から、そう名探偵ぶって、一歩も動かない出入り口前から指を指し、そう声を上げるが、
「見た人が伝えてくれたからだよ」
「……まぁ、そうなりますよね」
相も変わらず酒臭いそこは、むしろ酒場を兼業じゃなく、仕事斡旋業を副業にしているのかと勘違いする。
ハイドは見慣れた野郎共に軽く挨拶を交わしながら、リートの元へと歩み寄っていった。
「1万から1億までの比較的ラクな仕事でお願いします」
「男は血を流して金を稼ぐのよ。舐めたことを言わないで頂戴。勇者なんだから」
「勇者勇者といいますがね、リートさん。案外勇者の名前と俺の存在は一致してないんですよ、だからあんまり言わないで下さい」
「世が平和だからね。そして言わないで欲しいと思うならアンタが無償で引き受けた仕事でヘマをしなけりゃいいのさ」
「勇者が困ってる人を助けて何が悪い、そしてヘマは仕方がない」
「アンタがここに通うからここの評判が下がる。結果的には桶屋が儲かるけどね」
「ほら、困ってる人がいないじゃないか」
「話を聞け。ここの評判が下がると言ってるじゃあないか」
「大丈夫!」
何を根拠に……。そう頭を抱えるリートは、1つ溜息を吐いてカウンター奥の台に乗る、何百と重なる紙の束に手をかざした。
「どうせボードも見ないだろうから、適当なのを見つけてあげるからさっさとおいきなさいよ」
ボード。それは仕事内容が書かれた紙が、それぞれ張られるボードのことである。
それでは無防備すぎて、無関係なモノでも仕事をうけられるのではないか? と思うが。それは無理。
仕事を受ける段取りとしては、まず仕事を選ぶ。または、リートに斡旋してもらい、その紙をリートに提示する。
そして仕事紹介主、簡単に言うと仕事をしてくれと依頼した者へと紹介状を書いてもらい、地図を貰って依頼主の元へ。
そうして依頼主と仕事を受け取ったもの同士で直接契約を結び、仕事がようやく出来るのだ。
依頼はこの仕事斡旋会社に来なければ出来ないために、依頼主はここへと赴くしかない。その際に、段取りを伝えるので無関係者がここの仕事を受けるのは不可能なのである。
紹介状を偽っても、紹介状には特別な何かが書かれているためか、依頼主にはすぐばれてしまう。
――――リートがかざした手の先、紙の束が反重力の効果を受けるようにフワリと持ち上がり、舞う。
舞うといっても、室内中に紙が飛び交うといったものではなく、束が束の形を保ったまま、紙が浮いて一定の隙間を作る程度の、酷く小規模なモノであったが。
「……これね」
リートが呟くと、その中から一枚の紙が引き抜かれ、リートの顔前にフワリと浮き上がり、それを維持する。
その後直ぐに、束は落ち着き、元の場所へと落ちることも乱れることも無く戻っていった。
手の中には、綺麗に抜き取られた一枚の紙。リートはソレを叩きつけるようにカウンターにおいて、そのカウンターの下から便箋と、用紙と、インクとペンを取り出した。
「……えーっと。『王様の暗殺計画』……?」
スラスラと、文字を書き綴る細く長い指が止まる。垂れる紅い髪の隙間から、キッと睨む鋭い眼光があった。
「馬鹿なこと言わないでくれる? なんでそんな物騒な仕事を請け負わなくちゃいけないのさ」
「え、だって……」
「だってじゃない。今度ふざけたら登録情報を抹消するからそのつもりで」
怒るリートに震えるハイド。空気の読めない行動は、時として食い扶持をなくす事になり得るのだった。
「ほら、これを持って、王様の所においきな」
「……はい」
しかし、ハイドが眼にしたのは確かに『王様暗殺計画』であった。何度読み返してもそうで、リートが渡した便箋を止めるシールも髑髏という、疑う余地が一切ないほどである。
――――腑に落ちないまま、ハイドは其処を後にした。
「ったく、言いたい事もいえないこんな世の中じゃ」
ハイドは嘆息する。
そうして見上げた空は、抜ける青空であった。
人々の行き交う数が多く為り始める。馬車が通り始めるので、ハイドは大通りの隅を歩き始めた。
「ちょいとそこのアンタ」
そんな中で――――不意に背後から声を掛けられた。
「はい? なんでしょう」
「アンタ、アレだよな? 今朝刺されてた……」
散切り頭に無精ひげを生やした男、その背後に2人の青年が居て――――その2人が両手で押さえる、もがくベージュ色の何かは、見覚えのある姿であった。
「え? あぁ、見てたんですね。見物料を頂きたい」
「は?」
「いえ」
眉間に皺を寄せ、怒気を孕む声を放つ。ハイドは脳が麻痺しているらしく特に恐怖は感じなかったが、面倒そうなので適当に怖がる振りを見せておいた。
「今朝アンタを刺した女の子を捕まえたんだよ」
「へぇ、凄いじゃないですか。警邏兵にでも出したんですか?」
「いんや、ここに居る」
さり気ない皮肉も通じないらしい。ハイドは穏やかに笑顔を作ったまま、先ほどから視界に入るベージュ色のソレへと視線を落とした。
「まだ幼いですね」
「父親が死んで身寄りが無いんだと。そこで、100万でどう?」
「? いや、ちょっと意味がわからんのですが」
「この娘を、100万で買わないかって言ってんの。保護者も居ないし、今朝の事も特に警邏兵には伝わってない。そこで怨みもこもってそうなアンタに、良心的価格で取引しようってんだ」
「あはは、面白いですね。俺忙しいんで、じゃ」
あははははと笑顔のまま軽く手を挙げ、足早に過ぎ去ろうとするが――――その肩を捕まれて、ハイドは合えなく御用となった。
「アンタにも良心ってのだあんだろ? この娘が悲惨な将来を贈るはめに為るのが嫌なら100万で取引しようっての。わかる?」
「いや、さっき恨みが云々言ってたじゃないですかぁ。もし俺に恨みが合ったら、そんな台詞矛盾してないですかぁ?」
そんな台詞に、男達は何かがブチ切れたのか――――ハイドは肩を捕まれたまま、近くの細い、人通りの皆無な路地へと連れ込まれた。
少しばかり奥へと進む。静かで、気温が少しばかり低く、暗い其処はまるで別世界のようであった。
進んだ其処で止まり、ハイドはなんだろうと思いながらもソレに倣って足を止めると、不意にその顔面に鋭い拳を放たれた。
激痛を感じて、後ろへと引こうとするが、素早くその胸倉をつかまれ、
「いいから金だせって――――」
「い、いやっ!」
耳元で囁く男の声。それに重なる、少女の悲鳴と、衣服が破れる音がした。
「……いいぜ、かかって来いよお前等。まぁ30秒と持たずに俺の帰り血まみれになってるんだがな?」
チッと、男が舌打ちをする。「コイツ、使えねェよ」
そう仲間に言った後――――振り上げられた拳はすぐさまに、ハイドへと振り下ろされた。