7 ――作戦準備――
「それでは二日ばかり国を留守にする……エンブリオ。私に付いて来い」
話は直ぐにまとまった。その場に居る全員は既に魔物の大群が攻めてくることを信じて止まず、そうして作戦は準備段階へと進行する。
レイドはエンブリオと並び図書施設を後にする。彼が言うにはこれから瞬間移動で宗教国家へと飛んで、ハイドが言った国の長と交渉しに行くらしい。
面識が在ると言って出て行ったのだが、ハイドは果たして自分が口にしたものとレイドが思い描いたものは合致しているのかと不安になってきた。
しかしレイドは小耳に、近々、『大賢者称号授与式』があると挟んでいたらしい。ハイドもまたソウジュ達がそんな事をほのめかせるような事を言っていたのを思い出したので、恐らくは間違っていないだろう。そう思いたかった。
「んじゃ俺も帰るかな……、ウェールズさんたちはどうします?」
椅子を引いて伸びをしながらハイドは立ち上がり、大きく脱力し腹の底から息を吐くとそう問いかけた。ウェールズは少しばかり考えるように眉間に皺を寄せてから、そうだなと、ハイドを見上げて口を開く。
「どうせ図書施設に来たんだから、魔物に対するあらゆる情報を少しかじって行く。ま、アンリエルもまだ起きそうにないから……」
呆れたというように隣を見るウェールズに促されて視線を流すと、そこにはだらしなく机に涎をたらして夢を見るアンリエルが居た。ハイドも倣うようにやれやれと肩をすくめ、それじゃと、軽く手を上げてからジェルマンへと歩み寄った。
ハイドの逆隣のロイは彼の様子を伺っていて、その隣の女騎士はまた、ロイの動きを見ていた。
お似合いだなと、心の中で呟いて、
「ビッツ公爵……いや、ここでは騎士ビッツですか。まぁなんでもいいけど」
「だから面倒じゃないようにジェルマンで結構だと言っているのに……」
「じゃあビッツさん。俺これから訓練には参加しませんから、そのおつもりで」
ハイドに応ずるように立ち上がり、そうしてうな垂れるジェルマンにそう言うと、彼は何故だと言わんばかりにハイドを見た。
だからハイドは、それを口に出される前に素早く言葉を続ける。
「いやだって、一言で言うと無駄じゃないですか。一週間じゃ兵は育たないし、あの訓練じゃそもそも俺に役不足だし」
「それを自分で言える辺り、いつものハイド君ですね」
「ええ――――それと、聞きたいことが在るのですが……」
なんですか? そう笑顔になるジェルマンに、ハイドは少しばかり困った顔をして、彼の耳元でソレを囁いた。
「エンブリオさんと仲が良い見たいですが、そっち関係のお友達ですか?」
「はっふ」
そんな妙な、初めて聞く驚きが耳に届いて「ちょ、ま、待ってください……」
珍しくジェルマンは動揺を隠せないようにうろたえる。ついでに後退して、ハイドは再び対面する。その顔はとても驚愕に満ちていて――――とても『白』だとは言いがたい雰囲気であった。
ハイドも負けじと退くと、掠れるような「待ってください」が足を止める。そうしてから、着席を促された。
仕方なくエンブリオの座っていた席へと腰掛けると、すかさず、ジェルマンは掠れる小声で言葉を紡ぐ。
「君は、彼と……?」
「先日襲われたので返り討ちにしたんですがね」
さらりと告げると、苦悩が頭痛へと移り変わったのだろうか、ジェルマンは頭を抱えてしまう。
「彼は一応、同類にしか手を出さないはずだったんですが……」
「俺は同類に見られてしまったと」
なんて事だろうかと思うと直ぐに、ジェルマンは首肯する。しかしそれ以降手を出すどころか話も掛けないのはジェルマンが言う通りなのだろう。
否、ただ気まずく、虎視眈々とチャンスを狙っているだけかもしれない。ハイドは国の行く末よりも自身の尻が心配になってきた。
「それと、勘違いして欲しくないのですが、私と彼は長年連れ添ってきた同僚というだけです。その様なことは一切……」
「分かってますよ。もしそうなら、娘さんなんか居ませんもんね」
「はい」
彼は力強く頷いた。ハイドもソレに少し安心して、それではと席を立つ。同時に、ロイも重い腰を上げていた。
「話がある。少し付き合ってくれ」
言われてから、ハイドは円卓を眺める。ウェールズは既に本棚の隙間に入り込んでいてそこには居らず、アンリエルは地道に涎の範囲を広げている。
