1 ――壊れるほど愛すると4寸のソレはホント壊れる――
「それでも俺は、幸せなんです」
自宅、明かりのついた狭い寝室兼居間の壁際に設置してある本棚に鎮座する、友人から貰った美少女を模したソフトビニールの触り心地の安く易いフィギュアへと、ハイドは声を掛けた。
興味は無かったが、実際こうして目の前にしてかれこれ1年も経つと、愛着も湧いてくるというものだ。オリジナル作品らしく、名前は無い。だから、愛着が湧き始めた頃に、名前をつけた。
もっとも、それは貰って2日目の朝であったが――――彼女の名前は、『ベルセルク』という。
外見は美少女だが、ブチ切れると名の通り『狂戦士』へと変貌するのだ。その強さは、ハイドの勇者としての戦闘力を遥かに凌駕する設定。
『私がいるからね』
ハイドの裏声が、ベルセルクの声の代わりを務める。
「俺も君から離れたくなどない!」
全長10センチ余りの小さなその身体を両手で優しく手にとって、胸に押し当てる。脳内麻薬が異常分泌されはじめ、発狂しそうになるのを抑えながら細々と、ハイドの裏声もといベルセルクは胸の中で呟いた。
『でも、私……人形だし、貴方みたいな立派な人とは、釣り合わないよ……』
「そんなっ! そんなこと言ったら俺だって、君みたいな気高き野生の美戦士となんて……虚弱体質だし、力使い分けらんないし……」
『ハイドくんっ!』
「三好ッ!」
2人、1人と1体は強く抱き合う。そうして、夜が更けていった――――。
――――閉め忘れたカーテンから、光が漏れる。瞼を透き通って光を伝える陽光によって起されたハイドは、むにゃむにゃと寝ぼけ眼を擦る。
眼を開けようとするが――――昨晩流した涙によってまつげが接着、無理矢理開こうとするとなにやら烈しい痛みを伴う状態になっていた。
「おいおいおいおい、ちょっと待て、落ち着け……? 冷静に考えるんだ、冷静に――――」
そう言いながら、身体はその事態を早く抜け出そうとベッドから起き上がった。冷たいフローリングに少しばかり驚きながらも、眼を瞑っていても何処に何があるか分かる部屋の中を歩き出すと――――何か、硬く、形のあるものを踏んだ。
軽くパキリと音が鳴る。細かい破片と化したのだろう――――足裏にくっつく大部分から離れていく部分が音を立てて床へと自由落下していた。
時が止まった――――気がした。
嫌な汗がにじみ出る。眠気なんてものは一切無くなり、呼吸は乱れ、鼓動はやかましく。
片足を上げた状態で、冷静な状態ならば「俺って凄いバランス力だよね」なんて誰も居ない自室でも誰かに話掛けるが如く愉快に口を動かしていたのだが。
「嘘、嘘だろ……、お、おい……おい、ベルセルクぅ……返事、してくれよ……」
ハイドは足裏のソレを振り落とし、跪いて床に手探りをする。
『ハイ……ド、くん』
「三好ッ! ベルセルクなのか!? おい、大丈夫か!? おい!」
『最期に、言いたいことが……ある、の』
指先が何かに触れ、弾く。ハイドは慌てて何かが擦る音がする方向へと手を伸ばし、ようやくソレを手に取った。
それを耳元まで近づかせ、ベルセルクの台詞を続ける。
『私ね、幸せだったよ? 初めてここに来たときは――――』
涙を流さずにはいられないハイドは、涙声で裏声を紡ぎ始める。数分したところで声がかすれ始める演技を交えて、ハイドは更にオーバーテンションを続けていった。
死に体の如く言葉を放つベルセルクは随分息が長く、10分程度思い出を語った後、ようやく『最期に言いたいこと』を口にした。
『ハイドくん……、大好き』
「ベルセルクぅぅぅぅぅぅぅッ!」
涙でようやく、その自家製の糊がふやけ、眼を開けることが出来た。片手でベルセルクと思わしきそれを支えて、目やにと涙で気持ちの悪い状態になる眼を擦ってゴミを全て拭き去る。
次第に気持ちよく、清々しくなってきて、ようやく視界は鮮明に。そのまま手の中のソレへと視線を落とすと――――そこには、四肢と首をもがれたベルセルク惨殺死体バージョンがあった。
