最終話『不運にも選ばれなかった勇者の物語』
行きはよいよい、帰りは怖い。とあるわらべ唄にそんな歌詞があるが、今回は正にその逆であった。
魔導人形により強化されたアークバはおよそ一介の大賢者とてやってのけるには難しい事――――大人数で、さらに長距離の瞬間移動をしてみせたのだ。
流石に到着した時には呼吸を乱していたが――――何よりも、誰もがそんな長距離を移動することは難しいほどに怪我をしたり疲弊していたりする状況で、日が暮れる前に国へ戻れたことは大いに助かっていた。
元居た騎士の数は二百余名であるが、帰る頃には六十二名。援軍は百余名で、最終的には五十名。
相棒や仲間の死を嘆いていると、夜のとばりが落ち始める。それでもソレに気づいた街人達は、彼等の凱旋を祝うよに歓声を上げていた。
最も、街人にはそもそも戦争をしてきたという実感が無かったのだが、その人数の減りようにようやく肌身に感じたようであった。
その中でエンブリオが、ハイド一行とアークバを連れて皇帝の下へ。そして呼ばれて居ないのに、メノウ達ウィザリィ組もソレを追って行く。
他は帝国内で一等大きい病院へと向かっていった。
「――――予定より早い帰還ですが、魔物・魔族らを打ち破ってきました。ですが……」
それぞれ跪く一行。エンブリオの隣にアークバ。そしてその脇には、魔法障壁に閉じ込められるハイメイ。
後ろに三人ずつ、ハイドを始めとして適当に並んでいると、前列に座るハイメイがじっとハイドを睨んでいることに皆が気づいた。
「生きて連れてきたか……、しかし、奇遇だな。ハイメイよ……まさかソレほどまでに――――弱くなっているとは思わなかったぞ」
だがそんな声は障壁によって届かないように、ハイメイはハイドを見つめたまま。ハイドは気づかないフリをして下を向き、なんだか恥ずかしいように思えてくるレイドへと、アークバは助け舟を出した。
彼がしたのは、指を鳴らすという行為。だがしかし、綺麗に鳴り響く音はそれだけに終わらず――――驚くことに魔法障壁を砕いたのだ。アークバは魔法を解いて彼を自由にすると、そんな行動に驚いたハイメイは、間髪置かずにアークバへと手を伸ばす……が。
その身体は膠着したまま動くことが無かった。指一本、アークバに触れることが無いまま、やがて前にやってくるレイドを見上げた。
「奇遇だな」
そんな声に、容姿にまた驚いて、
「貴様……、何故生きていやがる」
「コイツが実験体か。元は魔王の側近だったから十分な役割を果たすだろう」
「実験体……? 一体何――――」
そして言い終える間に言葉は薄い壁に閉ざされる。これからの恐ろしい将来を知らぬハイメイはその中で必死に吼えるが、何一つとして聞こえてはこなかった。恐らく先ほどの仕返しだろう。妙なところで気の回るアークバである。
「おっかねぇ奴等だな。魔族以上に人を殺してそうだ」
それが事実であることを知らずに笑うハイドは、その尻をラウドに蹴られて黙り込む。
玉座に座りなおしたレイドは一つ溜息をついてから、そうだなと、口にすることは決まっているのにわざとらしく考えるフリをしてからハイドを指した。
彼は呼ばれて立ち上がり、
「なんだよ」
「貴様は晴れて自由の身だ。失せろ」
それはまるで冤罪を受けた善良な市民に、悪い皇帝陛下吐き捨てる言葉のようであった。最も、悪い皇帝陛下、の部分は間違っては居ないのだが。
「冗談は顔だけにしろよ」しかし恐ろしいことを平然とやってのけそうなレイドのことである。もしかするともしかするかもしれない。
魔族化が解けている今、勝ち目など毛ほどもないだろうし――――などと考えていると、不意にレイドが口元を緩めた。
嫌味になるほど爽やかな笑顔であったが、ああ冗談だったんだな、なんて思うと、
「今殺されるか、おとなしく退くか。貴様に選択肢をくれてやろう」
そんな事を言うものだから、ハイドはとても正気の沙汰ではないと確信した。
「……、あー……、報酬をくれださい」だから思わず噛んでしまうのだが、
「報酬とは一体何の話だ」彼は気にせずさらりと流した。
「ちょっと待てよ、どうなってんだよ! 可笑しいだろそんなの!」
「ああ、貴様が『勝手に』戦争に参加した話の事か。ボランティア活動だというのに金をせびるとはなんとも小汚い話だな、勇者殿……?」
