1 ――天翔ける鳥の如く――
「それなら私が払いましょうか?」
左足と右腕を骨折して入院しているジェルマンだが、奇跡的に帰還できたのは隊の配置が理由であった。
第一、二隊をクッションにしていたために被害は極限にまで抑えられ、その後ろに居た弓兵団は無傷に近い。東西の兵らは戻りかけていたところを襲われたために先頭の集団は殺されてしまったが、それでも生き残りが多いほうである。
その事に、レイドは「要らぬものばかりが残ったか」等と嘲笑していたが、生きていただけでも立派なモノだ。
「いや、いいですよ。悪いし……」
彼を見舞いに来たハイドであったが、聞き上手故についうっかりと先日の事を愚痴ると、親切にもそう口にするので、ハイドはやんわりとそれを拒否した。
「でも事実、君への報酬は一文も払ってないからね。本当だったら費用に日数をかけて、それに成功報酬を渡すハズだったのに」
簡単に計算すればゆうに二百万を超える計算となる。たかだか護衛の仕事だけでソレを得られるのは割に合わないくらいの利益で――――帰りも護衛するという任務を得れば、それに足して、帰りの分を払うと、彼はそう言っていた。
魔物との抗争も一旦幕を閉じたこの国は、当分の間、騎士達の育成に勤しむことになる。
消耗が激しかった故に、隣国へ兵の募集をかけ、国内に育成学校を作る予定である。そうすれば一から全てを、騎士団の訓練で教えることも無くなり、より上を目指しやすくなる。
東と西を繋ぐ高速船が一般用に流れれば魔術師の町からも強力な援護も手早くなり、また魔術師団も強化できる。
国内にウィザリィの第二の魔法学校を作ることもでき、国はより堅牢なモノと為り得るのだ。
その間、負傷兵は傷を癒し、他の、貴族から成り上がった騎士団隊長は、現在の地位を落とされぬよう皇帝に媚を売り続ける日々となる。
「でもビッツさん、全治二ヶ月じゃないですか」
情けとして、旅立つまでの生活は保障されている。これだけでもなんだか嬉しくなってしまうのは悲しいことであったが、だがしかし、二ヶ月も金のために待つのはハイドのプライドに関わることである。
「ジェルマンで結構」彼はベッドの横にある机の引き出しから、純銀製の拳銃を取り出して、それを窓から入り込む陽光に照らして見せた。
「これは昔、錬金術師の称号を持つ鍛冶師と大賢者の合作でね。こんな遠距離武器は話に上がっても作られはしなかったんだけど、そんな二人の協力によって出来上がった代物なんだ。幾つか作って、一番出来の良かったもので、それを企画した私の祖父が譲り受けたものなんだけど……」錬金術師とは、魔術師の大賢者の称号に、騎士の皇帝騎士に並ぶ、鍛冶師に対する最上級の称号である。
それが一番初めの魔銃。それ以降魔銃はあちらこちらで見かけるようになるのだが、その簡単な構造に比べて高い威力を誇っていたり、魔法を込められる、などの特殊効果や、銀以上の耐久性のある金属でなければ衝撃に耐え切れなかったりなど、そんな理由で高価であった。
それ故に、それを持つ者も少なく、また銀を主に使うという事で重く、弾丸が消耗品だと言う事で需要が低く、製造も今では殆ど無い代物である。
手渡された拳銃の銃身部分には大賢者の名が、そしてグリップ部分に鍛冶師の名が刻まれていた。
それぞれ『レイド・アローン』と『ロイ・フェス』。
奇妙な巡り合わせだと思った。ロイ・フェスの名に聞き覚えは無いが、恐らくはあの兄弟に関係する人物だろう。特に聞こうとは思わないが――――。
「世間ってのは、案外狭いな」
レイドとシャロンに、アルセとフォーン。個々でいるものも、多くは何かしら関連して最終的に自分に繋がっている。
ハイメイにしたって、あの状況で対面したのは偶然であろうか。
運命かもしれない。そう思うと不思議と、陳腐だな、なんて嘲笑するような言葉が浮かんできて、ハイドは頭を振った。
「ええ、でも両名とも世界的な有名人ですから」
ハイドは拳銃を返そうとするが、彼は首を横に振り、
「値打ち物になりますよ。確かな所で売れば、の話ですが」彼はそう続けた。
「でも、ソレは形見とか、代々云々の代物でしょうよ。流石に頂けません」
だからハイドもそれを真似るように首を振って引き出しの中に仕舞いこんだ。
いや、だがね……。ダメですダメです。そんなしつこい言い合いはどちらも折れることなく、終えるのは看護婦が包帯を替えに来た十数分後であった。
「それじゃ、気が向いたらまた来ますよ」
彼がベッドから起き上がり、看護婦の世話になる前にハイドはそれだけ言って、病室を後にした。
「あ、下僕」
「やかましいです。ったく、まともな挨拶は出来ないのかよ大賢者様は」
病棟を出てもまだ昼にはなっていない午前の空。日差しは強く、支給された無地のシャツの胸元を仰いでいるとアークバがそんな奇抜すぎる事を口にしてやってきた。
未だに契約を解いてもらえないハイドは現在、無職ではなく魔牢院の戦闘員の一人である。しかし給与は支給されていない。
「魔人だったか? まぁどうでも良いんだがな、うっかり街の中で化けてしまえば貴様は困ってしまうのだろう?」
なんの企みがあるか判然としないが、彼は街行く人の波の中で唐突にハイドを脅しに掛かっているのは確かである。
だがしかし、魔人化するようになって何度か戦闘を行っていたが、魔人化するのはいつも決まって魔族と対峙した時のみ。