一体何処から言葉を伝えたのか、ハイドは考え、テレパシーという事にしようと後付けを考え、『外れた』パーツを手に取り、慣れた手つきで装着していった。
『復活ぁ~~つっ!』
安いソフトビニール製のフィギュアがそう簡単に壊れるはずも無く、いとも簡単に復活を遂げるベルセルクは勿論のこと不死身設定。
首を取っても死なないのは自分が今までに殺した命の数だけ死ねるからであった。
ナツメは一通りの作業を終えると、また彼女を定位置に戻し、洗面所へ。そうして着替え、適当な朝食を摂りおえると、時計は時刻午前9時を指していた。
「それじゃ、行って来るね!」
『いってらっしゃ~い!』
腰に剣を携えて、ハイドは自室を後にする。玄関の鍵を閉め終えて、外付けの階段を降りてハイドは『仕事斡旋会社』へと向かう。
ハイドは定期的収入を得るために、自身の情報を登録し、それに見合った仕事を斡旋してくれる会社に毎日向かっているのだ。
そこは酒場と兼業。腕の確かなモノや、仕事が無く、毎日そこで腑抜けているものまで様々だが、あらゆる人間が集まる場所なので、集まる仕事や情報は常に最先端のものであった。
大通り。暖かな日差しを受けながらハイドは道を行く。
「おはよう、ハイド」
「あ、おはようございます、おばさん」
近所では悪評が立っていないらしく、毎朝挨拶をしてくれる人間が大勢いた。だからこそ、毎日頑張れるのだが――――。
道を今日も元気よく歩いていると――――不意に細い路地から飛び出した、ベージュ色した何かが迫ってきた。
ハイドはそれを避けるために足を止め一歩下がるが、それはどうやら、ハイドに用があるらしく、走る方向を変える。
両手で構える短剣を腹の位置に固定して。
「お父さんの仇ッ!」
少女の声が、辺りにこだまする。体重をかけ、致命傷を与えようとする少女は飛び上がり、ハイドへと襲い掛かる。
『仇』、その言葉に全ての行動を束縛されたハイドは、目を見開いたまま少女がその身体に乗り、腹の位置に固定された刃物がその胸に突き刺さるのを防げないでいた。
少女の突撃する衝撃に足がもつれ、後ろへ、仰向けにと体が崩れ始める。少女の顔が丁度肩に乗る位置にあり、刃は胸より少し下の肉を貫いていた。
――――世界の時間の流れが緩慢になる。既に地面に倒れていてもなんらおかしくは無い程の時間が経過したのに、その身体はようやく地面に触れ始めたところであった。
そんな時間の流れが災いして、胸の痛みは永久に近き苦行を受けている。
肉を切り裂く鋭い痛み。止まることなく、拷問のようにゆっくりと奥へと進行する刃。それを止めたいのに、腕は思うように動かない。
――――、やがて、時間の流れは通常に戻る。
軽く弾んだハイドの身体は、そのために刃を深く突き刺す結果となった。
慌てて立ち上がる少女は既に視界に入らぬ位置へ。周りの人間は、そんな驚きの事態に素直に感情をあらわにして少女を追いかけようとせず、だがハイドに声を掛けようともしないまま、ただ遠巻きに見守るだけ。
勇者の血はこんな形で絶えるのか――――情け無い。
ハイドは顔が無意識の内に笑顔を形作る事も知らずに、胸の底から呟かれる声に頷いた。
「天は我が傷を癒さず、その腹を満たそうだ。そう、だから、そう言われるのが嫌なら、我が胸のすごく痛い傷を癒し給へ」
野次馬が気味悪るがりながらも好奇心に負けて集まる中、ハイドはそう言葉を紡ぐ。
すると――――ハイドの身体は淡い、蒼の光に包まれ始め、突き刺さる短剣は不思議な力に引き抜かれていき、音を立てて地面に転がる。そうして、胸から流れ続けていた血は瞬く間に止まり、傷も修復していった。
所謂『回復魔法』。癒しの力は、ハイドの致命傷を軽く治すのだった。
だが、血に塗れたその身体はそのまま。ハイドは起き上がり、着替えるために来た道を戻っていった。