9 ――開戦間近――
時刻は未だ深夜という状況。魔族に言われた一週間後の時はやってきた。
城からかなり離れた位置に、彼等『帝国兵』は北へと進んでいる。
目的地はアークバが作った巨大魔法陣。流石に瞬間移動では効果範囲が外れすぎているので一時的に『扉』を作るのだ。
遠く離れた地にそれぞれ同じ魔法陣を描き、大量の魔力を注ぐことによりそれは開くのだ。成功すれば、たとえ端と端の大陸同士でも行き来は可能となる。
今回はソレの簡易版で、一方通行の入り口と出口を作るだけなのだ。
「十二時の方向、ここより百キロ以上離れた位置に魔物の大軍を発見いたしました。近くの町や国は素通りされています」
どうやってソレを図ったかは分からぬが、そう伝える兵はそれが確かだと騎士団総指揮官に敬礼をしながら伝えた。
エンブリオはご苦労と、ただ一言のねぎらいの言葉を掛けて、空を見上げる。満天の星空。数時間後には血と煙に塗れて汚れていそうなソレを見上げて、一つ息を吐いた。
幾度か、魔物の軍が襲来してそれに相対したことはある。このように、こちらも軍を作って。だがしかし、これほど大掛かりなモノは今回が初めてである。
良くも悪くも、これが一度きりが良い。そう思うエンブリオだが、結局来てしまった魔物らには溜息しか出なかった。
騎士全団、弓兵隊だけを連れた総数約二百名が隊を作って前進している。許されたのか、四から七までの騎士団隊長らもソレに参加していた。
「結局皇帝殿はお留守番かよ」
兵隊から離れた後方。しんがりを一人で勤めるハイドは寂しく呟いて地面を見下ろした。明るい月光が辺りを照らし、闇の中に更に自身の影を作る。
光源があるので当然のことなのだが、今夜に限ってはそんな現実が妙に幻想的に見えたりするのは、恐らく、緊張しているからなのだろう。
戦闘に入れば前線の兵たちは二人一組での行動を原則とする。一人で倒せない相手が出た場合のことを考えてである。実力の見合った二人。訓練などで常にペアにされている者同士である。
隊長は副隊長と。しかし実力が大きすぎる為、人数不足の事も考えて第一、第二は副隊長が不在である。故にロイとアンリがペアになるということであった。
仲が良いのは恐らくこのためだろう。ハイドは前方の、弓兵団の背を見ながら頷いた。
――――これほど大掛かりな戦闘を行う場合、仲間の士気を上げるために必ず初手に回り先制攻撃を打ち込まなければならない。
魔法という、肉体ではどうにもならない現象を起こせる不思議な力があるこの世界では主にソレが使われる。
威力が強大で巨大。さらに防ぎようが無いことが主な理由として上げられる。そして今回、魔弾式の大砲が輸入されてくるであろうが、先制攻撃は誰がなんと言おうと自身が行おうとハイドは考えていた。
幹部には気に入られたが、それ以下の兵隊達には依然と嫌われっぱなしである現在。そんな嫌な奴が、噂以上に出来る奴だったらどうなるだろうか。
アイツが出来るんだから俺も出来ると奮い立つはずだ。根拠の無い自信は経験を重ねることにより現実味を帯びる。それが彼の考えであり、特別な血も力も無い彼等を気持ちだけでも強くするにはソレしか方法が無かった。
――――それから一時間と立たずに一行は目的地へと到着したのだが……。
月明かりに光る、見上げるほど大きい、人型の兵器がそこにあった。首から腕へ、螺旋を描くかのように装備されるベルトは石。身体は鉄鋼で出来ているらしく、その瞳は巨大な紅石であった。
それを見てどよめき、また巨大な魔法陣から出てくる人間らにまたどよめく兵たち。
魔術師の町『ウィザリィ』から呼び出された彼等は、 鉱山都市レギロスの北にある、巨大な魔道式人造人形を中心に『入り口』を作ってやってきたのだ。
そこを拠点にするようで、彼等はそこで武器などの整備を始めた。ゴーレムがある以上動けないので仕方が無いことだが、こんな所で魔物を迎え撃ってよいのかと考える。少しばかり城に近いのではないか、と思うのだ。
「いや、でも冷静に考えるとそうでもない、かな」
空は未だ綺麗な星空。しかし城を出たのは空の端に紅さが残っている時間帯であった。故に――――帰りはかなり大変である。
後を考えろよ……。うな垂れるハイドであるが、それに近づく一つの影があることには気づいていない。
「ジャ~ン君っ!」
何やら嬉しそうな声が飛ぶ。同時に背中から何かに抱き疲れるような感触がして大きく振り払おうとするが、その背中に当たる、妙に柔らかいソレや心地の良い香りにハイドは抵抗しようとすることをやめて、
「ああ、メノウさんも来たんでスか。お久しぶりです」
「ツレないじゃない」彼女はふくれるように返すも、直ぐに堪え切れなくなったのかクスクスと笑いに揺れる身体の振動を伝えてきた。
「久しぶり、な気もするけどまだ一ヶ月くらいしか経ってないのよ?」
「俺にとっては半年に感じる長い時間でした」
アレからショウメイと戦闘し、倒したかと思いきやテンメイが出てきて。また退けたら、今度は魔族化だ。それからノラが金持ちに攫われたり、金持ちの奴隷に道を邪魔されたり、また魔族と死闘をかましたり――――濃厚な月日だったと、一言で片付けるには勿体無い内容が盛りだくさんである。
彼女なら、優しく聞いてくれるだろう。だからハイドは抱きつかれる体勢のまま一言続けた。
「もしこの戦争が終わったら、俺の話を――――」
「ていっ!」
