6 ――闘争と逃走―
義父はそれを見て驚いた様子も無く、だが逃げ出そうともせずに自身の妻を護るように立ちはだかる。
予測できた事態だが、仕組んだという風もなく、さらに突然現れた危機的状況にも肝の据わった態度である彼は、それだけの行動で一気にハイドから高評価を得た。
「きさ――――」
だから少なくとも、ハイドはやる気が腹の奥底から湧いてきて、それ故に、その行動は迅速に行われた。
一瞬にして男へと肉薄するハイドは、向けられる刃に恐怖など微塵も感じずにその顔面を拳で穿つ。鈍い衝撃が拳に伝わり、逆に男は激しい痛みを脳に伝えながらそのまま廊下を押し戻されるように吹き飛んで行く。
痛みによって力が抜け、それ故に落とされた剣を手にしてからハイドは即座に二人に告げた。
「おい、関係者なら逃げ道くらい知ってるだろ? 逃げとけ」
冷たく吐き捨ててから、のっそりと起き上がる男を蹴り飛ばし、また床を転がして外へとはじき出す。そうして未だ動くタフネスな男に少しばかり感心したと言う声を掛けながら、勢い良く右の膝を踏み潰した。
何かが鈍く砕ける音がして、男の低い唸り声をハイドは聞いた。彼の口元は痛みか恐怖か、何らかの感情に作用よって小刻みに震えていて、その瞳は絶望色に染まっている。
ハイドは着ていた外套を男の口に詰め込み、余った布で顔全体を包んで縛り、次いで逆側の膝をへし折ってから――――家の裏庭に隠すように男を捨てて走り出した。
「どこへ行くの?」
大通りへと飛び出した途端、城の方からやって来たらしい、同色の制服を身にまとう男たちが遠方に数人見えた。だがハイド達の姿は、確かにハイド達だと認識されていないようなので、ハイドは構わず彼等の進行方向へと走り出す。
敵に背中を見せて全力疾走するハイドへと声を掛けたシャロンに、ハイドは端的に、湧き上がる熱情を冷静ぶって口にした。
「この速さなら恐らく朝から俺達の行動は監視されていたと考えてまず間違いは無いだろう。だから――――俺の勝手な判断で接触したリートさんも身内だと判断されてるだろうよ」
相手は恐怖や人情の欠落した殺人鬼である。恐らくハイドをおびき寄せるために関係者を殺すか、脅しに捕まえるかするのは確実だろう。
だから手を出される前に保護しておく。その後は……。
「その間に他の誰かが犠牲になってたら? そりゃ帰国して真っ先にあったのは彼女だろうけど、その他にも一般人は腐るほど居るんだからソレを人質に取るんじゃないの? 少なくとも君は人情があるからね。私だったらそうするし」
一人を助ければまた次。否、その一人を助けていると同時にその次は殺されている。さらに言えば、こちらは一人、最大でも二人まで、あるいは少し多い集団までしか救出できないが、向こうはその気になれば全てを殺せる。
戦力というより、人員の差である。
「知ってる奴と知らない奴。死んだらどっちが悲しい?」
「強いて言うならば、知ってる人」
「そーゆーこと。俺は皆を護りたいってわけじゃないんだよ」
強いて、というのは恐らく彼女は誰かを亡くしても悲しまないのだろうか。だったら自分の時は悲しんで欲しいな、そう思っていると、早くも前方には酒場が見えてきて――――その前に、頭を掴まれ、足を地面から浮かび上がらせるリートが居た。
そうしているのは大男。先ほど不自由な格好で樽に放り投げたばかりの男であった。
「死んで無いってことは」
鍛えられた体力は、緊張と焦りによって早くも磨り減り、彼の呼吸を乱している。大きく息を吸い込むハイドに成り代わった様に、シャロンは少し緊迫するような声で先を続けた。
「待っていたようね」
彼等は息が合ったように、男を刺激しないが、適度にけん制できる距離に立ち止まる。
そこから見るリートの様子はどうやら意識を失っているらしかった。だから死んでいないと発言したのだが、もしかする、という可能性も無きにしも非ずだ。
腕も足も、力なく垂れ下がり、呻き声も聞こえない。もしかしたら既に死んでいて、それを生きていると騙して脅しに掛けているのかもしれない。
どちらにしても手を出せる状況ではないので、ハイドは早々に剣を捨てた。
軽い金属音が辺りに響いて――――男は満足げに微笑んでから口を開く。
「手前に殴られた分をよ、仕返してたら気ぃ無くしちまってよ。死んだのかのしんねぇけどよ、残った分を手前で払えよ」
「わかった。だからその女性を離せ」
なるべく、刺激しないように、だが鋭く自分の考えを悟られないように口を開く。だがそんな言い方すらも気に喰わなかったのか、男は突然屈んで、まるでぬいぐるみのようにリートを振り上げたと思うと――――駄々をこねる子供がぞんざいに扱うように、地面に力強く叩き付けた。
凄まじい衝撃に、彼女の身体は一度また宙に浮かび上がってから、また自重で落ちる。
その瞬間、ハイドの考えていたおざなりな作戦や、どの程度痛めつけるだけで終えようかなんて考えは一瞬にして吹き飛んでしまう。
腕が本来曲がるはずもない方向へ稼動させ、肌は裂けて痛々しく血を流していた。男はリートへと向けていた視線を、満足げな表情でハイドへ向けると――――其処にはシャロンしか居なかった。
