1 ――天国から地獄――
ルンルン気分で外付けの階段を上り、4階入り口の玄関を開ける。
「たのもー」なんて言っちゃったりして随分とゴキゲンな様子なハイドであったが――――玄関から伸びる廊下を進み、扉を開けると居間がある。そのど真ん中にはテーブルがあり、
「お、おかえりなさい……」
「おかえり……」
神妙な顔をして席に着くノラとシャロン。そしてそのテーブルの上には、例の美少女フィギュアがあった。
随分と久しぶりにお目にかかった代物だが、こんな形でご対面するとは夢にも思っていなかったために、ハイドは思わず居間入り口で立ち尽くした。
少し長い剣の鞘は床を擦ったままでここまできていたのだが、それはこんな上等な武器を貰ったので嬉しかったために気づかずに居た。
だが、一瞬にしてその頭の熱がとれたハイドは、ゆっくりと腕と腰から武装を外して、テーブルの上においてから席に着いた。
誰もが暗い表情をしている中、『ベルセルク』だけは無機質な笑顔を見せている。
そんな光景が心苦しくて、ハイドは俯くことしか出来なかった。
「ご、ごめんなさい……部屋を掃除していたときに、うっかり荷物をひっくりかえしてしまって……、そ、それで」
「こんな代物を見つけたのさ」
なぜ責められるのか。ハイドの頭では理解できない。そもそも、人の所持品を勝手に漁って、一般の人とは少しばかり異なる趣味を持っているだけで責められるのは誰にも理解が出来ない。
だからハイドは、力いっぱい叫んだ。
「俺は偶像崇拝してんだよ!」
そう言いながらテーブルを強く叩き、手を伸ばしてベルセルクを奪取しようとするが、あと5センチ程手が届かず。
その内にシャロンに取られ、ハイドは仕方なく、席に落ち着いた。
いや、まてよ――――ハイドの脳は、危機故に、常では考えられないほどの思考を展開させる。
責めるなんて複雑な思考ではないはずだ、ノラにしたって、シャロンにしたって、ただこの美少女フィギュアを所持していた俺に対して幻滅したという事。それを払拭させるために、わざわざ俺に言い訳をさせる場を与えたという、羞恥プレイという名の公開処刑。
だが裏を返せば、まだ挽回するチャンスが残っているという事。いや、それはないな。何せ公開処刑だ。このフィギュアこそが絶対的な悪で、それを崇拝している俺はカルト信者扱い。ならばこの現状を覆しつつ、フィギュアの存在を認めさせることは出来るのか?
今の俺にソレが出来るというのか。出来るだろう。こちらは勝手にバッグを漁られたという非情に有利なカードを持っているのだから。さらに人の所持物や趣味に文句をつける権利など他人にありはしない。ならば6割方は俺の勝ちだという事になる。
もし、なりふり構わず孤立覚悟での言論を挑めば8割を超えるが――――。
「何が言いたいんだ。はっきり言ってみたらどうなんだっ!」
まずは頭ごなしに怒るより相手の主張に耳を傾けようという事で、そう言ってみた。
「なぜ長旅にこんなモノを持ち歩く必要がある?」
「『こんなモノ』だァ? お前は信じないかもしれないがな、世の中にはお守りだとかを根拠無しに信じる人間が居るんだよ」
「そこいらの神像とこれとじゃワケが違う訳よ。そんなまかり通った理論を並べたって、ショックを受けた1人の女の子の心を開かせるのは無理って……」
「女の子? アンタのどこが――――」
「もう、やめてくださいっ」
バン! と蚊帳の外に居たノラは強くテーブルを叩いて立ち上がる。一気に静まり返るその部屋で、ノラは静かに続けた。
「この、お人形さんを見つけてしまったのは……本当に、申し訳ありませんでした。それなのに、こんな、大事にしてしまって……」
次第に、言葉がつまり始める。声が上ずり、ノラの瞳から零れた液体がテーブルをぬらしていくのを見て、どうしてこうなったと、ハイドは頭を抱えて溜息をついた。
「……いや、お前のせいじゃあない」
「そう。全ては彼の責任なのだから」
口を挟むシャロンはおもむろに立ち上がり、そのゆったりとしたままの動きでそっとノラの肩を抱き、部屋へと送っていった。
扉が音を立てて閉まるのを聞いて、ハイドは酷く疲れたように、テーブルに突っ伏した。
シャロンの席の前にはベルセルクがあさっての方向を見て狂ったように可愛らしい笑顔を見せていたが、どうにも取り返す気力が湧かない。
このまま思考を働かせれば世界の真理が見えそうだったが、既に限界が来ていたのでそのままボーっとしていると、シャロンが戻ってきた。
「お許しが出た。好きにしていいそうよ」
ベルセルクを手に、シャロンは隣の席に腰をかける。ハイドはそっぽを向いて、テーブルに伏した。
「みっともねぇな、俺」
「全くだね」
「喋り方変わりましたよね、シャロンさん」
「えぇ……ま、元気だしなよ。実は私が見つけたんだけどね、人形は」
「……は?」
聞き流そうにも逃してはいけないような台詞に、思わず身体が反応して、気がつくと眉間に皺を寄せたハイドは起き上がり、シャロンを睨んでいた。
「そのままの意味だよ。どうしようか迷ってたら、ノラちゃんが『私がしたことにしてくれ』って」
「……、アンタ幾つだよ」
「それは精神年齢で? 肉体年齢で? 知能年齢で? それとも数えで?」
「んなこたぁいんだよ。ってか数えだとか言ってる時点でそう若くはねぇよ!」
シャロンは少しばかり困ったように、顎に手をやると、
「さ、319歳……」
なんて事を言い出した。またくだらない冗談だろうと嘆息すると、シャロンは真面目な顔でハイドを見ていた。その、エルフ特有の長い耳はピクピクと何かに反応するように動いていて、
「……ま、マジですかい」
聞くと、シャロンは気恥ずかしそうに頷いた。
「それじゃすっげぇ婆ァじゃ――――」
言い終える前に、目の前から飛来する鋭い拳は、真っ直ぐブレル事も迷うことも見せずに、ハイドの顔面を貫いた。
椅子から吹き飛ばされ、身体をひしゃげさせながらやがて床に叩きつけられたハイドは見事ノックアウト。
話も完全に逸れて、意識も身体からどこかへと逸れてしまったので、ハイドはもうどうにでもなれと、どこか夢を見るように意識を手放した。