4 ――協力者――
光を遮るカーテンが無い窓から注ぐ陽光は、加速度的にハイドを覚醒へと促していた。
そして、
「ちょっと、起きなさいな」
身体を激しく揺さぶるシャロンの行動により、ハイドは緩やかに浮かび上がらせる意識を急上昇させて眼を覚ます。
何事かと、眼を擦りながら上半身を起すと、顔面に何か柔らかいものがぶつかって――――何か可笑しいなと思い、身体を僅かに下げてから瞳を開けると、何故かシャロンが覆いかぶさるようにして待機していた。
「何してんですか」
また何かくだらないことをしようと企んでいるのだろう。この状況下でよくもそんなお気楽思考に走れるものだと溜息を吐くのだが、
「ノラが居ないのさ」
「ノラなら大丈夫でしょう」
何故か引く気がないままにそのまま話し続けるシャロンからハイドは抜け出し、あらぬ方向に飛んでいる毛布をたたみながらハイドは続ける。
「ノラが俺と旅立ったのを見てたのは昨夜の門番二人だけだし、その時はまだ政権は交代していない。こうなることを分かって誰かが見張っていて、俺との関係を王が知っていたとしても、ノラはちゃんと考えて誰にも見つからないように行動すると思いますから」
大きく伸びをして、間抜けな顔で大きく欠伸をした後に、「ま、心配する必要はないでしょう」そう付け足してから、部屋を後にした。
身に着けるのは絹で出来た外套。暑苦しいとは思うが、身を隠すには一番で街の中もそんな格好の者が割りと多いので好都合なのである。
何事も無かったようにアパートを後にして、二人は道を歩く。大通りは驚くほどに人が居らず、人は道端でだべることもせずに用が済むとそそくさと、仕事場や自宅へと向かって行く。
閉店してしまっている店も多く、全体的に人口が減ったように見えるのは勘違いでは無いだろう。
「つけられてる気配も足音も視線もない。どこに向かうの?」
長い耳をピクピク落ち着き無いように動かしながらシャロンが聞いた。それから間も無くしてハイドは一軒の酒場の前で立ち止まる。
「ちょいと顔見知りの所に」
にへへと怪しげな笑い声を上げて扉に手をかけると、同時に店の中で陶器が割れる音が響いた。ノブを捻りかけていた手をゆっくりと戻してから、ハイドはシャロンを手招いてすぐ脇にある路地へと向かう。
そんな行動中にも店内からは男の怒声と女の小さな、食いしばる口から漏れたような悲鳴が続いて――――店の裏に回りこんだハイドは、そこからこっそりと忍び込んだ。
「暴れてる男は強いですかね」
入ってすぐそこは事務室のような場所で、さらに扉を開けるとそこは早くもカウンターの裏側であった。そして――――偶然にも、そこに逃げ込んでいた紅髪の女店主と出くわす事になる。
「あっ…………えっ?」
突然現れたハイドを眼にして、上手く状況が理解できずに混乱し、また立ち上がりそうになる彼女を押さえてから――――彼は迷いなく、一度だけしか使用したことのない変身魔法で彼女へと化けた。
瞬く光は一瞬だけ店内を輝きで埋め尽くした後に、その身体は刹那にして見てくれはおろか、性別までもを変身させて――――それから聞こえる男の罵声に、ハイドは両手を上げながら降伏だと言うように立ち上がる。
つまりはすり替え作戦である。
街の外交官ばりの仕事をこなす酒場の主人に、こんな政治体制の中で大暴れできる者となれば非常に限られてくる。
死を恐れぬ阿呆な酔っ払いか、お咎めが無く、ある程度の権力を許されている衛兵か。
抹茶色の制服で身を包み、下半身を下着一丁にしたままナイフを手にしていた大男は一瞬、前者か後者、どちらなのか判断がつかなかったのだが……。
「両方かよ、タチ悪ィ」
小さく呟いて、ハイドは髪と同じ色をする紅いワンピースを翻しながらカウンターを出て行った。
「そうそう、最初から大人しくそうしてりゃいいんだよ。この不景気の中金を落としてやってんのは、俺くらいだからなァ?」
抹茶色の制服は、帝国ズブレイドでエンブリオが着ていた服と似たような物であるが、どちらかというと、一般兵の中の精鋭部隊に良く似ていた。
そいつは可笑しな話だなと、ハイドは心中疑問に思いながらはちきれんばかりの筋肉で服を盛り上げている男の下へと歩み寄り、
