10 ――開戦快勝――
騎士達が隊列を組んで前進し始める頃、魔物の群もようやく肉眼で個々が捉えられるほどに近づいていた。
激しい足音が重なって肥大化する。それに比べて鎧の擦れる音はどことなく頼りなく聞こえた。
「それじゃジャン君、私は魔導人形を動かすから先に行ってて」
ゴーレムの頭に乗ってメノウはそう告げる。拠点である魔法陣内には既に彼女とハイドと、アークバしか居なかった。
「アークバさんは戦わないんですか」
「護ってくれるのなら存分にでも戦うが?」
こんな大軍相手に誰かを護って戦うことなど到底出来るわけもない。彼は判ってて言うのでハイドは小さい溜息で返してみせた。
彼が戦えば戦闘はかなり楽になるはずであろう。しかし大賢者とは大抵、研究や対個人にのみ秀でているのでこのような大掛かりな戦いの場で見ることは非情に稀である。
ここに居るだけで珍しいので、まぁそれでいいだろうと、ハイドは次いで頷くと、
「それじゃ、生きてたらまた逢いましょう」
高く飛びあがって――――彼は視線の先に瞬間移動した。
そこは兵士たちの最前線ではなく、魔物たちの最前線であった。
激しい地鳴りは途絶えることなく、更にソレを大きくしていく。目の前には黒い――――サソリ。人よりも巨大であり、そのはさみ等は簡単に人間を両断してしまいそうな大きさで、鋭そうでもあった。
それが全面に広がり隊を成す。さらに上空には飛龍。蛇のように長い龍や、トカゲが翼を持ったようなドラゴン。ドレもコレも規格外な大きさであったのだが……。
「圧縮集中・雷槌ッ!」
飛び散らぬように圧縮し、砲筒のように頭上から振り下ろす雷槌の名を現わす圧縮式と、一点集中し電撃を弾丸のように濃縮する一点集中式を足した技。縦に落ちるはずの槌は横に突き出るのだ。
それはハイドの眼前で巨大な魔法陣を作り出して、やがて、その電撃は彼が以前放った『火炎竜の吐息』のように――――電気の砲がそのまま魔物の群に襲来した。
炎などとは比べるまでもない速度。眩い光は明るい空をさらに照らし、震える大気はその温度を瞬く間に跳ね上げる。
地面を溶かし、やがて最前線に直撃。ただでさえ空気の唸るやかましい音は派手な炸裂音を奏で始めた。
魔物の甲高い悲鳴も全てそれにかき消され、巨大なサソリや、ゴリラ型の魔物、トラ型など全てそれに飲み込まれていく。
大軍の真ん中に――――驚異的としかいいようがない穴が開く。隊を貫通した雷槌はそれだけでは留まらず、連動するように隣接していた魔物たちの命も奪っていった。
電気はまだ奔る。
威力は失せていくがそれでも衝撃を喰らう魔物はやがて陸戦の隊すべてに伝わっていた。
雷槌はようやく終える。強い衝撃を受けることはおろか、風すらも無い状況に居られるのはやはり、魔法陣のおかげであった。
一瞬にして怯まされ、足が止まる。魔物の悲鳴がようやく耳に届き始める頃だった。
距離はそう近くは無いので退くべきなのだが、ハイドは迫ってくる上空の魔物たちへと視線を向けて、また瞬間移動をする。元より――――退くつもりなど無かったのだ。
背中の方向でどよめきが生まれた。歓声も混じっているらしい声の質である。
それが妙に嬉しく、ハイドは心の中が暖かくなっていくのを感じてからまた大きく息を吸い込んで、
「全弾解放……ッ! 活火山ォォッ!」
少しばかり高い位置からそれらを見下ろすハイドは、風を感じるように両手を広げていた。
身体の周りに、人の頭ほどある炎の弾丸が続々と精製されて行く。不思議と熱くは感じないそれが視野に入り込み始めた頃、ハイドはその両手を勢いよく前に振る。
身体の前で腕が交差した。激しく指揮するように動かした手に応じるかのような火焔は威嚇するように唸ってから、魔物の群に降り注いだ。
既に空を飛ぶ魔物の群はハイドに気づき、彼に注視している。そして騎士達からハイドへと方向を変える中でそれが襲い掛かった。
死角から背中を強打され大きくバランスを崩す龍。横を見ていて顔面に直撃し、情けなく地面に吸い込まれ、激しく叩きつけられてから動かなくなるドラゴン。
中には巨大な昆虫も居たが、それも炎に羽を焼き尽くされたり、その身を焦がしたりして瞬く間に消えて行く。
見下ろす位置から見上げる姿勢へと移り変わる落下中。上空の魔物の群は早くも三分の一が脱落していた。