しかも――――その能力を受けてからのことである。
恐らく、倭皇国では体内の魔族が安定しなかった故に、感情によって出たり出なかったりがあったのだろうが――――概ねそれが正しいのだという条件が判明した時点で、彼の脅しは何も怖いものは無かった。
エンブリオは何も言わないし、騎士達には見られていない。気づかなかった者、感づいた者も何も言わずに接してくれている。
「ええ、そいつは困りますねぇ……もし化けてしまえばの話ですがね」
だから余裕を持って言葉を返せる。そんなハイドを意外そうだとも驚いたと言う風な顔もせず、ああやっぱり、なんて予想していたことが当たった何気ない表情をしてアークバは憎らしい笑顔を作っていた。
お付きの者も居らず、一体何をしにうろついているのかと疑問に思うが、特に追求する理由も興味も無かった。
「ああ、所で貴様。次は何処を目指すつもりだ?」
「えっ?」
そんな唐突な問いにハイドは驚いた。
てっきりまた拘束してウィザリィに戻されるものとばかり思っていたし――――そもそも、彼がそんな事を気にかけてくれる男だと思っていなかったのだ。
どこまでも狡猾で、老獪な老害。歳も七十を越えているだろうにこの元気の良さはどうにも納得がいかないのだが――――それは置いといて、ハイドは考える。
次、と言われても分からない。
分かるのは魔導書と図鑑で学んだことと、母国近辺の地理である。
馬車と船は利用したのでそろそろ空関係か? なんて期待を寄せるも、気球やら飛行船、飛行機だか飛空挺だかは未だ製造中であり、さらに詳しく言うなれば未だ設計図の中である。
試作品はいくつも作ってあるが上手くいかず、大賢者のレイドが動かぬ限り完成しないとまで言われているのだ。
そもそも、船や馬車があるので移動には困らず、早急な移動については瞬間移動という魔法的手段がある。
特に誰も困らないのに造られるそれは、技術の進歩を目指す技術者の為にあった。
「いや、最終的な旅の目的はありませんから、このまま北を目指そうかと……」
自分探しの旅と銘打って始めた旅である。
どこかで勇者ではなく、ハイド=ジャン個人を必要としてくれる場所を探しに来たのだが、ハイド=ジャンという名前自体が魔王の居ない時代に生まれた勇者につけられるテンプレートだと知って心は折れかけた。
だが魔人化やら、受け入れてくれる仲間を受け入れる心の成長などにより旅は続いている。気がつくと目的は世界一周に摩り替わっていそうで恐ろしいものがあるのだが……。
あとはこの東の大陸の北と、最南端。そして船でしか行けない氷の大地に、西大陸の最北端。それに見過ごしてきた町々なども回れば数年経つだろう。
アークバに問われて瞬時にそう浮かんだのだが、
「ならば一度、帰国しては見ないか?」
見たことも無い真剣な表情に、思わず背筋が凍りつく。
何故だか、いけないことをして怒られているように心が縮み上がって、それからようやく、ハイドは彼の台詞を理解する。
「何故ですか?」
街の人間は彼等に興味は無いように、邪魔そうに避けて通り過ぎていく。ジリジリと肌を焼く太陽は彼の眼差しのようであった。
「ロンハイドは現在、王の老衰によってその息子が世襲したのだがな……それがとんでもない悪政で、殆ど恐怖政治になっている」
そしておよそ予想だにしない、事実か、彼の思惑を果たさせるための口からのでまかせかわからない事が吐き出された。
嘘だろう? なんて驚いて信じることも出来ない。突拍子が無さ過ぎる話だ。階段を上っていたのに、気がつくと降りていたくらい、わけの分からぬ台詞なのだ。
「そしてその息子に王の席が譲られたのは、貴様が国を出てから間も無くの事だと聞いている」
与太話だ。そんな偶然が――――そう否定しようとするも、最近は妙な偶然が続いている。
それこそ運命なのではないか。もしかすると、国王は自身の衰えと、息子の不安を危惧して将来有望な勇者を、こんなところで腐らせないために国から出したのではないか。
ハイドは考えるが、だとしたら、第一に国を救って勇者としてのあり方を示させるべきなのではなかったのか。そう思えてきて――――だが親心には、苦難は出来る限り無いほうが良いと思うんじゃあないかと、理解できてくる。
都合の良い解釈だとはハイド自身思っているが、だがそう解釈するのは自分が国に戻りたいと思っているからだと無意識下で考えているからである。
事実、彼は嘘か本当かもわからぬ話を真剣に聞き、そして既に国をどう救おうか考えていた。
「既に在る自分を探すか、自分を追放した母国を救うか。選べよ、勇者」
初めて、役立たずなど言ずに、彼は素直にそう口にする。だからハイドは彼の眼を真っ直ぐに見つめてから、頷いた。
「選ぶのはいつも自分だ。運命だとか、そんなものじゃない。俺なんだ――――だから俺は……」
ハイドは選んだ。
恐らく仲間も快く付いてきてくれるだろう。もう自分の問題だからと言って彼女等を突き放したりしない。付いて来て貰おう。
そしてアークバは告げる。出発日時と、その時刻。ハイドは頷き、彼等はそこで分かれた。
元よりアークバはソレを言うために、そこに来たのだ。ハイドはそれに気づいたが、自身の運命のレールが方向を変えたことには気がつかない。
そして物語は加速度的に終焉へと向かって行く。