「あらごめんあそばせ、てめ……貴様の力に驚いてしまったのよ。おほほほ」
真っ二つに割れた円卓に、足が全て折れている椅子。粉々に砕けた花瓶は関係ないだろうが、店内の損失はそれだけであったために、ああただの人間か、だなんてハイドはほっと息を吐いてみる。
「『貴様』、だと? 貴様、俺に向かって貴様って言いやがったな貴様ァ~~ッ!」
だがしかし、口調に疑問を抱く前にそのなかの言葉に怒りを覚えた男は驚くことに拳を振り上げて、一瞬にしてソレをハイドの顔面へと向けて撃ち放った。
「女にッ」
またそれに驚く。その速さはまさに弾丸の如しで――――振り上げた時点で行動を起こしていたハイドは懐にもぐりこみ、頭の脇を過ぎて行く腕を左手で掴み、また彼を背負うようにもぐりこんで、
「手を上げんじゃねぇッ!」
そのまま前方に屈み、背中に乗せた男を勢い良く叩き落した。
激しい音が床を鳴らして、男は大の字に寝転がる。ハイドは仕方なく、男が落としたナイフをその首元に突き付けて、
「なァアンタ。この服と髪がなんで紅いか分かるか? それはなぁ、人の血で濡れて染まっちまったからよォッ!」
首に小さな切り傷を作ると――――不意に、恐ろしい程の速さでナイフの刃を握られた。
「へ、やっぱ女だな。非力すぎんぜ」
――――変身魔法はよく誘導や、このようなすり替えに使われる。だがその魔法自体使われないのは、性別まで変えてしまう優秀さゆえに、自身の元の力や魔力を完全に捨ててしまうからであった。勿論、一時的なモノではあるが。
だが女とは言え、ハイドはハイドである。どれほど力が弱まっても相手の力はよくわかる。
現に、ナイフを押されている今は相手の力が良くわかって――――だからこそ、異常なまでの筋力に、先ほど以上に驚くしかなかった。
そうしてハイドはなぎ倒されて、立ち直る暇も無く男に覆いかぶさられた。
「だがな、キライじゃないんだぜ?」
男は嫌らしい笑みを浮かべ悪臭を放つ口を開きながら、その紅いワンピースの胸元にナイフを入れて、徐々にその胸を露出させて行く。
嫌な趣味だな気色悪い。ハイドは思いながら、男の台詞を聞いていた。
「そんなじゃじゃ馬は――――ッ!?」
そんな台詞と同時にナイフは止まり、腹辺りまで切れたワンピースを、男は力いっぱい広げると即座にハイドの身体は輝いて――――男が見つめるのは、鍛え抜かれた胸板と、綺麗に割れた腹筋であった。
手にするのは紅いワンピースなどではなく無地のシャツ。顔を見ると黒髪の少年で、どうみても先ほどまで色気ムンムンであった女ではないと男は混乱し始める。
「悪い、俺はノンケなんだ」
だがハイドはそれもお構い無しにその顔面を殴り飛ばした。男は先ほどの強さは何処へやら、いとも簡単にまた天井を見上げて――――再び落としたナイフを、再びその喉元へと突きつけられた。
すぐにその手は、動揺する頭とは反対に機敏に動いて刃を押し返すが、どうにも先ほどと同じようには行かず、逆にナイフは喉へと突き刺さり始めた。
「おいおい、どうした? 力入れなきゃ死んじまうぜ?」
ニヒヒと嫌な笑い声を上げると、男は諦めたように力を抜いた。そうしてナイフは――――喉を掻っ切ることなく、そのまま抜かれて床へと投げ捨てられる。
ハイドは続けてその首へと治療魔法をかけながら声をかけた。
「お前この国の傭兵だろ。知ってること全部教えろ。そうすりゃ返してやんよ」
結局男は何も話さずに気絶してしまったので、ハイドは仕方なく店の地下にある酒蔵の空いている樽に、縄でグルグル巻きにして猿ぐつわをした男を放り込んでから、女店主――リート――に事情を説明した。
「危機を感じてズバッと参上ってわけですよ」
全く危機を感じている様子がないハイドをみて、やれやれと息を吐きながら二人分の水を差し出すリートは、それでも安心したように優しく微笑んでくれた。
「相変わらずで良かったよ。安心した……、それでその娘はアンタの?」
彼女は言いながら小指を見せた。
「嫌な冗談ですね、ただの――――信頼できる仲間ですよ」
