終章『自分で選ぶ物語』
空に上る太陽は、冷えた空気をぬるく暖める。そんな不快感にハイドは早々に目を覚ました。
強い日差しも目覚める要因である。そして共に感じる人の気配もそうであった。ハイドは心中で、まだどうせ早い時間だろうなと起きて直ぐぼやくと、
「おはよう」
凛とした女性の声が耳元に届いた。ハイドは身体を起こすと、その隣には金色の髪を陽光に煌めかせるクリスの姿があった。
「ああ、おはよう」
そうして眼を擦ろうと手を上げると、その手には指先まで綺麗に包帯が巻かれていて、気がつくと顔までもがグルグル巻きにされていた。
恐らく戻っていないであろう漆黒の肌は、そうして白い包帯によって全てを隠されてしまっている。
円形に焦げた地面の真ん中で、クリスは座り込んでいるハイドに手を差しのべた。
「事情は聞いた。ごめんね、怖がって」
言われ無き圧迫感を醸しだす包帯にハイドは感じずには居られないストレスを僅かに溜めながら、彼女の手を取って立ち上がる。
そう小柄ではなく、故に割と力はあるらしいが、それでもソレを手伝うには苦労したように息を吐いてから、改めてハイドの目を見据えた。
「あの娘がお前に惹かれる理由がなんとなく分かった気がする」
あの娘とは多分――――ノラのことだろう。ハイドは考えて、
「俺にゃわからん」
茶化すように笑うと、彼女は張り詰めていた表情を崩して笑い返す。絵になるような可憐さを見て、ハイドはどうやら美人と縁があるらしいと思うが、別にそれがどうと言うわけでもなく。
「包帯、ありがとう。助かるよ」
身体に掛けられていたらしい外套を拾い上げて羽織ると、ハイドは街へと促した。
街へと入るなり好奇の視線を一身に受けるハイドは、それを避けるように足早にそこを過ぎ去っていくと、並ぶクリスは不思議そうに彼に問う。
「なんでもっと胸を張らない。実質、この国を救ったのはお前なんだぞ?」
そして――――私も救われた。それだけではなく、残った数は少ないが、仲間も。クリスは付け足そうと口を大きく開くが、どうにも気恥ずかしくて、結局ソレを飲み込んだ。
ハイドはそんな奇妙な顔をする彼女を一瞥し、頭の具合でも悪いのかと心配になりながら、
「別に、感謝して欲しくて助けたわけじゃないしなぁ」
最初の動機は、母国を心配した心である。だがそれは徐々にずれていき、結果的には勇者として活動できるから、と言う事になった。
最終的にはこんな姿になってしまい、勇者として動けたか心配だったが、クリスのそんな何気ない一言で少しばかり安心できた。
流れる街並みに、過ぎる街人たち。数ヶ月前に旅立った国とは別の場所なのでは無いかと錯覚するほど寂れて居るが、確かな活気が、湧いてくるのをハイドは感じる。事件はまだ引きずっているが、みんな前を向いているらしい。そんな事が伺えてまた安心して――――。
二人は比較的早く、歓迎される門を通り、そうして王と、彼と彼女の仲間たちが集まる玉座の間へとたどり着いた。玉座の隣には、ハイドの母親と、義父と、そしてリートまでが立っていた。
二人ずつ列になって並ぶ五人の制服の集団の尻にクリスが。その隣に二人で並ぶノラ達の横、配置的に二グループに挟まれて真ん中になるハイドは遠慮することなく其処に止まる。
心なしか、視界の端に入り込むノラの表情は安堵したように見えた。
それから改めて眺めるその空間は酷くボロボロで、壁には未だ鉄の矢が刺さっている有様、内壁は崩れて絨毯は千切れ、その傷跡を、暴動の跡を鮮明に残す。
こりゃ直すのは一苦労だなと人事に考えていると、玉座に腰掛ける白髪の老人――――現国王サミュエルは重い腰を上げて立ち上がった。
「今回のお主らの功績は言葉では済まぬ程だ。派遣兵であるお主らには謝礼金と報酬、それと完璧な医療技術と国を出るまでの間の世話は任せて欲しい。ソレより他に、それぞれの願いを叶えさせては貰えぬだろうか?」
「いや、そんな……。ここに来たのは半ば強制でしたが、それ以降の行動は全て自分たちの責任です。仲間が死んだのも、利用されたのも。だから、怪我が治るまでの生活を保障してくれるだけでも十分なんです」
