8 怠惰――シャロンの場合――
早朝から十数と数を連ねて街から出て行く馬車があった。
それは貿易都市から注文された品を送るためである。旅人がさして多くも無いこんな荒野の谷の中は、そんなことで生計を立てている。
無論、多くないといっても1日数十人は訪れているし、ロンハイドや他の国々にも一目を置かれているので注文は数多く。それ故に、廃れることも、金に困ることも無いのだ。
空のがようやく明るくなる頃、シャロンは荒野に居た。その前を走るのは、ノラ。
そう、シャロンはノラに気づかれないように近づく魔物を片っ端から倒しているのだ。勿論、不審に思われるので数匹はわざと見逃して。
そうして、ノラが街に到着する前に帰宅。適当に着替えて自室に戻り、朝食ですよとノックが聞こえたら、部屋を出る。
それから食事を済ませて、滑稽にも鍛錬と信じる肉体労働へと向かうハイドを見送って、シャロンは次いで外出した。
大した用事は無い。だからまたもや荒野へと回りこんでノラを見守るのだ。
その間は暇なので、服の下におもりを装備していくのを忘れない。日差しが強いので、それを防ぐための外套を羽織って、鉱山都市の谷の上へよじ登る。
割合にちょろいものだと鼻を鳴らして街を見下ろす。予想外に高いことに驚いたので、仕方が無くシャロンは下へと降りた。
怖くは無いんだけどね……。自分にそう言い聞かせながら、ようやくその地面を踏みしめるとほっと一息……も束の間。
荒野には既に装備を整えたノラの姿が。街から出てすぐ横の絶壁じみた壁に背を預けて心を沈ませていたシャロンは、
「……やれやれだぜ」
男前にそう呟いて、その後を追っていった。
ところで弓の使い手とは一体どんなものなのだろうか? その視力の良さで遠方からでも敵を認識し、射抜く。敵が撃たれたと気づいたときには、その敵は既に死んでいるというものだろう。遠距離攻撃なのは前提で。
ふと、そんなことをノラを見ていて思った。
彼女はといえば、撃てば高確率で外し、体勢が整っていないだとか、状況が悪いだとかの判断だけは鋭いらしく直ぐ逃げる。
そのくせいつまでも逃げる敵に対しては執拗に追い、近づいて槍で一刺し。
「――――弓の練習の為にこの訓練を考えたんだけどなァ……」
シャロンは予想外の自体に頭をポリポリと掻いていると、ノラから少し離れた後方に、現在のノラでは勝てないであろう、イノシシ型の魔物が一体、にらみを利かせていた。
腕型だとか、動きがのろい人型、甲殻をまとう芋虫型なんてのは、動きを見切れば、ノラでも何とか勝てる。そしてこの付近にはその類の魔物しか生息していないのだが――――稀に、群からはぐれたような魔物が存在する。
見切れなければ反撃の余地無く殺される。今朝の疲労を残したままのノラならなおさらのことだ。
シャロンは1つ嘆息してから跪き、亜空間を展開。その中からクロスボウと、専用の矢を取り出し、板ばねに固定して、狙いを定める。
一般的にボウガンと呼ばれるソレは、シャロンの中では使い勝手が良いので中々のお気に入り。
鼻歌を歌いながら、未だ駆け出す予備動作も無いイノシシの額へと狙いを定め――――引き金を引いた。
バネが元に戻る音と、矢がバネを擦る音が控えめに鳴り、遠くの方でドスっと音がした。
立ち上がってその方向を見ると、横たわるイノシシの姿が。
さすがだね、そう自分を誉めて、シャロンは武器を仕舞って、既に小さくなったノラの背を追っていく。
――――結局、ノラの訓練が終わったのは昼が少しばかり過ぎた頃。更に半数以上は至近距離で仕留めた魔物ばかりで。
これなら戦士で育成したほうがいいんじゃないかな? なんて考えながら、シャロンはそのまま砂漠の方へと向かった。
今度ばかりは本当にやることもないし、手伝いだとかいうものは人と深く関わるから嫌だからという理由があるからで、
「たまには極限を感じてみたい」
なんて考えがシャロンを動かしていた。
まともに見えて案外ダメな人の例がそこにあった。
――――やってきたのは砂漠のド真ん中。ハイドが倒れそうになったところを助けたという深くなイイ話が出来た場所よりもさらに向こう。
錘をつけて更に外套を羽織るために、こもる熱は予想以上。垂れ流れる汗は想像以上。
これは困った早く帰ろうという思考へと繋がるが、それを邪魔するように魔物が現れた。
足が触手のように何本もあって、その上に頭が乗っていて、その頭には大きな眼が1つという魔物。
口は足の付け根にあるという、タコを地上に持ってきたようなものだった。
しかし大きさは規格外で、森で遭遇したサイクロプスほどの大きさ。
シャロン3人分ほどの大きさを誇るソレは運良く1匹。だが――――。
「いや、ホントに困ったねぇ」
触手に四肢を縛られ、大の字に引っ張り上げられながらシャロンは、向かい合うその魔物に呟いた。
おいおいこんな方向性かい? なんて微笑みながら強く腕を引っ張ると、右腕に撒きついていた触手は根元から引きちぎられた。
続いて左腕、開いた右手には既に槍が握られていて、そのまま短く息を吐くと、
「刺し穿て」
シャロンは触手に身体を支えてもらいながらその槍を投擲した。
ズブブブと卑猥な音を立てて、盛大に血を噴出して、やがて触手からは力が抜けて。
シャロンはそうして倒れた魔物の上に乗って槍を抜き、そそくさと帰っていった。
――――汗のせいで身体にぴったりと引っ付く服を脱ぎ捨て、自動洗濯機に突っ込み、シャワーを浴びる。
すっきりした後は、おもりをつけたギャップを感じたいのでただのシャツにハーフパンツを。
窓から外を見ると、既に夕暮れ。そろそろ帰ってくるだろうが、その前に……と、シャロンは先ほど使用した槍の手入れを始めた。
血に濡れた刃渡りをしっかりと洗い、研ぎ、錆びないように油を塗って、皮製のカバーをつける、なんて事をしていると、ノラが帰宅した。
次いでハイド。その次はご飯がやってきた。
朝から食事を取っていないのでありがたいと、シャロンはお腹を満たしていく。
そんなこんなな一日を終えて、シャロンは病院がある高台へ。夜空を見上げて人が少なくなった街を見下ろし、大きく深呼吸をしてから、帰宅する。
そうして、鉱山都市での平和な一日が過ぎ去っていった。