10 ――アンバランスなtabiをして――
死体は腐るので、翼と、その額から伸びる短い角を剥ぎ取り証拠を手に入れる。終始無言で、乱れる呼吸だけが辺りに広がる夜中、ハイドは限界寸前の体力で穴を掘り、其処にカクメイを埋め、その場を後にする。
夜道を歩く。辺りは穏やかで、風も無い。見上げる空には満天の星空。降り注いできそうな星々は綺麗に輝き、その近くにある月は何の因果か満月であった。
様々な思惟が錯綜する頭の中、ハイドはそんな光景を見て少しばかり心を休める。
右手の治療は魔力が切れたために中断。だが痺れが残る程度で生活に支障は無いと思われた。コレほどまでに回復が容易だったのは、ハイドの斬撃が鋭いためだと思われる。
「しかし、何だか納得がいかねぇな……」
自身が失血で死ぬ前に意識を取り戻したこと。『あの声』言っていたように、『試合には勝ち勝負には負けた』という状況を身に染みて感じて、そんな言葉を漏らした。
徹夜で歩けば朝頃にはハクシジーキルへと到達するだろう。その時に、まだそんな女々しいことを言っていたら情けないこと極まりない。勝ったものは勝ったのだ。状況と、運とがハイドに向いていた。だから勝てた。だからいいじゃないか。
言い聞かせるように強く念じてその考えをソレきりにすると、ハイドは再び前を向いた。
――――それから数時間。時は日が昇る頃まで進み。
「食べるだけで体力も傷も全快するソラマメ下さい」
「知らん……というか、何だその翼は」
予想より早く到達した貿易都市の門番は、ハイドが背負うその漆黒の翼一対を見て驚きの声を上げた。
「くれ!」
「ふざけんな」
差し出す掌に鋭い拳を叩きつけて、ハイドはそのまま門の中へ。
まだ早朝だというのに人通りがあった。然程多くは無いが、だがロンハイドの日中程度の人口密度はやはり先進国なのだと納得させられる理由にもなった。
穴だらけで且つ血まみれ、さらに漆黒の翼を背負うハイドは目立つ。人は皆、それを見て立ち止まり、見送るのであった。
そうして注目の的になりながら、開店しているかも分からぬ酒場兼仕事斡旋会社の前へとやってきた。
人の気配がする。そもそも声がする。そう、酒場なのだから主な仕事時間が夜から朝にかけてでないと商売上がったりなのだ。
だから、ハイドは胸をはってその扉を開けた。
「アイルビーバック(わたしはもどってくる)」
場違いでタイミングが全く異なる台詞を何故か吐いてみた。
その瞬間、時が、止まった。決して比喩ではない。中に居る、数少ない客、マスターを含む総勢5人がハイドへと向くと、全員が硬直。誰一人として身動きせず。そして、空気が凍りついた。
だから、時が止まったと。ハイドは信じていた。
「そして時は動き出す」
そう言っては見るが、誰一人と動き出さない。どうやらこの状況は幽波紋の仕業ではないようだ。
「おい、人が仕事を成し遂げてきたのになんだよ。おいマスター、おい」
「……いや、女の子を1人で戻してきたから、逃げたかと思ったんだが……、なんだ、その翼は」
「角もあるぞ」
ハイドはようやく口を動かし始めたマスターへと歩き出し、そうして、狭いカウンターに翼を乗せる。案の定大きくはみ出したその上に、ポケットから角を乗せて、ハイドは椅子を引き出して座る。
「ノラは邪魔だから強制的に帰した。そして魔族も葬り去った。死体は土に埋めたがな」
「……」
「……おいマスター? お前まさか、邪魔なヤツとか後々問題になりそうなやつを、偶然出てきた魔族にけしかけさせたりしてない?」
「……はっはっは、そんな訳がないだろう」
いつの間にか浮かぶ汗を額から流し、真っ直ぐ顔を向けるが、その目はどこか焦点があっていなかった。
「魔族がここ最近現れる理由がアンタにあったりしない?」
「無い! それは断じて」
「ほう、『それは』? ならそれ以外ならあんのかこの野郎」
思わず乗り出したハイドはそのまま、マスターの胸倉を掴む。「おふう」なんて声を漏らすマスターはビクビクと震えていた。