言うと、シャロンは水を口に含みながらフフンと鼻を鳴らす。恐らく気をよくしたのだろう。それに安心しながらハイドは続けた。
「そこで情報が欲しいんです。まず王の事と、衛兵の事とか。あと被害情報も」
「本当だったら情報料取るんだけどね、アンタだけにはおまけで無料にしとくよ。えっと、まずは被害情報からね」
それから彼女は話し始めた。思い出しながらゆっくりと、長く感じる短い時間の中、彼等はその話に聞き入っていた。
被害情報は、先ず始めに王の行いを咎めた大臣が殺されて、歯向かう者はそれを始めとして内部から殺され始めていた。
そうしてまだ、恐れを知らずに反感する街人が十数人。それからクーデターを起こそうと城に突撃した数人の男。
それでも未だ恐怖を知らない平和ボケした民間人のデモ行進を行う数十人。
最もデモ行進したものは半数は見せしめに殺され、残った半数は連行されたのだという。
平和ボケしている割には随分と反抗する国民は、それ以降、異様なまでに静かなモノになったという。
そして、衛兵。
彼等は――――帝国派遣兵である。シャロンがこっそりと乗った船に乗船して、そしてハイドと出会うきっかけとなった連中であった。
実力は見ての通り。よく訓練されて民間人には手を出せないが――――ハイドほどになると、正に赤子の手を捻る程度の実力である。
だが影には、人間の力を逸する力を持った兵がいるという噂があった。出所は、反抗した一般人を殴り飛ばした所、その顔面はただの一撃で原形がなくなっていたところから。
「クスリかもね」シャロンが楽しそうに問うと、
「さあ?」リートはそんな様子に呆れた風に肩をすくめた。
そして、問題の王。
彼は前の王の息子である。
彼女はそこで言葉を止めた。どうしたんだ? そう問うハイドに、リートは困ったように、
「残念ながら、王についての情報は一切無いのよ。ずっと城の中の英才教育だし、関係者は絶対に喋らないし。そもそも私だって、彼が王になって初めてその存在を知ったくらいだもの」
「親バカだったのか。まぁ殆どボケてるような王様だったしな、息子の存在を忘れてたんじゃねーの?」
「……もう、そう言う事は外で言っておくれ。直接連行されて王を見た方が早いから」
「殺すのはそりゃ簡単かもしんないけどさぁ、実際の話、権力があって、王様になれる人間が革命起こさなくっちゃ国の未来はないっしょ」
現在では一応世界の救世主の子孫であるハイドが有力候補である。
だがしかし、ハイドにはそのつもりは毛頭無いし、誰も認めないだろう。
「そういや王様って生きてんの?」
「死んだって事になってるけど、多分生きてるんじゃないの」
「なんで」
「門番の人が言ってたから。『死体は地下に埋葬するから、他に新しく地下牢獄作っとけって言われてた』って」
なるほど。ハイドは何をどうするか。無意識下で作成される作戦の全容が、モヤが掛かっているものの、なんとなく分かってきた。
「わかった。それと、勇者の剣返してくんない?」
そうして用が済むと、ハイドはコップの中の水を一気に飲み干すなり、そう口にする。
因みに勇者の剣とは、旅立ち前に王から渡された木材である。
魔王を討伐した勇者が自身の、先祖代々から伝わる勇者の剣を王に収め、国の宝として宝物庫眠っているのだ。そして、勇者が旅立つのだから、それを渡したに違いないという、ハイドの勝手な解釈により、ただの木材は名だたる魔王を打ち破った勇者の剣へと変貌しているのだ。
それを聞いたリートは頭を抱えて事務室に下がっていき、それからシャロンは悲しそうな顔でハイドの肩を叩く。
今の話で何がいけなかったのか、分からぬハイドはとりあえず彼女を放置して、リートの達筆の文字で『勇者の剣』と書いてある木材を受け取るとすぐに腰に下げた。
「ありがとうございます。リートさん。今回も勇者として、ちょっと問題起こしてきます」
立ち上がり、改めて深く頭を下げたハイドはそれから深くフードを被ってその場を後にする。
軽く会釈してそれを追うシャロンに手を振って、リートは大きく溜息をついてから――――未だに消えない、自身の笑みに気がついて、彼がまた来るのを祈り、心待ちにしていた。