ただそれだけの――――まさかつい先ほどまで作戦会議が行われていたとは思えない光景に息をつく。
それからまたジェルマンに眼を向けて、「失礼します」と会釈すると、ジェルマンは「ごゆっくり」と返す。ソレに少しばかり苦笑して、ハイドは退室した。
「俺は話が無い。付いてくんな」
大きい足音をわざと鳴らしながら自室へと向かう中、そんな彼についてくるロイと、なぜか後を追う女騎士の姿があった。
「今までの謝罪と、アンタの意見が聞きたいんだ」
「謝罪なんてもんはどうでもいいし、意見ならさっき散々言わされた。お前は何を聞いてたんだ」
主にこれから起こるであろう推測を全ての角度から、どのような状況があるのか等全てを吐かされたのだ。ハイドの口の中は最早カラカラの砂漠化が進行してしまっている。
「お願いだ、アンタみたいな立派な人は始めて見たんだよ。しかも、同年代で……ホントに、凄いと思ってる」
「あー、はいはい、ありがとね……っと」
振り向かずに適当に返す中で、ハイドは早くも自室の前に到着する。撒くはずであった目標をしっかりとつれてきたまま。
故に、そんな状況が自室のドアノブに手を伸ばしたままハイドを硬直させる原因となっているのだが、彼等には知るよしもない。
「へえ、ここがアンタの部屋か」等と扉に貼り付けてある番号プレートを網膜に焼き付けながら呟くロイの台詞などは、悪魔の「もう逃がさないぜ」なんて言う言葉に聞こえて仕方が無かった。
「……、あっ魔族だ!」
――――自称策士ハイドは誰かが何をするかなんて思惟する間も無く行動を起こす。
叫び声は大音量でロイらの鼓膜を嫌というほど激しく揺るがし、ハイドはその隙を見て扉を開ける。同時に彼等は「魔族だ」という嘘の情報に惑わされて後ろを向いている内にハイドは驚くほど順調に部屋の中に逃げ込める。
はずであった。
「そんな兵を惑わすようなことを言うなよ」
彼はハイドの大声などものともせずに、ドアノブを捻るハイドの肩をがっしりと掴んでいた。なぜか女騎士は、物騒にも剣を抜いてその切っ先をハイドの首筋に突きつけている。
もうダメだ。そう判断するしかない状況で、ハイドは妥協したのだが――――。
「百歩譲ってロイ、お前は分かる。だがな、アンタ。お前はなんでここに居るんだ」
結局彼等を部屋の中に招き入れたハイドだったのだが、ベッドの腰掛けて出るのは文句しかなかった。
指を指し指摘するが、女騎士はわざとらしくそっぽを向いている。どうやら本格的な人らしい。
「アンリはまだアンタを疑ってる、っていうか、認めてない。だから呼んだ」
「お前……、俺にしてもそのアンリさんにしても迷惑なだけだろう」
「なっ、貴様……。ロイの親切にケチを付けるのか! 貴様のような腐った男に少しでも友好関係を作ろうとしているのに!」
そう叫ぶ女騎士をなだめるロイ。非常に仲が良いと見えるが、まさかコレを見せ付けに来たわけではなかろうか。
どちらにしろもう帰って欲しい。ハイドはベッドに寝転がりながら強く願っていた……のだが。
不意に、ハイドの股間に緊張が集中したと思われると、その次の瞬間――――金属的な固さを持つ筒のような何かが絶対的な破壊的威力を誇る速度で飛来し、直撃する。
「人が話しているのに寝るなッ!」
言い知れない激痛が、どうにもならない鈍痛が股間から下腹部にまで迫り上がる。同時に吐き気を催し、息が詰まった。
脳裏に死の一文字が浮かぶ。途端に視界が暗くなり始めてきたのを感じて、ハイドはその曖昧な絶望を明確な形としてみていた。
「良いだろう……その行為、挑戦と――――」
ハイドは起き上がり様に叫んでアンリを捉え、さらに掌に全身から魔力を集中するのだが――――いきなり身体を起こすのがいけなかった。
痛みが不意に膨張したのだ。叫びによってソレは更に倍化する。そんな動作に反応できない身体は鈍感に、されど鋭く痛みを増して、それに耐え切れなくなった精神は強制的に身体と意識を離してしまう。
つまり起き上がるなり叫んだハイドは突如として再びベッドに沈んでいったのだ。
さらに攻撃を続けようとするアンリをロイは必死に止めて、申し訳ないと、心の底から謝罪してその場を後にする。
この旅を振り返ってこれほど酷い仕打ちは無かった。無意識下でそう思うハイドは静かに深淵に身を委ねていった。