驚いて立ち上がろうとすると、視野外の横から脳を揺さぶる蹴りが飛来し、直撃する。一瞬にして世界は反転し、天地が逆転した。
何が起こったか――――理解できぬ間に、身体が横ざまに倒れていく中で、リートを掴んでいた手首が消えていた。正確には鋭利な刃物で切断されていたのである。
痛みはその数瞬後に全身に広がって行き、瞬く間に力が入らず、また呼吸も驚きでおかしなことになっている。
数分に感じるほどのスローモーションで倒れた身体は続く蹴りを腹に受ける。
一撃ごとに数本の骨が折れて、たった一度も反撃する余地も無かった。胸の奥から何か、気分の悪いものがあるので吐き出すとそれは鮮血で、呼吸が困難になったそこで一等力強く腹を蹴り飛ばされ、転がって酒場の扉にぶつかって動きが止まった。
「ああ、わかったそうだな。普通に考えりゃ分かる」
乱れた呼吸を整えるようにそこで途切って、大きく息を吸い込んだ後、すぐに続ける。
「向こうはそりゃ殺すかもしれないが、簡単には殺さないよ。だって生きていて初めて人質が出来上がるんだから。死体を見せられたら見せた分だけ俺を逆上させて、その分だけ生き残ってる民が俺を支持するってな」
男の意識は朦朧とし、視界がぼやけ、音なぞは殆ど聞こえては居ない。
「ま、だから殺しゃしねーから安心しろよ」
だからそんな台詞も当然聞こえておらず、また風を切って迫る足に反応できずに顔面を強打され、すぐ後ろの扉に後頭部を衝突させて、意識を失った。
ハイドはぐったりと倒れる巨体を確認してから、自画自賛するほど綺麗に切り裂いた手首を魔法で治療しくっつけた後に、リートの治療に移る。
骨折は腕を固定させ、魔力を全開に。そうして腕が治ると、裂傷を塞いでいく。数分掛かる治療は、それ故に追っ手を追いつかせる結果になってしまっていたが――――それはハイドの想定の範囲内である。
だからといって、作戦のうちというわけではない。
元より、国家を転覆させるなんて大それた事を短い時間で成して遂げる作戦なんてものは、大集団と力をあわせてでなければ難しいのである。
王族の人間であれば、その難易度は一気に初心者レベルにまで下がるのだが。
だからとりあえずなるようになれ。というのが今のところの作戦である。勿論流れに沿って歩くのではなく、極力、その時自分が正しいと感じたものになるよう努力しながら。
「人質なしって事はどういう事?」
逆上してストレス発散した今のハイドは、脳の回転率が極めて低い。考えることも面倒で――――その為に、相手が仲間以外従えていない理由を考えられないハイドはそう聞くと、彼女もまた面倒そうに答えて見せた。
「何も『おびき寄せる』って作戦だけじゃないみたいね」
「?」
作戦が幾つか在るのは、段階的に攻めることを前提ならば当たり前だろう。それが早まったことくらいは分かるのである。
だがその次の作戦は何か。分からないので聞いたのに、そう答えるシャロンに、
「んな事はわかってる、次を教えてって言うんだよ。馬鹿なのか?」
言ってみると頬を力強く殴り抜ける拳を見た。
その中で男たちが何かを回りに呼びかけて――――それを聞いたのか、回りの家々の戸が慌てたように開いて、また急いで出てきた家主はそれぞれ武器を手にしてハイド達を見ていた。
「何、遂に一斉デモ行進? そりゃやり易い――――」
「『奴等を追い込まなければ貴様等を殺すぞ』って言ったのよ馬鹿」
リートを背負うハイドの腕を取ってシャロンは走り出す。それを聞いて「んなあほな」と思っていると、
「追えッ!」
男の怒声の後に、出てきた街人が一斉にハイドへと走り迫ってくるので、これは正気の沙汰じゃないと、ハイドは彼女に並んで駆け出した。
「もう十分恐怖刷り込まれてるじゃないですか」
土地勘の在るハイドがシャロンより数歩先を行き、出てきた路地へと潜り込む。続いて魔法で脚力を強化してその屋根へと昇ると、それを読んでいたのかシャロンが一足先に上へ。
そうして昇って、大通りとは反対の家の屋根へと跳んで移動していると、後ろの方で足音が止まり、ざわめきが増すのを聞いた。
そうして走って稼いだ距離を逆走して――――彼等は先ほど指示を出した、制服姿の男たちの前へと降り立った。
総勢四人。男たちはそれぞれ協調性の無い武器を装備して立ちはだかっていた。
特に驚く様子が無いのはやはり、彼等もハイド達の行動が予想の範囲内だったからであろうか。
「牧羊犬も居ない上に訓練もされて無い羊なんざ相手になんねーよ」
鉄の棒の先に幅広の刃をつける槍を突き立てる一人の男が、ニヤリと笑った。
――――クスリで兵を強化しているという噂がある。
もしそうであれば、頭に影響があるのかもしれない――――そう思っていると、そいつは指を鳴らして……。
「……おいおい」
その背後からはそこら一帯の街人がかき集められたのだろうか、無数に存在する細い路地から街人が続々と現れて、また退こうと後ろを向くと、先ほどの街人が道をふさいでいた。
だから――――。
「星の瞬き」
辺りに網膜を焼き尽くす程の光を撃ち放って、ハイドはシャロンの手を引きながらまた屋根の上へと退避した。