15 ――新登場――
作られた黒い穴。シャロンが作り出す亜空間にも似たそこから腕が飛び出してきたかと思うと、同時に何処からとも無く長大な斬撃がそこへ飛来する。
縦に一閃。細い溝を作るように地面を抉りながら飛ぶと、それは避けることもせず、また接近しているとも気づいていない腕、その手の中指から真っ直ぐ両断し始めた。
「――――ったく、一杯食わされた、というところか」
身体に乗る瓦礫とアオを剥いで立ち上がり、刀を杖代わりにようやく第一声を吐き捨てたソウジュはハイドを睨みながら言葉を続ける。
「お前は下がって、後ろのお守でもしていろ」
重く低い叫び声が穴の中から聞こえるが、外に出てこようという意欲は絶える事が無い。次第に広がるそこからは既に、両腕の肘部分までが露出してきている。
その奥、ペガサスに跨ったままの『何か』はそれら、つまりハイド達を眺めている。
所々、身体を圧迫する地面の破片が崩れ、また呻き声が聞こえ始めていた。仲間たちの覚醒が始まっているのだ。
だからこそ、ハイドは用済み――――というわけではなく、「ここは良いからお前は先に行け」と彼は言うのだ。ハイドは勿論、そんな台詞を聞いて素直に頷き、退くほど出来た勇者ではない。
「戦力的には俺が上だから、お前は要らない。アオと一緒に下がってろよ。あとロイとアンリも要らない。フォーンさんとイブソンとインテリ眼鏡も要らない」
――――少し離れた位置に寝転がる、恐らく気絶したフリをしているシャロンは必要である。なので口にしないのだが、それ故に視線を感じる気がした。
穴からは頭にねじれた角を鋭く生やし、下あごからは口が閉じられない程に伸びる牙を持つ凶悪そうな顔が飛び出ている。その名は鬼で、強靭すぎる肉体と一撃で大地を割る暴力が特徴的な存在である。
魔獣にも魔物にも、魔族にも分類されないソレは魔界の生き物が故。だからハイドをはじめとして、ソレを知る者は居ないはずなのだが……。
「この鬼神は俺とシャロンさんで相手するから」
断言すると背中に石が投げられた。「痛いじゃないか」そう言いながら振り返ると、素早く立ち上がっていたシャロンは鉄仮面と鎧を脱いで亜空間に放り込んでいる最中であった。
「君は、あの魔族を知らないのかい?」
オーガは既に上半身を露にし、何処と無く芸術的に見える光景を作り出している。どこか一方では、女性の悲鳴が辺りの空気を振動させていた。
「いや、誰だよお前、って感じ」
「アレはその昔、魔王の側近だった『ハイメイ』って魔族でね」
「なんで側近が生きてるんですか。魔王殺されてんのに」
「仕方なかったのよ。気がついたら逃げてるんだもの」
彼女は昔を思い出すように溜息をつく。ハイドはソウジュの罵声を受け流しながら、何やら経験してきた事のように言うシャロンに疑問を抱く。
だがソレを口にする前に、シャロンは言葉を続けた。
「つまり、凄く強いって事」
彼女がそう言う事は非常に珍しい。シャロンが初めて相手の強さを脅威だと感じている台詞を聞いたハイドは、「それなりに強いだろう」と心に深く刻んだ。
「能力は? 攻撃無効化とかそんなんじゃなければ大丈夫でしょ」
「いわゆる洗脳って奴。それも拡大解釈が酷いから、地面でも何でも、意のままに操れるって言う」
「能力って解釈次第で強くなるの?」炎なら炎、それだけの事だと思っていたハイドには驚きを隠せない事実である。
だからシャロンは、極力分かりやすく、だが無駄に恐怖を与えない形でそう口にする。
「少なくとも自分の中のイメージを出すんだから、自分の想像を加えることが出来るわね。勿論、本質に添ったモノだけだけど」
しかしやはり、知らない事実というものは恐ろしいものである。
例えば、嘘を口にするだけならば、直ぐに分かる。実際にその能力を見ればよいのだから。
だがしかし、その能力の上辺の部分しか見ずにそれが全てだと判断するとどうなるだろうか。それは勿論、死に繋がる。
浅はかな考えが、その時点で作り出されるのだ。そして最後、必ず敵の息の根を止めるには攻撃をしなければならない。その時こそが、最も隙が出やすいところである。
そこを狙われたら非常に痛い。痛みを感じる暇も無いだろうが。
――――鈍い振動が身体を揺らす。振り返ってみると、オーガが立派に直立していた。
その大きさは魔導人形の半分ほど。そう言えば小さく感じるものであるが、ハイド三人分と言えば大きいと感じるしかないだろう。
「なんと言う縞パン。俺は場違いな胸の高鳴りを抑えられない。コレは間違いなく即死するッ!」
