3 ――騎士団の訓練――
「えー。これから皆と一緒に生死を共にすることになりました、ハイドです。よろしくぅっ!」
ビシっと背筋を伸ばして挨拶をする。中庭に居る数十人のどよめきはそれによって収まった。おそらく、言葉を失ったせいで。
朝はまだ始まったばかりである。ハイドの前には綺麗に整列する約50名の騎士達。横にはジェルマンがこれからの訓練についてなにやら話している。
しかし何故だか、彼らの視線はハイドに注ぎっぱなしであった。好奇の目でもあるし、酷く冷たい目でもある。少なくとも良い意味での視線は何一つとしてなかった。
「――――というわけで、振り下ろし、切り上げをそれぞれ200回ずつで朝の訓練にしましょう。終わり次第、朝食に向かって良いです」
一人一人の返事が同時に響く。それは重なって、大きな1つの反響となった。
壮観。まさにその一言に尽きる光景を見ながら、ハイドはジェルマンから一振りの剣を受け取った。彼が装備する『火竜の剣』より一回り程小さい、鉄製の剣である。
よく整備されているためか、刀身には傷どころか指紋1つもついておらず。
着慣れない全身鎧をガチャガチャ鳴らしながら移動を開始しようとすると、ハイドは肩を掴まれて、
「お手本をお願いできますか?」
いつものにこやかな笑顔だが、薄く開ける瞳の奥は冷たかった。恐らく、断ることは許されないのだろう。
やれやれと、ハイドは肩をすくめて、仕方なく騎士団の正面に立ちなおして剣を正眼に構えた。
――――やかましく大気を振るわせる、擦れる金属音はそこで途絶える。見たくも無いのだが、少しばかり視線を奥に向けると、兜を被らぬ騎士は一斉にハイドを捉えていた。
緊張が、汗となってハイドを包む。一瞬にして体温が上がり、嫌になるくらい鎧の中が蒸してきた。
「……それでは、失礼して――――」
昨晩の、名も知らぬ彼女を思い浮かべた。あの程度の実力ならばいいだろうと考えて――――縦に一閃。
魔力を使用しないが故に飛ばぬ斬撃は、それでも剣風を起こして前列の騎士達の唸りを貰う。ハイドは地面に触れるか触れぬかのところで切っ先を止めて、切り上げ一閃。
剣は勢いよく振り上げられ、また刀身がその背中に触れぬギリギリの位置で停止させる。
――――僅か数秒の動作。敵が居なく、ある程度緊張した状態はその行為を易くしていた。勿論ハイドはそこまでの考えは無い。
それは『当たり前』だからである。
彼ら騎士団のように箱庭で成長したのではなく、常に命を掛ける最前線で経験を積んだ故に、その僅かなコンディションは考えるまでも無い。
気にするべきなのは変わりないが、それを何処まで重点的に考えるか――――そこがハイドと騎士との違いであった。
そのままハイドは、騎士達の視線を気にせず素振りを続ける。想像の中の彼女は既に、50回程命を落としていた。
それがやがて、100回に達する頃は始めてから10分も経っておらず、だがその腕には確かな筋肉疲労が見られた。
勿論、素振り計400回は終了していた。
鎧が蒸すせいで余計な汗が額から流れ、留まることを知らない。手甲で簡単に拭いながら、ハイドはジェルマンへと向き直った。
「終わりました」
「ありがとう。それでは――――食堂へは、案内したほうが良いですか?」
「いえ、それには及びませんよ。しっかりと彼らの『面倒』を見てやってください」
嫌味な笑顔を浮かべると、ハイドはそれきり騎士達の方へと向かずに城へと向かっていった。
ジェルマンはそんな彼に頭を振りながら、騎士達に視線を戻すと、彼らに向かって大きく手を叩く。金属の耳障りな音が辺りへと響いた。
「皆さん、素振りを再開してください」
騎士たちは信じられぬものを見たようにハイドの背を追った後、それぞれがそれぞれの速度で訓練を開始する。
いつしかハイドを思う心は、会話も交わさぬ内に嫌悪へと変わり始めていた。
「よ、よろしくおねがいしますっ」
ノラは街の外へと出ていた。そこには数十名の『弓兵』が並び、背筋を伸ばしてノラの隣、教官である『ウェールズ』へと顔を向けている。
彼女の簡単すぎる挨拶が終えると、ウェールズもまた、簡単に訓練の説明を開始する。朝は弓を使わず、視力を鍛える訓練らしく、近くの林から一斉に飛び立つ鳥の数を数えるという、なんともお遊戯じみたものであった。
「それではノラ。君はいいか?」
声を掛けられてドキリと肩が弾む。ノラはぎこちなく頷くと、その隣でウェールズは弦を力いっぱい引いて、矢を穿つ。