「そうか、で、どうせ倒せないだろうから100万とかべらぼうに高い報酬で釣っとこうと」
「悪い夢なら醒めてくれ」
「そりゃこっちの台詞だよ……」
胸倉を引っ張る力が抜け、手の中から伸びた服がすべり抜けた。そのまま席に座り、ハイドはうな垂れる。
「でも、100万はくれるんでしょ?」
「土地代でやりくりが厳しいといえばわかるだろう」
「そうか、架空の仕事だから依頼主がいないんですもんね」
「理解が早くて助かるよ」
「分かるけど分かりたくネーよ!」
カウンターを強く叩く。意識を失うとなにやら処理をされそうなので必死に、疲労で現実感が無さ過ぎる現実を受け止めていた。
「だが、このまま強引に100万を奪えばお前は犯罪者になる」
「……もういい。テメェこの野郎覚えてろ」
ハイドは芸の無い捨て台詞を吐いて、その翼と角を手に、マスターに背を向けて歩き出す。ヨロヨロとした足取りで、不確かな地面を踏むハイドを見送るマスターの表情は、どことなく災難が去ってほっとした様子であった。
扉を蹴り、1つ息を吐いて進むと、勢い良く戻ってきた扉に衝突。ゴツンといい音を鳴らしたハイドは、それが背中を押す結果となって、意識を失った。
――――そうして目を覚ます。
あっという間に思われた。だが決して時間が経っていないというわけではない。時間は昼であるからだ。
部屋が明るい。それは日の光が取り入れられているからで――――そこで疑問に思った。
ここはどこだ? この背中がふわふわする、寝心地の良いベッドは一体何者だ? 何者だって……ベッドだろう。
混乱を隠せない思考をそのままに、ハイドは起き上がる。
見覚えのある部屋。そこはどうやら、シャワーしか浴びていない宿屋であった。
綺麗にかけられていた布団を剥いで、ベッドから降りる。服装は何故かバスローブで、肌は妙に清潔感が保たれていた。
そして、ベッドの脇に置かれている小さな卓子の上には、ハイドのリュック、それに被っているのは漆黒の翼一対。脇に置かれるのは深い暗黒を魅せる角。その卓子に立てかける、どことなく血に汚れた鞘に入った剣。
翼や角がなくなっていないこと。そしてここまで運んでくれたのはマスターだと、なんとなく思った。
実際にはその思ったことと相違は無く、運んだ理由は、マスターに在る人並みの罪悪感と良心の呵責である。
「……つか宿泊代金どうしよう。旅の資金もねーし……ノラは……まぁ、俺が嫌になって所持金で帰ってりゃいいんだが」
「誰が誰を嫌になると……?」
不意に、声がした。驚いて肩をびくりと弾ませてから、声のした方へと身体ごと、顔を向けると――――そっと音も無く開かれた扉の隙間から顔を覗かせたノラが、泣きそうな顔でハイドを見ていた。
「嫌いになる理由が、見当たりません」
声が震える。どうやら本気で心配していたらしいノラは、そっとハイドへと歩み寄る。
「正直すまん」
「いくら私が勝手についてきたという事でも、この仕打ちは、あんまりですよ」
そう言ってノラはハイドの飛びつき、ハイドのバスローブを涙でぬらし始めた。
「すまん」
「もう、許しませんよ……」
「いや、許してもらわんでも構わないが……お前は何を目指してるんだ?」
「……な、何がですか……」
「お前泣いてないだろ」
そう声を掛けた途端に、ノラはその顔を、さらに強くハイドの胸に押し付ける。
「涙で前が見えないんです」
「お前が前を見ようとしないからだ」
「……この状況をどうに切り抜ければ良いでしょうか」
「笑えばいいと思うよ」
言うと、ノラは顔を離し、涙の後が一切無い綺麗な顔で精一杯の笑顔を作った。
「えへへ……いや、ごめんなさい。ハイドさんが思いやった行動をしたのがわかって、どうにも責め切れなくて」
ハイドはそういうノラから一歩距離を置いて、
「まぁ、一緒に旅をしてる以上1人で無茶したのは悪かったな。すまん」
「いえ、私が弱い事が問題ですから」
「弱いって言うか問題外だけどね」
そんなことを言い合いながら、やがて平和的に2人の時間は流れていった。