黒い肌には黄色と黒のストライプ模様の、パンツとは言いがたい布の切れ端は、異常なほどに目立っていた。無論、ハイドの胸の高鳴りはそんなセクシーさに興奮するなどと言ったことではなく、死を目の当たりにする恐怖であった。
「シャロンさんの無駄話が長いんですよッ!」
それこそお門違いだと言わんばかりのハイドの罵倒が始まるが、シャロンはソレに言い返す余裕が無いように、オーガへと駆け出していた。
「竜流斧ッ!」
離れた位置から、ソウジュは太刀を力いっぱい振り下ろす。叫び声に反応するように、出来上がった切っ先の残像はそのままオーガへと飛来――――するも、肌に触れた瞬間、ソレは優しく掛けた水がはじけたように消えていった。
「この間抜け! 火力不足だから下がってろって言ったんだよ!」
確かな実力を世に立てる一人の傭兵と、その付いてきた実力と雑魚らしい言動のせいで、強いか弱いかの判別の付かぬ勇者はやがてオーガと対峙する位置までやってきた。
しかしハイドは、自身の武器が鞘しか無いことに気づいてついでに下がろうとするのだが、
「はいコレ」
シャロンに等身大程の大きさの鎌を手渡されてしまったので、ハイドは下がれなくなってしまった。
「剣と鎌では違うし、鎌なんて使ったこと無いんだよ」
「じゃ、素手?」
いやそれも嫌だけども。そう返そうとするのだが――――咆哮の一つが全ての音を掻き消した。
絶叫にも悲鳴にも似るそれは大気を激しく振るわせる。頭上から降り注ぐ、圧し掛かるようなソレは、同時に拳を落下させていた。
それは、ハイドの頭の上へと。
武器で一度受けてから軌道を反らして避けるか? しかし鎌という扱い難い武器では不可能だろう。
跳んで避けるか? しかし時間が足りない。衝撃波で巻き込まれて第二撃で沈黙確定だ。
シャロンは既に逃げていた。ここぞという時で、今回ばかりは頼りない彼女である。
ならば――――思考が次なる可能性を見出す瞬間、ハイドの目の前に巨大な影が飛び込んできて、同時に拳は頭の上で動きを止めた、
振り上げられた、鉄板を溶接しただけに見える大剣は尋常でない腕力に支えられ、さらに拳はその上で止まっているのをハイドが理解すると、直後に彼――アルセ――の叫び声が響いた。
「兄貴ィッ!」
立ちはだかるアルセの奥に、気がつくとあった陰が蠢いて、それに応じて返事をする。それらの肩が、まるで鏡に映すような息合いで上がると――――筋肉が唸るように服を盛り上げて、身体と一体化しているように見える大剣は力強く振り上げられた。
強く弾かれた拳は宙へと舞い上がり、フォーンとアルセの二人は一緒に駆け出した。
元より一対であったかと思われるほど息の合った行動。一組であったと錯覚する二本の大剣は陽光に一度大きく煌めいてから、その腹に叩きつけられた。
飛び上がり、胴に二つの衝撃を同時に受けたオーガは一気に押され、瞬く間に穴を背にする。それでもオーガは、未だ立ち直れなかった。
「アルセェッ!」
「わかってるッ!」
呼びかけて、二人はオーガの足元から高く飛びあがる。凄まじい速度で迫る彼等に拳を振るおうとするが、ほぼ零距離である二人に攻撃を当てるほどの器用さを持ち合わせてなどはいなかった。
故に――――大剣がそれぞれ、頭に生える角を根元から叩き居ることは然程難しいことではなかった。
おまけとばかりに二人はその顔面を蹴り飛ばし、ただでさえ揺らいでいた体を後方に押すと、それは頭から穴へと落ちていく。
絶叫は、ドップラー効果を見事に見せながら、やがて穴の中へと消えて行く。
残るのはねじれた角と――――穴。そして一体のペガサスと、それに乗る『ハイメイ』であった。
だが、彼等がそうしてハイメイへと視線を向けると――――既にシャロンが居て、彼女はその魔族の腕を両断したところであった。
「見捨てるなんて酷いよ」と、叫ぼうとする自分の心は自然と、それだけで抑えられる。ハイドは感じながら、ロイ兄弟に指示を下した。
「悪いけど、兵隊のところに行っててくれないか。嫌な予感が凄いする」
「……わかった」
少し迷う素振りを見せるアルセを見て、フォーンは先に頷いてその場を後にする。そんな兄を見て、彼は「頑張れよ」とだけハイドに残し、フォーンの後を追っていった。
「治療が必要な奴は治療しておけ。それで、無傷な奴は俺と来い」
ペガサスが羽ばたいて、空へと舞い上がる。ハイメイは腕を掴んでソレらを見下ろし、シャロンはじっと魔族を睨むのみ。
過ぎ去ったかと思われた脅威は――――さらに増して、彼等に襲い掛かろうとしていた。