5 ――帰宅――
病弱な娘が親を頼って道を歩く。そんなシチュエーションを思い描きながら歩いていると、未だに耳を小刻みに動かして索敵するシャロンが声をかけた。
「これから何処へいくのさ」
そんな事を言われてもまったくの無計画なので困ってしまう。
革命をするには人望の在る者にアシストして王へと摩り替えさせるのが普通。だがそもそも、この街でそこまで自分を信じてくれ、また自分が信じられる人間が極限までに少ないことに気がついたので、どうしたものかと考えているのだ。
恐らく前国王はまだ生きているだろう。だが救出に行くには城の中へ行かなければならないし、こんな状況では城に入ることが難しいことくらい赤子ですら分かるというものである。
だから、
「ちょいと肉親の所に」
ハイドはとある一軒家の前に立ち止まった。見慣れた二階建ての家。ハイドが十六までの人生を過ごした自宅である。
インターホンを鳴らすか、そのまま入るか迷っていると、シャロンがすかさずインターホンを三連打するという常識の無さを垣間見せるので、思わず彼女を羽交い絞めして距離を取ると、
『はいはーい』
中から女性の声が大きくなって、近づいてくる様がよくわかり、
「どちら様で……」
彼女を置いて逃げ出そうとするよりも早く、彼の母親は玄関を空けハイドを捉えていた。
「……じゃんじゃじゃーん。なんつって」
「ちょ、ジャンっ!?」
「うん」
おどけてはみるが、どうにも通用しないのがお母さんである。見事なスルーに不意を突かれながらも、彼等は中へと引きずり込まれていった。
会話も交わさず、懐かしい廊下を抜けて、感慨に耽る暇なくリビングへ。
そしていつものように、椅子に腰掛けて雑誌を眺める、定職についているのか定かではない義父が変わらずそこに居た。
「あぁ、き――――」
「ちっすプー助。仕事行けよ」
仲間の手前、最強で最高の勇者が義父を恐れているだなんて失態は見せられない。だからハイドは、彼が口を開くと直ぐに言葉を遮った。
ただの威勢であるために、突っ込まれたら終わりなのかもしれない。だが彼はそんな面倒なことをわざわざする男では無いという程度のことは知っているために、ハイドは続けて母親に顔を向ける。
「いやね、近くに来たから寄ってみただけなんス」
「今、この国がどうなってるかわかってる?」
心配するような問いは、やはり母親のものであった。それにハイドは素直に頷くと、
「ハッハ、馬鹿だな。商人以外の平民はたとえ旅人でも出入りはあと半年は出来ないんだぞ。君なら尚更だ――――不法侵入してきたな? ジャン君……?」
空気の読めない阿呆が一人。心配かけまいとしていた母にわざとらしく真実を教えてしまう。恐らくはわざと口にしたのだろう。
だがしかし、誰かが変装して来ただのと無駄な思惟をしない辺り、少しばかりは鋭いなとハイドは考えた。
「そういうアンタは一体何を企んでるんだ? 何を待って、何をしようってんだ」
驚いて、そうしてオロオロしだす母親はシャロンになだめられる。ハイドは雑誌をテーブルに置いて眼を見る義父を睨んで言葉を返すと、
「どうしてそう思うんだい?」
優男な彼はわざとらしく笑いながら頭を掻く。だから一言「勘」だと答えると、彼は突然、見たことも無いような顔で笑い声を上げて腹を抱え始めた。
そんな光景に、一同がぽかんと呆気に取られていると、彼は徐々に笑いのトーンを低めて行き、やがて目尻の涙を拭ってから、先ほどとは違う、素直な顔つきでハイドを見つめる。
「強くなったなぁ、見違えたよ『ハイド君』」
しかしハイドをそうやって名字で呼ぶ辺りは未だ認めていないのか、それとも元より性格が悪いのか。恐らく後者だろうと思いながら、ハイドは彼の正面の席に着いた。
義父が母親とシャロンを促して、それぞれがパートナーの隣に座って、
「それじゃ教えようか。僕が何故この家に来たのか」
「はぁ? ……おいおい、んな事ァどうでもいいんだよ」
神妙な顔をして告げる義父にハイドは口を挟むが、眉一つ動かさない彼に思わずハイドは引き下がる。
そうして静かになったところで、彼は口を開いた。
思えば――――この男とこれほどまで長い時間を共にするのは始めてだな、そう振り返っていると、喋り始めから突然聞き逃せない言葉が飛び出てきた。
「僕がここに来たのは現国王の『マートス』からの指示でね。君の逃げ場を奪うために来たんだ。元々君のことが好きじゃなかったし、報酬が良かったから快く頷いたんだけどね」
彼が口をすべらせて言う言葉はどれもこれも、誰かに聞かれ、王や関係者に伝われば即刻死刑であるだろうと直ぐに分かる情報であった。
だが彼はなんの悪気もなしに、まるで他人が行ったことを又聞きして言い聞かせるような喋り方は留まることを知らない。
「だけど君はしぶとく街に残ったし、彼の父さん、前国王の『サミュエル』さんは現役を退くのは当分後と思うくらい元気だった。つまり彼は君が邪魔で、さらに今すぐにでも王になりたかったんだね」
いわゆる計画的犯行である。ハイドは数多の予想が頭の中を駆け巡るが、彼の口から紡ぎださせる数多の事実が思惟することを止めていた。
それから少し黙り込んで、
「紅茶を淹れて来よう」
母親を気遣うように席を立ち上がるも、また直ぐに席に座りなおして、直ぐ隣の彼女に、代わりに淹れて来てはくれないか? と頼みなおす。
