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16 ――増える敵と減る味方――

抜けるような青空に比べて、誰もが踏みしめる大地は酷く濁った朱色をしていた。


燃え盛る炎が消し炭にしたからというわけではなく、それは大部分が人間の血液によって塗りたくられた色であった。


淀んだ空気が支配するそこでは、にわかに時間が停止しているのではないかと錯覚するほどに、誰も動いていなかった。


東西に散っていた騎士らはある程度無事ではあるが、中央を攻めていた騎士達はほぼ全滅。


数人しか立つことを許されていないのか、ただ呆然と、彼等はその自身らと変わらぬ大きさの化けモノを眺めることしか出来ない。


「しっかりと絶望してくれたか? うん?」


紅い瞳を煌めかせる魔族、だがしかし、どうしたことか、その姿は未だ少年じみた風貌であった。


彼は身体が吹き飛んだ死体の足を頬張りながら、汚らしくグチャグチャと音を立てながらエンブリオ他三名へと歩み寄って行く。


東西に分かれた兵達は皆、どうすれば良いのか戸惑った後、一目散に後ろへと下がり始めていた。


「しっかりと力を出し切ってくれたか? うん?」


やがてソレはエンブリオの前へ。


生臭く――――そして計り知れない魔力は彼へと突き刺さる。滲み出るかのような殺気はエンブリオ以外の兵の足を役立たずにしていた。


「貴様……」


骨を噛み砕く音が目の前で鳴り響く。催す吐き気を必死に抑えていると、彼は不思議そうに相槌を打った。


「うん?」


「口がくせぇ――――」


不意に途切れる言葉は、その口を恐ろしいほどの握力で、本来ならば容易に握りつぶすことが出来る力で掴まれたからであり、


「まだ元気が有り余っているか? うん?」


一点に向けられる殺気はエンブリオの脳内活動を一瞬にして停止させたからでもある。


後ろで唯一その隊の中で生き残った騎士ら数人が、ガチャガチャと音を立てながら地面に崩れていく。だが一人だけは、それに屈せず魔族を睨み続ける男が居た。


それは彼の頭に、こんな絶望的な状況でも生き残るという考えがあるからであり、殺気や興味をエンブリオのみに向けられた事によって掛かる圧力が無くなり、余裕が出来た故に、彼は考える力を取り戻していた。


しかし動けない状況には変わりが無い。恐らく座り込んでしまった仲間達の命は無いだろう。庇ったら死に、逃げ出しても死ぬ。


だったら――――。


「返事をしろよ? 人間は、疑問文には答えてはいけないと学校で教えているのか? うん?」


腰から剣を抜こうとするタイミングに声が発される。


ビクリと肩が動き――――そのせいで、魔族に一瞥されてしまった。


興味を受けたのだ。少なからずとも視界に入れておくべきだと判断されたのだ。故に、どんな一挙動でも見逃されるはずも無く――――故に、身動きすらも出来なくなっていた。


「黙ってろ。口がくせぇって言ってんだよ」


それなのに、エンブリオはそれでも自身の、霞む威圧を消すことなく、歯を食いしばって言葉を返す。


それを機に、魔族は一瞬にしてその魔力を理解が追いつかぬ範疇にまで膨張させるのだが――――。


不意を突いたかのように、魔族の側頭部に矢が飛んできたかと思うと――――魔族がソレに対して手を伸ばそうとする距離に迫った途端、見えない力が反発したのか、魔族は突然矢の進行方向に弾き飛ばされた。


凄まじい勢いで横に飛び、地面に擦られ、巻き起こる砂煙に姿は消えていく。


エンブリオは未だ存在する自身の顎に驚きながらも、矢が飛んできた方向に眼を向けると――――驚くことに、それは弓兵団教官のウェールズではなく、勇者の仲間であるノラであった。


彼女は本来あるはずも無い高慢さをわざとらしく見せ付けるように、腰に手をあて、声を張り上げた。


「少し力があるからって、弱いものに威張るのはどうかと思いますけど?」


弱いもの代表は荒野に叫んだ。対して強いものは砂塵の中で咆哮をあげていた。


どちらが本来の意味で強いのか、それが分からぬ状況で、エンブリオは立てぬ仲間を担ぎ始める。ノラはソレを見て、彼等の元へ、そして、その前へと立ちはだかって、弓を構える。


「直ぐに戻ってくる」


「その頃には終わってるかも、です」


緊迫した声に、ノラは微笑むように返した。


血に濡れた大地は僅かにぬかるむ。剣士や拳士は踏み込みにくく戦い難いだろう。そのお陰で魔族は容易に吹き飛んだので――――この環境はノラに適していた。


最も、しっかりと距離を取れればの話ではあるが。


やがて彼等はそそくさと後陣へと退いていくのだが――――幸運に見舞われた男だけは、剣を構えたまま動こうとはしなかった。


「貴方は不要です」


風にそよぐ砂煙の中で影が蠢いた。


「俺は、アンタの連れに命を――――」救われた。必ずしも、直接的という意味ではないが。


だがそんな言葉は最後まで続くことが無く、彼女の体当たりによって宙に舞って消える。後ろに数歩下がってから見ると、胸には儚げな肢体の彼女。


そしてその腕は、痛々しく血に塗れていた。


「その力は、倭皇国か? うん?」


その短髪と同じ黒さの皮膚。指に濡れる血を舌で舐めながら魔族は不敵に笑んだ。


彼女は背中の筒から素早く一本の矢を抜き構え、穿ち放つ。


「走ってっ!」


同時に、痛いくらいに透き通るノラの叫び声が男に突き刺さった。


矢が魔族に到達する前に彼女は再び射る。接触せずとも吹き飛ばす魔力を込めるそれは、魔族に避けることすら許さず。


再び、確信を得るために矢を掴みに掛かる魔族が勢い吹き飛ばされていった。


追い討ちを掛けるようにまた一撃が、巻き起こる砂埃の中の魔族を貫く。地面が僅かに振動して――――男はようやく、そこで身体の自由を得た。


「走ってくださいっ!」


誰かを護って戦うことなど不利極まりない。逃げられる場面なら逃げてもらわなければならない。


自身が強くなりつつある状況下で、旅の中のハイドの思考がよく理解できた。


返事をする暇も無く駆け出す男、その一方で、魔族は早くも砂塵から飛び出すと――――同時に飛び込む一つの影が、再び魔族を弾き飛ばした。


「ノラちゃん、久しぶり」


砂塵から離れて近寄るのはロイ・アルセ。優しく声を掛けたのは懐かしいロイ・フォーンであった。


「フォーンさん……っ! 助かりましたっ!」


「ああ、だが……酷いな。総力戦で半数、それでさっきのでまた半分削られてる」


「はい。生き残ったのは、強い人と運が良かった人だけですから」


「――――兄貴。アイツ、なんなんだ。さっきの、鬼よりも硬い」


走って近づくアルセは呼吸を乱しながら告げる。煙の中でまた、魔族の動く気配がした。


「……鱗も無いし、角もない。デカくないから内側からやるってわけにも――――」


「なら、そろそろ私の出番かしら?」


そう言って誰もの注目を得て言葉を遮ったのは、魔導人形を持たぬメノウの声であった。

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