4 ――とある翼竜の火炎放射――
大きく振り下ろした斧は、ヒョイとドラゴンに避けられ当たらず、ただ虚しく地面へと叩きつけられた。
次なる判断から直ぐに屈み、横なぎに振るわれる巨大な尻尾を頭上でやり過ごす。
息をついて、その斧を再び担いでドラゴンの背後へと回ると、その間に、フォーンは連続した攻撃を与え続けていた。
一閃、ドラゴンの首に喰らい付き、さらに一撃。今度は喉元を突き刺す。だがドレもが綺麗に受け流され、致命傷には到らずにいた。
「もうっ! 俺使えねェっ!」
胸からこみ上げてくる情けなさを叫びながら、ハイドは飛び上がり、ちょろちょろと揺れる尾っぽへと斧を振り下ろし、切断。
根元近くからごっそりと切り離され、ドラゴンは天井を仰いで大きく叫び、行動が僅かに停止する。大気が烈しく振動し、直接脳へと衝撃が来るほどの音声であったが……。
ハイドはそのまま怯まず、ドラゴンの背中を駆け上っていった。
急な傾斜。少しでも立ち止まったり、速度を落としたりすればまっさか様に落ちてしまうのだ。強く願わなくとも。
ドラゴンの叫び声は翼へと到達する頃には治まり、既にフォーンを視界に収めていた。時間は無いに等しい。気のせいか、足場が横に傾き始めているような感じがして――――ハイドはそのまま強く背中を蹴って、大きく跳び上がった。
神経の鈍いドラゴンは未だその存在に気づいていない。だから、ハイドはやがて前にするその無防備な脳天へと、全力で斧を背中から振り上げるが――――。
「脳天割……ッ!?」
その大斧は、巨大なドラゴンの上に乗っている故に、容易に天井に触れることができた。つまり、その岩の天井に斧の刃が突き刺さったのだ。深く。
力いっぱい脳天を割ろうと奮起した結果が、こんなものであった。
その柄を握り、引っ張るが抜けず。やがて足場、ドラゴンも移動し、このままでは天井に吊るされたままになってしまうので、ハイドはドラゴンの背を滑り台の如くすべり、地上に降りた。
それと同時に、ドラゴンはドスンと音を立ててその場に横になる。振り返り、其処を見ると、道の端に三つ指の足が血に塗れて転がっていた。
「俺、ほんっとダメなヤツ!」
ハイドは自分に悪態をつきながら、自身の剣を抜き、ドラゴンの眼前に居るフォーンの元へと近づくが、
「来るなッ!」
大剣を振り下ろす予備動作の中で、フォーンはドラゴンから目を離さず叫んだ。思わず驚きに筋肉が硬直し、足を止めた、その直後。
その至近距離、フォーンが立つ一帯が炎に包まれた。
凄まじい熱気が眼の粘膜を乾かし、熱風が肌を焦がし、喉を焼いていく。
横たわるドラゴンの傍で、それを目の当たりにしたハイドは何も出来ず、それを見ていることしか出来ずに居た。
――――何もしていないのに、主力のフォーンさんがやられた、だと? どうなってんだよ、この不条理が通ると思ってるのか……? まだ何もしていない……いや、あの斧を振るだけで精一杯だった俺が何か出来るはずが無いんだ。
「ちくしょお……ちくしょお――――ッ」
何も出来ずに、ただ吼えた。だが、ハイドの居るそこは戦場。大切な仲間が死んでも、憎い敵が意味深に身を挺して自分を助けても、悲しむ暇もありはしない戦場。
それなのに、ただ幼稚に、甘甘に現状を理解することを放棄したハイドは――――大きく翻る翼に身体を吹き飛ばされ、直ぐ横の壁に全身を強く叩きつけられた。
「ちくしょー……」
メラメラと焼き付ける炎は未だに健在。ドラゴンが吐いた炎が直撃したフォーンも未だ姿を見せずにいる。
あの時、ハイドに注意をそがれなければ少なくともドラゴンの顔面に致命傷を与えることが出来ていた。そしてそれ故に炎の威力が弱まり、止めをさせていた。