後ろのどよめきはいつしか歓声一色になっている。まだ開戦して数分も経っていないのにこれほど大打撃を与えられたのだからそれもまた仕方が無いだろう。
しかし上空では生き残った龍達が、大地では生き残ったサソリ達がハイドを狙っていた。さっさと瞬間移動で逃げなければ、そう思っていた矢先に――――刹那にして飛来する何かはハイドの腹を貫いていた。
気がつかぬほど鈍感。垣間見える勝利の余韻は皮算用であることには違いないのだが、誉められたので油断していたのだ。
黒い影はその腕をハイドの腹に貫通させたまま、人間と魔物を挟む地面へと。やがて自分ごと大地へと叩きつけ――――地面に巨大な穴が開く。
凄まじい衝撃が地面を襲った。瞬く間に上がる土煙は簡易眼くらましの機能を十分に発揮している。
――――痛みなど感じる余裕が無かった。悲鳴を出せる余地が見出せなかった。腕の関節部分が腹に食い込む感覚だけは妙に現実的であり、言う事の聞かない体は自ら地面に叩かれにいくように弾むので、それが何処と無く滑稽に見える。そんな冷静さだけが嫌になるほどあった。
自らの失態。折角築き上げた士気がたった一秒にも満たぬ時間で蹴散らされた無念。自分を責める余力もないが、無いものだらけの中で一つだけあるものがあった。
それは肉体的な力と、奮い起こされた精神である。不甲斐ない自分に対する怒りは、脳による強制変換で全て魔物に向けられた。
だから――――ハイドは腹から出ようとする腕の動きに逆らった。
力の全てを腹に集中する。締まる腹筋は、ただそれだけで、名も顔すらも分からぬ魔族の腕を止めていた。
近くにあるであろう頭に、思い切り起き上がるようにして素早く頭突き。要領は先ほどメノウが後頭部にしてくれたもののように。
果たしてハイドの闘魂一発は魔族の頭に直撃し、それは大きく反り返る。唸る声が聞こえる中で、ついでにハイドも身体を引っ張られ、身体が浮き上がった。
ソレを利用して、腰から抜刀。流れる白刃は相手の顔も首も位置が分からぬ癖してしっかりと手ごたえを見せた。
肉と骨の抵抗。上げる時間も無い咆哮は結局、地面に叩きつけられるようにして落ちた頭の音に終わった。
一瞬にして両断された首から吹き出る血液をシャワーのように浴びて、ハイドは腹に刺さったままの腕を抜き身体を蹴飛ばして、すかさず回復魔法を掛ける。
大きな傷は喰らった。だがしかし、体力的な問題は無い。傷も、痛みを感じる間も無く塞がり始めていた。魔力は、先制攻撃で半分ほど使ってしまったのだが。
土煙から脱出する頃には騎士たちはようやくハイドの近くまで迫っていた。無論、魔物たちも距離を縮めている。煙の向こうの、足音と気配がそうに教えてくれていたのだ。
「勝てるぞ!」「ああ、行けるんだ!」「よっしゃあ!」
しかしそんな状況で、希望に満ちた叫びは彼等を励ましている。ハイドはその先頭に立つ、全身鎧を纏うシャロンと、ロイやアンリ、そしてソウジュたちウィザリィ組の前方に合流して、背を向けた。
「おたおたしてんなよ? 手前らがやんねーのなら、俺が全部片付けちまうぞ!」
啖呵を切る直後に見てしまった空の向こう。襲い掛かる龍たちの奥に見える人型の大群を見てしまっては、その言葉は直ぐに引っ込んでしまった。
「それじゃ、全部片付けてもらおうかな」
冗談に言うシャロンの声は鎧に籠っているせいか、全く持って冗談には聞こえない。
「ろ、ロイ、手を出せ、手だ」
剣を降ろして振り返り、肩と膝と胸あてしかしていないロイに声を上げると、彼はぎこちないながらも「なんだよ」としっかりそれに応じてくれる。
だからハイドは、その手に力強くタッチして、
「俺のターンは終了だ」
立ち位置を変える。ロイはやめてくれと言わんばかりに抵抗するが、しかしやはり、先頭というものに憧れていたのか、直ぐにハイドの居た位置に立って背筋を反らせた。
アンリもまた、彼の横に急ぐ。その中で、
「相変わらずだね。ハイド君は」
聞き覚えのある声が、不意に横に並ぶ男から発せられる。しかしハイドは驚かない。先ほど姿を見たので。
「ま、実力は全然違いますけどね」
「僕より強くなったって?」
「この中で一番強いんじゃないですか? 俺は」
だがしかし、そんな冗談ともつかぬ話は早急に終えた。
やがて騎士達は、魔物との戦闘を開始して――――ハイドたちはその奥の、魔族達との戦闘を繰り広げることとなった。