だよな、とハルバードを装備していた男は仲間に問いかけると、ソレらは一様に頷き、肯定の言葉を口にする。
それでも納得の行かないような顔をするサミュエルに、クリスは「不躾ながら」と胸に手をあて言葉を紡いだ。
「でしたら、王様から我等が母国の王『レイド』に一言口添えして貰えないでしょうか? 恐らくこのまま帰国すれば、今回の事件よりも酷い被害状況に陥るため、我々にとっては大助かりとなります」
そうしたクリスの発言で彼等は思い出したのか、またそれぞれが顔を見合わせては、その血の色を引かせて行く。
ソレほどまでに厳しい皇帝なのだろうかと、話でしか聞いた事の無いレイドを思い浮かべてから、
「本当にそれで良いのか?」
念を押して訪ねると、一同は大きく頷いた。
「ふむ、分かった。先に一筆書いて、早馬に送らせておく」
ハイドもついでにジェルマンやエンブリオ、その他諸々に擁護させるように同封させようかなと考えてみたが、どの道、彼等ならば自主的に守ってくれるだろう。
面倒臭ぇ国。ハイドは心の中で愚痴ると、次いでサミュエルはハイドを、そして流れるようにノラ、シャロンへと視線を流した。
そういえば――――ノラは自分勝手に死ぬためではあったが、この事件に加担し、またサミュエルはその深きを知っていた。
加担した理由を知らぬサミュエルは、一体どういった見解を見せるのか。ハイドは胸を高鳴らせてサミュエルを見ると、その視線は丁度ハイドで停止した。
「今回は何よりもお主らが来なければ事件は終わらなかった。下手をすれば滅びていたかも分からん。心の底から感謝する」
そうしてサミュエルは国の代表として、一行へと深く頭を下げ、また隣に並ぶハイドの母達も頭を下げた。
「はい」
「特にハイド。お主は――――旅立つ際にアレほどまで屈辱を受けたのにも関わらず、誰よりも動いてくれた。そこで次期国王は、お主に任せたいのだが……」
そうしてなんの前触れも無くやってくる、死刑宣告にも似る回避不可に近き絶望。
一度彼には魔族の姿を見られた筈である。マートスを始末をする際、この場に足を向けたその時に。
鼓動は悪い意味合いで早く高く胸を打ち鳴らす。ハイドはこの包帯をしている理由を、王はどう聞いているのかが堪らなく気になって、だがそれを口に出来ずに居た。
「い、いや……、お、俺なんかには王だなんてお偉い立場は務まりませんよ」
だが彼が王になれば少なくとも、決めたばかりの世界征服の第一歩は成し遂げられるだろう。代償として自由を失うが。
「しかしワシが死した後、務まる者にめぼしい人間は居らぬのだ。それとも何か、出来ぬ理由があるのか……?」
サミュエルは真っ直ぐな瞳で、紅さの失せたハイドの目を見る。その眼力には――――自分から隠している秘密を告げてくれというような気持ちが含まれている気がして、
「ええ、まぁ」
ハイドは軽く頷きながら、なんでもないように顔の部分の包帯を剥がし始めた。
露になる、漆黒に塗り固められた肌。人の肌の柔さを持たぬソレは、天井からの照明に鈍い光沢を見せていた。
既に報告済みであるサミュエルとハイドの義父は、ただじっとソレを見つめ――――聞いてはいたが俄かには信じられなかった母親とリートは、驚き口元を押さえ、眼を見開いていた。
隣の派遣兵達からはどよめきが生まれ、ハイドはそれを然して気にした様子は無く、言葉を続ける。
「見て分かるように人外になってしまいまして。俺がこの国の王になるには資格とか言う以前の問題です」
だがこう言うと彼はなにかしら反論するだろう。そう考えていると、思ったとおりのことをサミュエルは口にした。
「だがお前はお前だ。ハイド=ジャンには変わりなく、勇者に違いない。そうであろう?」
「それとコレとは話が違う。論点がずれてるって気づいてます? 兎も角――――王様が言ったように、俺は俺なんで、気にしないで下さい。最も、気にせずに居られたらですが」
ハイドは続けて、母親に顔を向けた。