それを言われてしまえばもうハイドに口は出せない。
元より書類契約をしなかったハイドが愚かだったのである。この世界の仕事では信頼という言葉は書類があって初めて存在する。
簡単なものであれば一枚で事足りるが、このような傭兵仕事であれば二枚。雇用者と使用者がそれぞれ両者のサインが為されているものを持って初めて効果を為す。
というか、一枚だけだと故意になくしたり、燃やしたり、事故で損失した場合に困るからである。
だが今回、そもそもの書類が無い。だから好きな額もらえる報酬など、もらえる保証が無かったのだ。
絶句していると、アークバが懐から一枚の紙を出して、うらやましいだろうと言わんばかりの笑顔でヒラヒラと見せびらかしている。
それは言うまでも無く彼等『ウィザリィ』との契約書類であった。これが「実はお前たちの分で、ドッキリでした」なんて都合の良いものではない。
「それでも人間かっ……!」
跪き、床を叩きながら絶望する。命を張った見返りが無い現在、ジェルマン護衛の成功報酬の一ゴールドしか持ち合わせが無いのだ。
これ以上シャロンに建て替えてもらうというのも気が引ける。ならばどうするか。
そんな思考が疾走する。凄まじい速度で見えてきそうな答えが閃く前に、ノラが声を上げた。
「そ、それは酷いと思いますっ!」
「貴様のようなまだ幼き娘も金に固執するとは……、若者の精神は荒廃しているな……」
ふざけるように頭を抱えて脱力するレイド。ソレを見て、いい加減うんざりしたようにシャロンが立ち上がった。
そうするや否や、亜空間からナイフを取り出して素早く投擲すると、それは彼に直撃する直前に頭をずらす事によってよけられた。
すとんと音を鳴らして背もたれに突き刺さるナイフ。だが衛兵一人居ないそこでは、わざわざ彼女を制止にかかる者は居なかった。
そして彼女が言わんとすることを理解した上で、彼が言わんとする事を把握した上で、双方はにらみ合う。
「何故私がお前の攻撃を、コレだけの動作で避けたか分かるか?」レイドは見下すように吐いた。
「『お前の攻撃なぞ、魔法を使うまでもない』ってね。耳にたこが出来るほど聞かされたわよ」
奮い立つ胸を押さえるように一つ呼吸を置いて、
「君は本当に昔から変わらないよね。本ッ当に、憎たらしい」
「貴様も歳を重ねるごとに可愛げを捨てているぞ。これでまだ七百年も生きるのだというのだから、貴様の将来が恐ろしすぎて敵わん。いい加減人間界から引退しろよ外来種が」
最早誰にも止められない。
故に今日は話にならないと判断したアークバは逸早く、瞬間移動でその場を去って、次いでメノウ達も帰っていく。
じゃあねとウインクして合図するメノウを苦笑して見送ると、エンブリオは口喧嘩に留まらず直接戦闘に発展しそうな両者を見て、困り果てたようにハイドへと寄ってきた。
「いつになっても二人の仲の悪さは変わらないな」
彼は言って苦笑いする。エンブリオは彼等が三百年前、魔王を仕留めた勇者のパーティだった事を知っていて、ハイドも仲間なのだから当然知っているだろうという前提で話すのだが、
「……? いつになってもって、知り合いなんスか?」
「知らないのか?」
とのことで、ついでにノラも呼び寄せてエンブリオの簡単な話を聞いた。
その昔、十八という若さで大賢者の名を欲しいままにしていたレイドが勇者の仲間であったこと。
その昔、十九という若さで大陸に蔓延る有名な魔族を片っ端から仕留めていた女戦士シャロンが、勇者の仲間であったこと。
その昔から、二人は仲良く話していても途中で必ず意見の食い違いから喧嘩になることなど……、レイドによる修行の合間に愚痴を無理矢理聞かされていたエンブリオは簡単にソレを教えた。
「……レイドって今いくつよ」驚きを通り越したような、妙な偶然というより、最早こうなる運命だったのかと感じるハイドは半ば呆れて聞いてみた。
「今は二十八くらいだ。引継ぎを足すなら三百ちょいってところか」
「人間なのに?」にわかには信じられない。ノラはそう思って訪ねると、
「人間だからだろ」呆れるように息を吐いて、「強大な力が長生きしたいっていう強い欲に動かされて、それを実現させてんだ……、多分」
「やっぱ、人間っておっかねぇ」
そうしてまともな話はつかずに、夜は更けていった。