前方の林、その手前の木に矢が着弾し、大きく揺れた。木を揺らすには丁度良い位置だと言え、それを簡単に為して遂げる彼の実力はそれだけでも十分に知ることが出来た。
ノラはそんな彼に、今まで自分以外見なかった弓兵である彼に純粋な尊敬の意を持ちながら、その衝撃に驚いて木を離れていく鳥の群を捉えていく。
朝日に照らされ、黒い影となるソレは、重なり、またバラバラに飛んでいく。片方の群を数えれば、いつのまにかまた片方の群が飛んでいってしまい、後ろから追い抜かす鳥もあって、正確な数字を打ち出すのは難しい。
「隊長! 24です」
その中で1人、一等速く手を上げる弓兵が声高らかに答えてみせる。ウェールズはその答えに頷き、
「あぁ、合格だ」
彼は胸の前でガッツポーズをして、「失礼します」とその場を後にする。どうやら合格したものから順に抜けられるらしいが――――一番最初に聞いた答えを口にすれば皆合格をもらえるのではないだろうかと、この回答システムにノラは一抹の不安を覚えた。
そして1人が答えると、次々に答えがウェールズに叫ばれる。二十数人が答えた内、抜けられたのは十数名のみであった。
「あの、他の人の答えを拝借されるという考えはないのでしょうか?」
恐る恐る、隣の教官に質問を投げると、ウェールズはなんでもないように答える。
「なに、その声を聞けば、嘘か事実か、ただ自信がないのかどうかわかるってもんさ。最も、自信が無いかどうかは、ソイツの眼を見ないと分からんけどな」
まだ若い男は得意気に言うと、「いい事言うだろ?」と冗談っぽく付け足した。ノラはそんな彼に薄く笑むと、
「隊長っ、31匹です!」
まっすぐ彼の瞳を見ながら答えると、ウェールズは本当に驚いたように彼女を見つめて硬直する。それからやがて、はっと我に帰ると、小刻みに、関節が錆びているように小刻みに頷く。
「あ、あぁ。『正解』だ」
――――あたりからどよめきが生まれる。ノラはそんな声を嬉し恥ずかしと受けながら、「失礼します」と街へと戻っていった。
彼女の後ろでは「31匹です」との連呼が聞こえた後、ウェールズの怒号が飛んでいた。
「まさか、わざわざ勇者を呼びに行っていたというわけでもあるまいに。この時代なら、まだ勇者の仲間の子孫を探すほうが効率が良いだろうからな」
玉座に腰掛ける皇帝レイドと、その前に、退屈そうに立つシャロンしか居ない王座の間。そこには常には決して無い、軽い空気が流れていた。
緊張などせず、またする必要すら見いだせないシャロンは腰に手をあて、面倒そうに頭を掻いて口を開く。
「つまんないのさ。この国の『お遊戯』は。たかだか、あの程度の魔族を相手に苦戦するわ、人を頼るわで。全く誰も頼らず頑固に戦う勇者の方がまだ助け甲斐があるってものよ」
「では何故戻ってきた」
「助け甲斐がある勇者が居るからよ」
「惚れてるのか?」
「まさか」彼女は大袈裟に両手を開いて、小ばかにする様に彼を見下ろした。「恋愛感情なんて300年ほど前に捨てたわよ。分かるでしょう? 私の……勇者の同胞の貴方なら」
「さあ? 分からぬなぁ……自分を知って欲しいのなら300年前に遡れよ、『老害』」
クツクツと笑うレイドに、彼女は力強く舌打ち、そして肩をすくめて後ろを向いた。
「勇者を喰えないって言うけど、貴方の方がよっぽど喰えないわね」
「誉め言葉か? ありがたいな」
また笑う彼に、シャロンは話にならないと足を進めた。足音がよく響く。その中で、レイドは「待て」とその背中に声を投げた。
妙に大きい声は少しばかり反響した後、シャロンの足を止め、
「なにさ」
「好きだ」
言って、大袈裟に笑った。大反響する空間では、レイドの笑い声が幾人分もの役割を果たしてやかましく耳に障る。呆れたと、シャロンは大きく溜息をついて、またレイドへと歩み寄った。
「なら、私を愛してくれるのかい?」
真面目な顔が、色気のある吐息と共にレイドへと迫る。彼は嫌悪を吐き出すように言葉を吐き捨てた。
「まさか」彼はわざとらしく両手を広げて、馬鹿か? とでも聞きたそうな表情で彼女を見上げる。「恋愛感情など、300年も昔に捨てたわ。分かるだろう、私と勇者の同胞の、貴様なら」
少しの間を置いて、彼女は息を吐きながら顔を離す。そして、
「分からないわね」「分からぬなぁ」
言葉が同意見となって重なり、思わず2人は噴出した。それからまた適当なことを適当に話し続け、彼らにとっての懐かしい時間は流れ始めた。