「こんな姿で親孝行は出来るかわかんないけど、親より長生きすることが一番の親孝行だと思う。自分勝手で悪いけど――――」
「うん、どんな姿でもジャンが生きていてくれれば私は幸せよ」
「僕は君が居なければ生きていても幸せだよ」
「私は……やっぱり寂しい。だけど、アンタがまた戻ってきてくれると信じるから。また、私から仕事を受けてくれるって……」
並ぶ関係者はそれぞれ、ハイドが旅立つ前提に別れの言葉を告げる。別に間違っては居ないのだが、どうにも予習がしすぎて感動に欠ける気がした。
「では、ノラ。お主の処遇だが」
そうして事務的に、サミュエルは次に移った。
やはり――――本当は別れなど惜しんではいないのではないだろうか。断ることを前提として話を進めているのではないか。
サミュエルの心の内などは分からぬ故に、ハイドには彼の思う所の予想が全く付かなかった。
隣では当てられたノラが肩に力を入れて息を止めていた。自身でも感じているのだろう罪の重さに、彼女は覚悟をしているらしかった。
「ハイド=ジャンの無期限監視だ。これよりハイドが何処へ行こうとも付いていかなければならない。拒否権は無い。お主はそれほどのことをしたのだからな」
ノラはそんな、思いも寄らぬ処遇に驚き硬直し、暫くしてから脳に浸透したように小さく声を上げて聞き返す。
そうして同じ台詞を掛けられて硬直し――――二度目の再起動で、ようやく話は進行する。
「わ、わかりましたっ! たとえお風呂だろうとお布団の中だろうとハイドさんから離れませんっ!」
「ちょっと待って、それだと俺の情操教育上非常によろしく無いんだが……」
「お主、その姿で自分はまだ子供だと言い張るのは、少しばかり無理があるぞ」
そんな――――誰もが笑顔になる玉座の間は、そうして間も無く、ハイド達を見送った。
行くあても無い世界を平和に征服する旅。下手をすれば受け入れてくれる国を相手にしなければならなくなるかも知れない道である。
――――城を出ると、先ほどまでそ知らぬ顔をしていた街人たちが、大通りに沿って並び、ハイド達を見送る姿勢をとっていた。
「絶対に戻って来いよっ!」
男が声を張り上げながら道に花びらを振り投げた。
「元気でねっ!」
年頃の娘はそう言いながら大きく手を振った。
事情を知っているのか知らぬのか――――分からないことであるし、別にどうでも良いことなのだが、その待遇は非常に嬉しかった。
出来れば数ヶ月前に旅立つ時にこうして欲しかっただのの文句は垂れず、そうした見送りの中で、一行は笑顔を振りまきながら街を出る。
出たと同時にハイドは巻き直した包帯を剥いで外套のフードを被り、青く広がる空を見上げた。
「ハイドさんっ!」
上等な弓矢を背負う、肩までの髪を宙に泳がすノラは声を上げた。
「ハイド!」
飽くまで手ぶら。妙にぴっちりとした服装で、腰まで長い黒髪を風になびかせ、それを長い耳から掻き揚げるシャロンは嬉しそうに呼びかけた。
「『さあ、行きましょう』」
彼女等の声が重なって――――ハイドはやれやれと、視線を先を行く二人に戻して言葉を返した。
「そんなに焦るな。旅はまだ始まったばかりなんだから――――」
世界の蔓延る悪は、絶対的なモノではない。それ故に生まれ堕ちた、絶対的正義を持つ勇者は相対する悪が居なかった。
世界に選ばれなかった勇者――――ハイドは、それでも目をそむけず、得た境遇を全力で活用し、一つの手段を見出した。
選ばれないのなら、自分で選べばいいじゃないか、と。
彼はそうして様々なモノを得て、失う。世界を変えることすらあって――――そうする果てしない旅は、そこから始まった。
だが彼は、彼女等はその時には未だ気がついていない。自身らが世界にとって重要な歯車になるということに。
そうしてまた――――世界は幾度とも無く、狡猾に、楽観に、誰かを選び無視していく。
循環する勇者の物語はそこで終えるが――――やはりまた、誰も気がついては居ない。
必ず現れる魔王には、必ず勇者が対になると言う事に。
そうして世界は不思議なくらい懲りることなく、良くも悪くも循環していく――――。
終わり