だがその代わりに、油断して飛び込んできたハイドは大火傷を負うだろう。
1人でも十分倒せたドラゴンを相手に、足手まといを気遣ったために、そのチャンスは永劫に失われたのだ。
そう考えると、ハイドの胸の中は悔しいだとか、情けないだとか。そんな感情が蔓延する端っこのほうで、ふつふつと湧き上がる、自分でも分からない何かがあった。
そして、それが何だかはっきりするには、もう一押しが必要で――――その『何か』が、今絶対的に必要だと、ぼんやりと頭で考え、
「……俺が、相手だ」
吹き飛ばされただけで体中がガタガタになるハイドは、剣を構えてドラゴンへと寄った。
錆び付いた愛用の剣が、ドラゴンが相手ではまるでおざなりに見える。それを可笑しく思いながら、駆け出し、跳び上がり――――。
まるで図ったように、ドラゴンはハイドへと顔を向けると、大きく口を開けた。鋭い牙が喉の奥から湧き出る光に赤く光る。
獄炎が喉から滑り出し、やがて口から吐き出され、轟と空気を喰らい、炎を増してハイドを優しく、熱く、焼き尽くすために包み込んだ。
一瞬にして辺りの大気が焼き尽くされ、呼吸が出来なくなる。このままうっかり息でも吸ってみれば瞬く間に肺を焼かれ、師にいたってしまう。
肌が焼ける。これがホントの生き地獄だなんて、絶えることなくやってくる灼熱の中で、何かが生まれようとしていた。
否、それは既にハイドの中で胎動していたのだ。それが今、『外に出よう』としていた。
それも正確ではない。細かく、簡単に説明するならば――――。
「俺が、相手だ!」
片手で握る剣を大きく振るうと、その剣に炎が収束していく。まるで炎を操るように剣へと集中していくが、その熱に耐えられずに、刀身は溶け落ちた。だがその代わりに、炎が刀身の形をして留まっていた。
――――覚醒。元々備わっている資質はそこそこだが、本来の勇者の力はそれきりではない。
秘められた魔力、知能、経験。受け継がれるその全ては、何かしらの条件を満たすことで表へと引き出されるのだ。
それは一時の間。だが、ハイドが強くなればなるほど、その『潜在能力』の部分は薄れ、実力に変わっていく。
「炎滅」
その剣を未だ炎が燃え盛るフォーンへと振るう。するとそれは、ただ静かに消滅するように姿を消していった。
大地には、大剣。その下に横たわるフォーンの影があった。
「癒しの福音」
次いで唱える魔法は、ハイドとフォーンを淡い光で包んでいき、一瞬にして、焼け焦げた皮膚を元の通りに戻していった。
――――遠くの方で、張り詰めた金属が音を立てて引きちぎれる音がした。
同時に、ハイドの身体はさらなる力が溢れていく。
顔を向けるドラゴンをあざ笑うように素早くその背に乗り、高く飛んで、天井に突き刺さる斧の柄を掴むと、力いっぱい引き抜いた。
天井に亀裂が入る。だが、斧はいとも簡単に引き抜くことが出来ていた。
ドラゴンの背に着地し、その衝撃を利用して一閃。ハイドはドラゴンの片翼を根元から切り離す。
ダメージを負いすぎて身動きが取れないのか、ドラゴンはただ呼吸を繰り返すだけで、悲鳴すら上げなくなっていた。
ハイドはコレを好機と、その頭の近くまでより――――先ほどは失敗に終わってしまった攻撃を、実行する。
地面へ寝る頭へと、大きく斧を振り上げ――――。
「脳天割りッ!」
重量級の斧はいとも簡単にドラゴンの頭蓋骨を砕き、その鋭い刃は容易に皮膚を切り裂いた。
頭蓋骨から飛び散る血を一身に受けながら、そこからドロリとなだれ出る脳髄を見下ろして――――フッと、ハイドは突如として遠のく意識に抗うことが出来ずに、そのままドラゴンの上へと倒れこんだ。