5 ――その男、旅人《むしょく》につき――
宿屋に出した金は一泊分。追加料金無しならば翌日には路頭に迷う事になる。確実に。
荷物を置き、シャワーを浴びて服を自動洗濯装置に突っ込み、洗い、干し、着替えなどの作業を終えたハイドは、なんてことの無い旅人の服を身にまとって、腰に剣を携えて、部屋を出た。
まだ正午から少しばかり時間が経過した昼の中ごろ。所持金に一抹の不安が残るために、簡単な仕事紹介屋へと個人情報を登録しに行こうとの事だ。
ハイドは少し考え、隣の部屋の扉を軽くノックする。ついでに昼食でも食べに行こうかと考えたからである。
「は、はい! す、少し待っててください!」
大きな声が籠って聞こえ、ドタバタと遠慮の無い足音が響く。ハイドは呆れたように息を吐くと、割合直ぐにその扉は開いた。
扉を開いたそこには、髪がまだ濡れ、顔にぺったり張り付き、備え付けのバスローブ一枚で出てきたノラがいた。
つい先ほど別れた少女とは少しばかり印象が異なる少女。ハイドはそんな姿に不覚にも恋を患った病人のように鼓動を高鳴らせ、頬を紅潮させた後、
「飯を食いに行くが、どうだ?」
「え? あ、はい! 喜んでご同行させていただきます!」
そんな改まった言葉遣いで頭を下げた後、「それでは、少しまっててくださいね」なんてウキウキとした風に残して、再び部屋の中に戻っていった。
――――外に出ると改めて感じる人の多さ。
ハイドはいくらでも吐き出せる溜息を1つに抑えてから、隣で外套も羽織らず、だがその代わりに長い前髪をお洒落なピンで留めるなんて、何処で覚えてきたかも分からぬファッションセンスを披露するノラを携えて、店員に聞いたとおりの道を歩いていた。
「ここは確か魚料理が絶品でしたよ!」
「そうか」
人口密度が最低ラインを60%にしている中央公園へとたどり着く。人波が多く、気を抜くとまったく別のところへと流されてしまいそうなそこで、ノラは慌ててハイドの服の腕部分へと飛びかかってきた。
「うわっ、また殺しに掛かるのか」
「ち、違いますよ! ひ、人が多いのではぐれたらヤなんです」
着替えた旅人の服は先ほど脱いだものよりも薄手。そしてノラは外套を羽織ってないので両者とも布2枚分の感触が変わるのだ。
やがて感じるノラの、女の子としての柔らかさにハイドはフットーしそうな頭を抑えて、そのまま公園の端っこのほうまで進んでいく。
「はぁ……ったく、別に身動きできないほどじゃないだろ。人は多いが、立ち止まっても支障が出ないレベルだ。迷惑には変わりないけど……」
「照れなくても大丈夫ですよ。わたしは好きでやらせてもらっているので」
鋭くハイドの思考を読みぬいたノラはしたり顔でそう言う。
「ってか、何で俺なんだよ。他にもなんかこう……いたろ?」
「ハイドさんが自分で言ってたじゃないですか。ロンハイドに居るより自分についてきたほうが安全で云々って」
「あぁそうかい」
ハイドはこの状況ではあまり優位な会話が出来ないと判断し、軽く手を上げて振り適当に返事をした。「確か、この近くだよな……」
「ご飯屋さんが?」
「いや、一時的な資金稼ぎの場所」
そう言ってハイドは、今度はあんないらぬドギマギを起させられては困ると、ノラの手を引いて歩き出した。
人ごみが多いと感じたが、短い時間で慣れてきたお陰だろう。然程苦には感じず、一息ついた正面の、大きな建物へとたどり着く。
木造建築で大きな両開きの扉を持つそこは、ロンハイドの仕事斡旋会社を何処と無く髣髴とさせた。無論、そこはその通り、仕事斡旋業を嗜む酒場なのでそれも無理がないのである。
がやがやと、外に居ても聞こえる騒音に少しばかりの不安を覚えながらハイドは扉を開いた。
錆びた音が騒音に雑じり、ハイドの緊張を高ぶらせる。同じく、何かを不安に思うノラはハイドの服をぎゅっと掴んでいた。
開けて、中に入る。足音の目立つ床を、しのぶわけでもなく堂々と足音を鳴らしたままで歩いていくと、少しばかりの視線を感じた。
中は存外に広く。真ん中、カウンターへと延びる道は開いているが、脇には円卓や長卓子が多く点在し、そこには誰一人漏れることなく着席し、それぞれが手にジョッキやらコップやらを手にしていた。
天井から吊るされる薄暗い電球に、淀んだ空気は酒の臭いで満たされている。
やがて、騒音が視線に比例するように少し静かになる。ハイドは気にせずカウンターへと、その向こう側に居る顎鬚がモジャモジャの男へと声を掛けた。
「新規登録をお願いします。短期で」
「……君、いくつ?」
中年で、髭が逞しいくせに頭は額から中央までが綺麗に禿げている、ふっくらとした腹を持つ男はどうやらハイドが幼く見えたらしく、そう聞いていた。
「18です」
「……兄妹で登録するのか?」
聞かれて、兄妹という事を否定しようと思ったがどうにも面倒に感じてしまったハイドは、ノラが口を開くよりも早く、
「いえ、俺だけです」
「……戦闘経験は――――」
等など、登録には制限や条件がある。それは場所によって様々だが、ここは年齢や戦闘経験が主な条件となっているらしい。
そのほかにも様々な事を聞かれ、ようやく条件を満たしたらしくハイドは一枚の紙を手渡された。
さらにペンを渡されたハイドは、慣れた手つきでスラスラと、指定されたとおりのことを書いていった。
それを渡し、男は受け取る。それを軽く流し見て、男はにやりと笑みを浮かべた。一見恐ろしそうな、青髭を連想する男だが、ニカっとあけた口には歯一本分の穴があり、頬は上がり目は細まり、愛嬌のある笑顔で、ハイドがひとつ息を吐くと、隣でノラは胸をなでおろした。
「なるほど、それなりに腕が立つようだ。短期というのは少しばかり残念だが、仕方が無いだろう」
男はそういいながら手を指し伸ばす。毛に包まれたごわごわしていそうな感触をイメージしたが、ハイドはそれは失礼だと、快く手を差し返す。
そうしてしっかりと握手を交わすと、なんら変わらぬ肉付きの良い手だった。
「登録抹消条件が、取得給与100万に到達したら、となっているが……」
「一応旅の身ですから。あまり長くは滞在していないし、でもある程度の資金は稼いでおきたい。因みに今直ぐに仕事が欲しいです。最低2万5千ゴールドの」
ハイドが掲示した金額は勿論のこと、自身が宿泊している宿屋の2人分の料金であった。
それを台詞からなんとなく察すると、男は後ろの壁に貼り付けてある紙を迷わず選び、引っ張り引き裂き、カウンターに置く。
「だったら、一度で100万手に入れたほうが早くて良いだろう?」
再度にこやかに笑う男に、ハイドはここに入る際に感じた不安を再び胸に抱かせていた。