そんな行動を不可解に思いながら彼女がキッチンへと立った後、
「毒を入れたと思われると困るんでね」
思いも突かなかった事を口にして、軽く笑った。
確かに、関係者がベラベラと内側の関係を話すときは素直に降参したときと、話す相手に冥土の土産を渡しているときに限る。油断させて毒を盛る可能性も大なのだ。
心を開いたと見せかけるのは、心ある人間にとって最も大きい隙を生ませる事になる。
「続けてくれ」
だがそれに笑みも返さずに、ハイドは言葉を返した。彼は軽く頷いて、やってきた熱い紅茶を口に含んでからまた言葉を紡ぐ。
「そうこうして二年が経った。君が自立した二年間だ。その中で君が嫌というほど街で問題を起こしてきただろう? アレは全部マートスの仕業だよ」
――――街に魔物を入れたのは指示を受けた城の兵。魔物に襲われている子供を助けた時の事は、どちらもマートスが仕向けたもの。洞窟の魔物退治を頼んだのもマートスに金をつかまされた者の仕業。
そして一番最初、彼に非難を浴びせていたのは、またマートスの指示によってそうせざるを得なかった者である。
マートスに指示されたとは言うが、その実、彼が兵へと命令し、それを街の人間に強要させたりしたのだ。それ故に、悪者は兵であり、街の人間であり、魔物である。
結果的に街の人間は、自発的にハイドへと暴言を吐くようになっていたために。
彼は完全に闇の中にあぐらをかいたまま、最終的にはハイドを追い出すことが出来たのだ。至極、思惑通りに。
「それからサミュエル前国王に盛り続けた薬もようやく効き始めてね。だけど生命力がしぶとくて、死ぬにはまだ時間が掛かりそうだ。薬以外に殺す手段はあるけど、ただの老衰で死んだって言う風になってもらいたいし、兵の反逆によって殺させるのもいいが拷問によって口を割られるのも厄介だ。だから彼には一旦世間的には死んでもらった」
外から呼んだ医師にサミュエルを視てもらい、死亡診断書を作らせて、そのまま棺桶に詰め込んで地下に運んだという。
だから恐らく、地下で餓死にでもなっているのだろう。義父はそう言って薄く笑った。
「実の息子にそんな事されちゃあねぇ。ものの見事に箱入り息子だったのが、今じゃ一国の悪王だ。おまけに親を本当の箱入りにしちゃって……。まったく皮肉な話とはこの事だろうね」
声を聞かずに、その優雅そうな素振りを見ればどこの紳士かと思うが、そんな不幸話を嬉々として語る彼はよほど異常に見えた。いや、まだ性格が悪い、のところで止まっているのだろう。
「なんでアンタがそんな事を知ってて、俺に話すんだ? 俺のことが嫌いだったんじゃないのか?」
話が一段楽したのか、背もたれに身体を預けて紅茶で喉を潤す彼に、すかさずハイドが問う。隣のシャロンは心底どうでも良いのだろうか、母親と紅茶について楽しそうに語っていた。
まるで世界の違う数センチ隣はまるで見えない壁に隔てられているようで――――同じことを思ったのか、義父は隣を一瞥し、フッと微笑んでから口を開いた。
「聞いての通り、僕は彼に気に入られた……が、今度は彼女を見せしめに殺せと言い出したんだ」
小声で、指も指さずに彼は目で合図する。その先には隣の母親。そうしてハイドは、一気にその頭に血を上らせ、怒鳴ろうとするが、ソレを防ぐように先に言葉を続けた。
「僕は断ったよ。勿論、君は嫌いだが、彼女との生活は捨てがたいからね。最初の報酬で、ここ十年は裕福に暮らせるし……だけど、それがいけなかったんだね。彼は世間知らずのお坊ちゃまだ。自分以外は皆ゴミで『残す』か『捨てる』しかない。僕は今、あと一度そのご要望に首を振ったら間違いなく生ゴミ処理されてしまうところなんだ」
饒舌な彼が言いたいことはつまり――――捨てられそうだから先に見限って、そのゴミ処理施設の主任をどうにかして欲しいということだ。
驚くほどに口が滑りすぎて、驚くほどに他人事な彼はどうでもいいように保身を図っている。
情報を無償で提供する代わりに国を変えて――――元に戻してもらおうと考えているのだ。
ハイドが元よりそうするつもりだと分かっていて。
もしかすると、戻ってくるのも全て計画の内だったのかもしれない。だとすると、アークバもグルってことか? いやこれは恐らく、いつもの『偶然』だろう。
ハイドは深く溜息をついてから、そうして立ち上がった。
「アンタ、どこぞの勘違い魔族より、王の素質あるよ」
勘違い魔族とは、先日拳を交えたハイメイのことである。生まれる先を間違えた故に不幸な運命を辿る彼に比べて、のらりくらりと生きている男が王たる格を有しているのは、なんと残酷なことだろうか。
「まぁいいんだけど――――それより早いところ、行動に移しておいた方がいいと思うよ?」
彼が言うと同時に、家の中にインターホンが鳴り響く。ハイドと母が、同時に肩を弾けさせて立ち上がると、それを見て微笑みながら、彼が続けた。
「仲間を殺したくなければね」
その瞬間――――力強く扉が破壊された音がした。そうして足音は高らかに床を鳴らして、廊下の奥から見えるのは、登場するのは幾分か早いのではないかと思う姿。
抹茶色の制服に、同色の帽子を被る衛兵が剣を抜いてそこに迫っていた。