そんな声と共に後頭部に走る鈍い衝撃は鋭く景色を歪ませた。身体のバランスは大きく崩れ、跪くハイドからは気がつくとメノウは離れていて、そんな彼の前に立ち、なんでもないように手を差し伸ばす。
しかし彼を跪かせるまでに到る衝撃を与えたのは何がどうあっても彼女なのだ。
「な、なにを……」意外すぎるほどの衝撃だが、彼女も頭を抑えている辺り痛み分けだろう。手を掴んで立ち上がりながらハイドは聞くと、
「それは言ったらジャン君死んじゃうから」
「一言言ったくらいで死ねるなら苦労してません」
匂わせるようなことは彼女の街の地下牢獄で腐るほど吐いてきたのだ。ここでソレを言って死んだら恐らく、それは言葉のせいではなく実力のせいだろう。
「――――ねぇジャック。この戦争が終わったら私、美味しいサラダを……」
「あぁ。だから、ミル。お前絶対に……」
等という台詞も聞こえてくるのは、仕方の無いことだろう。最も、聞こえるのはミルとジャックのペアのみだけだが。
メノウとそんな事を話していると、見知った顔が続々と話しかけてきた。
「よお! 元気してた?」
軽く話しかけるのは、短い金髪で鋭い目つきが特徴的な『イブソン』である。その隣に居るのは眼鏡を掛けた背の高い男――ラウド――であった。
ハイドは名までは知らぬが、一番最初、脱獄し一杯食わせた経験がある。最も、ハイドの記憶からはすっぽり抜けているので、あたかも初対面のように挨拶をするのだが――――その顔面に鋭い拳が降り注いだ。
「これでおあいこだな」
一方的に告げて背を向ける。俺が何をしたんだと垂れる鼻血を拭きながら呟くと、イブソンは簡単に説明した。
「お前のことが嫌いなんだって」
以前は敵同士だった二人は一ヶ月で随分と距離を詰めたのだが、イブソンの国語力は致命的なものである。そんな事を唐突に言われてもハイドに心当たりは無い以上、なぜ突然嫌われたのかが分からないので困ってしまう。
そんなハイドにまた一人、見知った人物がやってきた。
「死んだと思ったんだがな。生きていたか勇者」
禿げ上がった頭のアークバである。彼は久しぶりに会ったというのに相変わらずそんな憎まれ口を利き、またハイドに非難を貰った。
「もう上下関係とかないからな。別にお前の下に付いてるわけじゃねーし。大賢者がなんだってんだ。俺でもなれるわバーカ」
「ほう、そんな口を利いても良いのか?」
「ああ? 話聞いてた? だからもうお前ン所に居ないから関係ないって言ってるじゃん。馬鹿なの?」
溜めに溜めていたストレスを吐き出そうと急加速を向かえる口先は、だがしかし、彼の胸元から出されたたった一枚の紙切れによって急停止する羽目となる。
それは――――彼が組織に入った際に書かされた契約書であった。
同時に思い出す。雇用期間は確か――――無期限であったことに。
この世界では口約束がほぼ無効となる為に、どれほど悪質な内容であれ、サインさえしてしまえば契約書が最も重要となってしまう。
だからこそ、恐怖で口や膝がガクガクと震えてくるのだ。だからこそ――――先ほどの言葉を、数分前に戻って自分を殴る事によって止めたいと強く思っていた。
「そんな口を、利いても良いのか?」
えげつない。メノウとイブソンはその光景を見ながら思った。
しかしハイドにはそう思う余裕も考える余地すらない。だから喉の奥から漏れ出るのは「ごめんなさい」という謝罪の言葉だけであった。
――――本当にこんな奴が上司なのか。ソウジュはそれを遠目から眺めてまた溜息をついていた。
「ああ。これが一番鋭い剣。これが炎の力を宿してる斧。それから……」
街の近くが出発点と言う事で、荷物運びと説明の為に連れてこられたロイ・フォーンは渡された報酬どおりの仕事をこなしていた。
「頼んでおいた槍は?」
「ああ、風の。それは……はい。コレだ」
馬車の奥から引っ張り出し、包まれた布を引き剥がしながら手渡すと「ありがとう」と感謝の声。
そんな言葉に、とても戦場とは思えない心地よさを感じていた。確かハイドもここに来ているという話だ。一段落したら挨拶に行こう。そう考えていると、
「あ、兄貴……」
懐かしき声が前の暗がりから発せられた。何だと、そこに眼を凝らすと……。
「……アルセ。元気だったかい?」
聞き覚えのある音声はやがて記憶より少しばかり成長した少年から聞こえてきた。だからフォーンは直ぐにそう返してやると、アルセと呼ばれた少年――ロイ・アルセ――はやがてしっかりと肉眼で姿を捉えることが出来る距離まで迫った。
「兄貴、なんでここに?」
「なんでって言われても……仕事だから。お前と同じさ」
にっと笑うフォーンに隔てた時間的距離など忘れてしまったように、アルセも釣られて笑う。
アルセが鉱山都市一番の鍛冶屋を後にしたのは二年ほど前のことである。特に何が嫌だったと言う事は無いのだが、彼には騎士になるという夢があった。
鍛冶屋で鍛えた肉体が功を奏して現状へと到るのだが、二人はそんなことなど忘れたように話を始める。
そんな彼等を後ろから見守る少女、アンリは優しい微笑を浮かべてそれらを見守っていた。
これから誰かが死に、誰かが生き残るのかさえも分からぬ戦争が始まると言う事も匂わせないその場所は賑やかで――――やがて東の空に明るみが現れた。
やがてそれが空全方位へと広がる中で――――北の一部分だけが、異様な闇に包まれていた。
大地も同じような影。それは蠢き――――人間と魔物の大戦が今、幕を開けようとしていた。